INTERVIEW先輩就農者の声
田村市栽培農作物 ミニトマト、ふきのとう など
女性が
農業を始めるということ。
姉妹の挑戦、ママの視点
田村市でミニトマトやふきのとうを栽培する「GREEN for TABLE」。農園を経営するのは過足(よぎあし)幸恵さん(37)と富塚あゆみさん(32)の姉妹です。起業から怒涛の5年の間に、お二人とも妊娠、出産を経験。女性ならではのライフスタイルの変化も、二人で支え合い、また子どもからアイディアを得て前進を続けています。農業という世界に飛び込んだ、二人のストーリーを伺いました。
このワクワクを大事にしたい
姉妹で農業って珍しいですよね!なぜ二人で始めたのか、聞きたいです。
姉・幸恵さん:うちは実家が代々農家なんです。祖父は葉タバコ農家で、父は会社勤めをしながらコメや野菜を作る兼業農家でした。だから小さい頃からたくさん手伝いをしましたね、嫌になるぐらい(笑)。植え終わった苗のポットを洗ったり、原木に椎茸の菌を打ち込んだり。まわりの子たちはお手伝いなんかしてないのに「なんでうちだけ?」と思って、将来は農業なんか絶対やりたくないって思ってました。
妹・あゆみさん:たぶん私は末っ子だから一番手伝いしてないです。ハウスの中にブランコを作ってもらって遊んだりして……。上の子と下の子ではかなり違いますね(笑)。
姉・幸恵さん:2017年にベビーリーフ農場の視察に行ったことが大きな転機になりました。ある日私も妹も家にいて、父が何気なく「ベビーリーフの農場でも見に茨城に行かないか?」って言ってきたんです。実は父が知り合いにベビーリーフを作ってくれないかと頼まれていたそうで、栽培方法を見てみたかったようです。私たちは「え?何?県外行くの?じゃあ面白そうだからついて行こうかなっ!」って軽い気持ちでついて行きました。農場に行って、畑を見て、「うわぁ!農業、面白そうだな」ってワクワクして。ベビーリーフ栽培そのものに対してというより、農業に対してのワクワク感ですよね。確かに子どものころは手伝いをしすぎて嫌になっていた時期もありましたが、大人になってから手伝いをしたら楽しくて、それから観葉植物を育てるのにハマったりもしていました。ベビーリーフ畑を見ていたら改めてそんな気持ちが湧いてきたんです。
当時、私は地元の製造会社で事務員として働いていました。ただ、「この仕事向いてないんじゃないかな…」って、その頃ずっと感じてたんです。淡々とした日々の業務の中で仕事の楽しさややりがいを感じにくくなってきていて、ずっとモヤモヤしていました。年齢的にも30歳を超えていて結婚する予定もなかったので、「私はもしかしたら一生独身なのかな。どうせ一生仕事をして生きていくなら、今感じたワクワクを大事にしたいな」と思いました。
ご実家の農業はどうなったのでしょうか?
原発事故の補償の問題で南相馬市全体としてはコメの作付けを3年間自粛しようという方針になりました。うちはコメをメインに、小麦、野菜を少しだけ作っていた農家だったので、コメができないうちは小麦を作っていました。その他には、土壌に降り積もった放射性セシウムを吸着するためにヒマワリを植えたり、農家で集まって菜種を栽培してバイオ燃料にする取り組みをしたりしていたようです。
農業の何にワクワクしたんでしょうか?
姉・幸恵さん:たぶん、自然の中で働いてるのが良かったのかなー。時間にとらわれない感じも良かったのかもしれません。見たときに本当にワクワクしたとしか言えなくて。「そうだ!これだったら、自分次第でいろんなことができるんじゃないか!」って道が開けたように感じました。事務員は10年ちょっとやりましたが、もう限界だったのかもしれません。自分で何かを生み出すという刺激が欲しかったのかもしれませんね。本当に久しぶりに心が動くものに触れた感覚でした。ベビーリーフの農場を見てすぐ妹には話したと思います。「私はもう、会社辞めて農業やるよ。やりたいと思ってるよ」って。
妹・あゆみさん:私も農場を見ながら考えてました。私はもともと農業やりたいと思っていたので、「もしやれるんだったらやりたいなー」と。姉がやるって言い出したので、「一人だったらできないかもしれないけど、姉とだったらできるかもしれない」と思いましたね。
取材日:10月5日
取材・文・写真:成影沙紀