移住者インタビュー

16,000本の葡萄の木から究極のまちづくりへ

2023年10月12日
富岡町
  • Uターン
  • 農林漁業

富岡町でワイン用ブドウを栽培する(一社)とみおかワインドメーヌ(以下、とみおかワインドメーヌ)。代表の遠藤秀文(しゅうぶん)さん(52)に富岡町産ワインにかける想いを聞きました。2016年に遠藤さんが10人の仲間と共にブドウ栽培を始め、以降、少しずつ畑を広げてきました。2024年夏には富岡駅前に待望のワイナリーができる予定です。

富岡に足りないものはワイナリーだ

——遠藤さんが富岡町にワイナリーを作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

私は、高校卒業まで富岡町で育ち、大学進学で故郷を離れました。大学3年で就活を始めるときに、「35歳になったら富岡に戻って恩返しをしたいな」と思ったんですね。なぜだか“35”っていう数字にすごくこだわっていました。富岡の役に立てるように、卒業後の13年間はいろんな世界を見ようと決めました。海外で働くチャンスが多い会社を探して、東京に本社を構える建設コンサルの会社に就職。13年間で二十数カ国以上は行きましたね。どの国に行っても、頭の隅っこでは「富岡には何が足りないかな…」とずっと考えていました。そこで一番あるといいなと思ったのがワイナリーでした。

ワイナリーは、“景色になる”んですよ。整然とブドウの木が並んだ畑がブワーッと広大なエリアに広がっている。それがすごく綺麗で、人を惹きつける。そしてワイン用ブドウは1回植えるとその土地に何百年と根付くんです。年月とともにブドウの質が上がって、ワインの質も上がっていく。そうすると、「ウチのワインは最高だ」と地元の人が誇りに思うようになる。ワインをきっかけに自分の地域を好きになるんです。

あとは、やっぱり地域の食材とのマリアージュですよね。ワインって赤、白、ロゼ、スパークリングの4種類しかないと思っている人もいますが、白ワインだけでも何品種もあるんです。だからいろんな食材と無限に組み合わせられる面白さがある。富岡は海も山も川もあって、豊かな食材があるから、富岡でやるんだったらワイナリーだなと思ったんです。

なので、35歳で地元に帰ってきたときには、まず地域の食材探しをしました。しかも車じゃなくて自転車で町中を走って、景色や気候を五感で感じながら。同時に、「どこでどんなワインを作るのがいいのかな」と、ブドウ畑のイメージを膨らませていました。「ここが最高だ」と思ったのが、駅前だったんですよ。

——なぜ駅前だったのでしょうか?

駅前ってやっぱり町の顔なんですよ。駅のホームからも見えるし、電車の車窓からも見える。ここにブドウ畑が広がっていたら、何気なく電車で通り過ぎたときに、「あれ?なにこの景色!ちょっと寄ってみようかな」と、なるんですよ、絶対。

ただ、まとまった農地を手に入れることが難しかった。集落もあるし、農地は田んぼになっていて、わざわざ土地を譲る人はいないだろうなと。「あぁー、でもここでワイナリーができたら本当にすごいことになるだろうな」という思いがあって、震災前は何度も駅前にブドウ畑が広がる夢を見ました。

農地に関しては焦っても仕方がないので、地域の食材探しに奔走しました。ワインとのマリアージュをするためにはとにかく食材を知らなきゃいけない。地元の養豚場に行って話を聞かせてもらったり、年間を通じてどんな魚が揚がるのか調査したり、漁師さんの船に乗せてもらって漁に同行したこともありました。

2022年産のシャルドネとメルロー

親父と語り明かしたまちづくり

——でもそのときはまだ、ワインどころかブドウ畑すらない状況ですよね。しかもお父さんの会社では専務に就任されて、本業も忙しいでしょうし…。その情熱はどこから湧いてきたのでしょうか?

どこからかな…。前職では「35歳になったら帰る」と決めて働いていたんですけど、いざその時が近づいてくるとすごく仕事が面白くなってきたんです。自分で仕事が作れるようになって、自分が本当に行きたい国でやりたい仕事ができるし、やりがいが歳とともに増していく…。だから辞めるのはすごく辛かった。ただ、ここで帰らないと二度と帰らないような気がしたので決断は揺るがなかったです。面白い仕事をすべて捨てて帰ってきたから、やっぱり中途半端でいたくない。徹底して街づくりをやろうと。もうやるしかないと思っていました。

一方、そのころ親父の会社の経営状況が本当に厳しかった。「あんなにやりがいのある仕事を捨てて、俺はなんでこんなに大変なときに戻ってきたんだ…」と思うほどでした。そういう意味では、自転車で街歩きをしているときだけは未来を見られた。自分の中でバランスをとっていたのかもしれないですね。

——一市民が「町のために」ってこんなに情熱を持って動くということがとっても不思議です。しかもこの段階ではお金にもならないし、誰に頼まれたわけでもないし…。

そうですね…。それはやっぱり親父の影響があります。親父は私が高校生のころに会社を経営しながら町議会議員になって、私が就職してすぐくらいのころには町長になりました。親父は陳情か何かで上京するときに、必ず私の会社の近くのホテルをとって、居酒屋で私を待っているんですよ。それで、私じゃなくて上司の直通電話にかけてくる。「遠藤秀文の父親ですけど、今日上京していまして」。上司は私の親父が町長をやっていることを知っているので、「ちょっと遠藤くん、お父さん…、町長さんから電話きて、近くで食事しているみたいだから今日は上がっていいよ」と言われるんですね。親父がそうやって誘ってくれたというか…、まぁ、強引に連れ出されて、よく一緒に酒を飲みました。1軒、2軒、3軒ってハシゴするんですけど、その間じゅうずっと「この地域をどうするか」という話を、もう延々とするんですよ。いやー、本当に親子で地域のことを何度も何度も語り合いましたね…。

——そんな思いを持ってUターンしたのに、3年半後に震災ですか……。

はい。初めてのマイホームも、築およそ150年の母屋も津波の被害に遭いました。マイホームは先祖が山に植えてくれた木で作った家だったんですが、建てて5ヶ月で流されてしまいました。すごく気持ちの良い空間だったので、2017年に社屋を建て直すときには、もう一度この山の木を使うことにしたんです。木を伐採すると、視界がバーっと開けて目の前に海岸線が広がった。すごい景色だったんです。その景色を見て、「ここにブドウ畑があったらいいだろうな」と直感しました。狭い土地だけど、とにかくここから始めよう、と。

そして賛同してくれた10人の仲間と共に、この山にブドウの苗木を植えたのが2016年3月。富岡町の避難指示が解除されたのが2017年4月なので、1年間は無人の町でブドウ作りをしていたということになります。週末になるとそれぞれの避難先から集まって、みんなで一緒に汗をかきました。

遠藤さんが開墾した山のブドウ畑からの眺望

16,000本のブドウの木

——そして2020年には駅前に念願のブドウ畑ができました。これはどういう経緯だったんですか。

駅前も津波の被害を受けました。集落は流されてしまって、農地は全部津波を被って…。そういう場所に戻ってきて農業しようという人がほとんどいなかったんです。ただ、先祖代々守ってきた農地だから変な風には使われたくないっていう思いがみんなある。

私は2016年から開墾した畑でブドウ栽培を続けていて、全国から栽培ボランティアの方がたくさん来てくださいましたし、2019年には初めてのワインもできました。そういった活動の様子がメディアで紹介され、地権者の方の目に留まるようになりました。だから「駅前でブドウ畑を広げたいんです。私が農地を買わせてもらいたい」とお話をしたときには、みんな喜んで協力してくださいました。

そうやって畑が広がって、200本から始まったブドウの木が、今年は 10,000本を超えました。来年には16,000本になる予定です。それ以上はすぐに増やすつもりはなくて、この16,000本を大事に育てていきたいと思っています。私たちは大量生産して薄利多売をするようなワインを作りたいわけじゃない。

できるだけ富岡町に来てもらって、この地域を感じてもらえるワインにしたいので、数じゃなくて質の良いワインを作る。そのためにブドウの木を一本一本丁寧に育てていきたいなと思っています。そして、“16,000”っていう数の重みを大事にしたい。これは偶然にも、震災前に富岡町に住んでいた人の数と同じなんです。

——16,000という数の重みっていうのは……?

例えば、一円玉を16,000枚数えようとは誰も思わないですよね?だけどブドウの木は、それぞれに個性があるから一本一本手をかけるので、16,000という数を常に感じることができるんです。震災前にこれだけの人が住んでいたんだということを意識し続ける。ああいうことがあったから町の人口は3,000人や5,000人でいっか、じゃなくて、やっぱり16,000人が住めるような町を目指したい。3,000人でいいなら、原発を廃炉にして、それで終わりでいいってなっちゃうんですよ。でも16,000人が暮らすには、本物の産業を作らなきゃいけない。日本の未来を世界に発信できるような本物の産業をここにしっかり根付かせる。16,000人の町という目標をぶらさず、これからは究極のまちづくりをしていかなきゃいけないと思っています。

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遠藤 秀文(えんどう しゅうぶん) さん

1971年生まれ、富岡町出身。富岡町でワイン用ブドウを栽培する(一社)とみおかワインドメーヌ 代表、建設コンサルティング業を行う(株)ふたば 代表取締役。
大手建設コンサル会社で13年間勤務し、アフリカ、中東、東南アジア、大洋州など20ヵ国以上を飛び回る。2008年、35歳で帰郷し、父が設立した建設コンサル会社 双葉測量設計(株)の専務取締役に就任。2013年に社名を(株)ふたば に変更し、父の跡を継いで代表取締役に就任。2016年に仲間と共に富岡町でブドウ栽培を開始、2019年には委託醸造でワインを製造、2020年に富岡駅の東側に畑を広げた。2024年夏のワイナリーオープンに先立ち、2023年に(株)ふたばラレス を設立。
父・遠藤勝也さんは富岡町議会議員を12年、1997〜2013年まで16年間富岡町長を務める。2014年逝去。

https://tomioka-wine.com/

取材日:9月7日
取材・文・写真:成影沙紀