花がもつ力で、世界を1°だけでも変えてみせる。つつじ農家が富岡町で起業した理由
贈り物として長く愛されてきた花。見たりもらったりするだけで幸福感を感じるなど、花は暮らしに彩りを添えてくれる存在です。
今回お話を伺ったのは、富岡町(とみおかまち)で2021年に起業した「Ichido(イチド)株式会社」の渡邉 優翔さん。
福島県須賀川市「大桑原(おおかんばら)つつじ園」を営む家庭に生まれ、花で人を笑顔にする父親の背中を追ってきた渡邉さん。現在は、「大桑原つつじ園」を継ぎ、東京農業大学での学生生活と富岡町に月に2回訪れる、東京都と福島県の二拠点生活を続けながら、起業をして花から採取される「花酵母」を使ったお酒造りを始めました。
活動の拠点として富岡町を選び、「花酵母」を使ったお酒造りを始めた理由、そして渡邉さんにとっての「復興」とは何かを聞いてみました。
渡邉優翔(わたなべ・ゆうと)さん
Ichido株式会社 代表取締役。有限会社大桑原つつじ園 26代目当主。福島県須賀川市生まれ。岩瀬農業高校で園芸の専門知識と技術を学ぶ。東京農業大学(現在4年生)に在籍、造園技術をさらに深める。2017年 岩瀬農業高校2年の時、チョルノービリ原発事故からの復興の様子を知るためベラルーシへの視察ツアーにも参加。2021年被災地復興事業「富岡町つつじ再生プロジェクト」を始動。同プロジェクトは、環境省 「FUKUSHIMA NEXT」環境大臣賞受賞。
春には桜とつつじが咲き誇る「富岡町」
福島12市町村の一つである富岡町は、いわき駅から常磐線に乗り約1時間、福島県浜通り地方の中央に位置しています。北東部の帰還困難区域を除き、2017年から順次避難指示が解除されており、2023年2月時点では、約2,000人が暮らしています。
富岡町の観光名所として有名なのが、富岡駅から電車で1駅の「夜ノ森駅」。春から初夏にかけて、「夜ノ森駅」のホームには、赤やピンク、白、紫など色鮮やかなつつじの数々が咲き誇っていました。3月から4月には、駅を降りた先に全長2.2kmも続く桜並木のトンネルが現れ、人々の心を潤します。
「夜ノ森駅」のつつじは、町民自らがまちの誇りとして大切に育んできたもの。震災後は除染の影響により、その景色は一時失われてしまいましたが、現在は「NPO法人元気になろう福島」主催のもと、渡邉さんの家業である「大桑原つつじ園」が協力し、つつじの再生と再植樹を行う「富岡町つつじ再生プロジェクト」が進められています。渡邉さんは家業に引き継がれてきた知識を活用し、「NPO法人元気になろう福島」と共にプロジェクトの企画から実施まで幅広く携わっています。
世界を1°だけでも変える。「Ichido」が目指す復興のかたち
生まれは福島県ではあるものの、富岡町には縁もゆかりもなかったという渡邉さん。この「富岡町つつじ再生プロジェクト」の始動により、初めて富岡町に関わるようになったと言います。なぜ起業の場として生まれ育ったまちではない富岡町を選んだのでしょうか?
「大学1年生の頃、たまたまテレビで『夜の森』のつつじのことを知りました。一度様子を見に富岡町へ足を運んでみると、あのつつじは地域の宝のような存在で、住民の方から『再生したい。あの景色をもう一度見たい』という声をたくさんいただいたんです。
僕は家業がつつじ農家ですから、頼まれたからにはやるしかないと思いました。一度汚染された土地で再生することは、花農家でもそう簡単にできることではありません。でも今、自分が福島のためにできることはそれしかないと思ったんです」
それから渡邉さんはお父さんを説得し、「富岡町つつじ再生プロジェクト」を始動。つつじの「里親」になることを希望した住民に、3年かけて春夏秋冬のつつじの育て方や病害虫、病気の対処方法などを伝授。今年から里親が育てたつつじの植樹が始まる予定です。また、本プロジェクトは福島環境リブランディングキャンペーン「FUKUSHIMA NEXT」環境大臣賞を受賞しました。
「家業は、会津藩からつつじの種を授かって発展してきたという歴史があります。他の地域から譲り受けたものを、今度は僕たちが富岡町に授ける。いずれは、富岡町の誰かがつつじ再生の知恵や技術をまた別の地域に渡してくれるかもしれません。僕が譲り受けたものが、次の人からそのまた次の人へ、時を超えて循環していったら嬉しいなと思って、活動を続けています」
つつじの再生をきっかけに、2019年から富岡町に関わり始めた渡邉さんは、自身の起業の場としても富岡町を選択しました。会社名は「Ichido」。世界や物事を「180度」変えようとするのではなく、些細なことでも、自分の身の回りの「1度」だけでも変えるという想いが込められています。
180°ではなく、1°でもいいから変化を起こす。渡邉さんの活動の根っこにあるこの想いは、富岡町に関わり始めた大学1年生の頃、社会で語られる「復興」と渡邉さん自身が考える「復興」に距離を感じたことから生まれたそう。
「復興という名目で、富岡町では新しい建物を建てるためにやってきた大型トラックをたくさん見かけました。まちの人がよく言うのが『立派な建物をつくっても誰も来ないなら意味がない。別のことにお金を使ってほしい』。住民のリアルな声を聞いていると、新しい建物を建てることだけが復興じゃないと感じるようになりました。
復興の定義は人それぞれ違っていい。社会が定義するものに従う必要もないし、僕にとっての復興の形を見つけていければいいのかなと」
復興というと、行政や企業が主体となった大きなものが目立ちがちですが、「復興に大小はない」と渡邉さんは続けます。
「僕にとっての最大の復興は、地域住民が笑って過ごせることです。僕は小さな頃から花を通じて人が笑顔になる瞬間をたくさん見てきました。きれいな花を見ることで目の前の人が笑ってくれる。そして、その笑顔が一時のものではなく、日常に変わり、復興という言葉すら使われなくなること。それが僕の復興の定義です。
もちろん、社会を180度変えようとすることも、1度変えようとすることも、すべての復興のあり方を僕はリスペクトしたいと思っています」
一次産業の人たちが評価される社会をつくりたい
「Ichido」のメイン事業は、終わりかけの花を花農家から正規品と同等の価格で買い取り、花に付着した「花酵母」からつくったお酒を販売、売上の一部を花業界の活性化のために寄付する取り組みです。「花酵母」は、渡邉さんが通う東京農業⼤学醸造学科の中⽥久保教授が発見されたもの。天然酵母のため、発酵の仕方も人工のものとは異なります。
「花酵母」の最大の特徴はその香り。通常の日本酒で使われる酵母よりも、香りの効能があるため、、飲む際に花の香りに包まれます。
香りの効能はもちろんのこと、花言葉や「あの地域で有名な花」というような、花が持つ“ストーリー性”や“地域性”も魅力の一つ。ブランド名は「Hanabi」と名付けられ、富岡町のつつじや浪江町のトルコキキョウなど、農家さんからの協力を得ながら現在開発中とのことです。自分や大切な人へのギフト需要に応え、お料理と相性のいいカクテルなど、乾杯の1杯目にふさわしい商品を目指しています。
「花屋さんの数や花の需要は年々減っていて、花き業界は斜陽産業となっています。父も含め多くの花農家が何かしなければと思いつつ、どうすればいいかわからない様子を見てきました。
花農家の仕事は、日々コツコツと花の手入れをすることにあります。ただ、生花として販売したり眺めて楽しめる期間は、たったの2週間程度。短い期間だからこその尊さはあるものの、花が持つ可能性はもっとあるんじゃないかと小さい頃からずっと思っていました。
見て楽しむだけでなく、味や香りなど花は五感で楽しめるもの。既存の花の概念を覆せるような商品をつくりたいと思っていたところ、たまたま大学で『花酵母』の存在を知り、カクテルをつくってみることにしました」
「花酵母」は、枯れ始めた花からの採取がもっとも成功率が高いもの。生産した花の約1割は規格外製品となってしまい廃棄となることが多いなか、廃棄前の花を正規の価格で買い取り、お酒として販売することができれば、花農家としても経済的なメリットを得ることができます。
「枯れかけの花や規格外の花であっても、正規品と同じ価格で買い取ることにこだわっています。たとえB級品と呼ばれるものであっても、その花が持つ品質や農家さんがかけてきたコストは何も変わりません。
『捨てる予定だったのだから安く譲ってほしい』と業者から交渉される農家さんが多いようなので、「Ichido」の取り組みが花の価値の捉え方をも変えていけたらいいなと思っています。
ただ、『花酵母』は天然ものなので、同じ花でもたくさん採れる場合とまったく採れない場合があります。仮に採取できなかったとしても、花びらを入れて蒸留するなど、農家さんからの買取量を安定させる方法を検討したいと思っています」
造ったお酒の一部は、花き業界を盛り上げるための施策に寄付されます。その名も「百花繚乱(ひゃっかりょうらん )プロジェクト」。例えば、人手不足の農家さんとこれから技術を学びたい人とのマッチングや農家さんの新しいチャレンジへの支援、「Ichido」の酒蔵を活用した地域コミュニティづくり(2027年に設立予定)など、製造したものを売って終わりではなく、花き業界全体に還元し、その技術や想いがまた別の人へ循環するような仕組みづくりに挑戦するそうです。
「目の前の人が笑顔になってくれることが僕なりの復興の定義だとお伝えしました。お客さんを笑顔にしたいことはもちろんですが、どちらかといえば花農家さんへの気持ちのほうが強いと思っています。
これは花に限らずですが、一次産業に従事する方たちは長年コツコツ積み上げてきた素晴らしい技術を持っている一方で、多くの代理店が間に入ることで、お客さんや社会からの感謝の気持ちが直接耳に届く機会が少ないんです。
『Ichido』のプロジェクトを通じて、対価を伴って農家さんがちゃんと評価されたり、自分の仕事により誇りが持てるような世界をつくりたいと思っています」
学生と起業家。東京と富岡町を行き来する生活
震災が起きたのは渡邉さんが小学校4年生の頃でした。ご実家の須賀川市は内陸部なので津波の被害はありませんでしたが、地割れや断水、建物の倒壊、そして家業が受けた一番の被害は風評被害だったそう。
「一気に除染してしまうと、これまで築いてきた土壌環境が変わってしまうため、時間をおいて数値が低くなるのを待つしかありませんでした。今では風評被害も少なくなりましたが、当時は県外から訪れる人たちから『本当に安全なの?大丈夫なの?』と不安の声が届くことが多かったですね。
実際に被害の少ない地域であっても『福島だから危ない』と一括りにされてしまうこともありました」
小さな頃から父親の背中を見て、家業を継ぎたいと思っていた渡邉さんは、自身の関心が赴くままに地元の農業高校に進学。東京農業大学で造園技術について学びながら、東京都と家業の農園、そして富岡町のある福島県を行き来する二拠点生活をスタートしました。現在、月に2回は福島を訪れると言います。
東京で学生をしながらローカル起業家として活動する生活とは、どのようなものなのでしょうか?
「正直、体力や経済面ではなかなか大変です。でも、『Ichido』や『つつじ再生プロジェクト』の活動にはそれ以上の価値があるから、全然苦しくはないですよ。
富岡町の住民たちは、つつじという地域資源に対してすごく誇りを持っているんです。だから『僕が辞めてしまえば、みなさんが守ってきた地域資源が失われてしまうんだ』と思うと、覚悟のようなものが自然と芽生えました。貯金を崩してでも続けたいと思う原動力はそこにあると思います」
渡邊さんは、富岡町へ訪れる度に「Ichido」の活動に共感してくれる農家さんのもとへ顔を見せに行くそう。この日も渡邉さんは2件の農家さんのもとへ視察に出かけていました。
「『この農家さんの花から採取させてほしいな』と目星はつけているのですが、何回か顔を合わせてやっと協力してくれるようになる方が多いんです。
スピード重視の東京とは違って、地方ではどれだけ顔を合わせられるかが重要です。協力してほしいときは、いかに本気の度合いを見せられるか。その本気度は何度も会いに行くことで初めて伝わります。富岡町に来る際には、『今回はこの人に会いに行こう』と目的を持って行くようにしていますね」
東京と地方は、時間の流れが異なります。東京はスピードが大事だけれど、地方はいかに関係性づくりに時間をかけられるか。「つつじ再生プロジェクト」では、1人に2〜3時間ほど時間を使い、つきっきりで育成方法を伝授すると言います。効率性だけを考えればみんなにオンラインで動画を配布して自分で学んでもらうこともできる。しかし、地方の場合は、細やかにコミュニケーションをとることで信頼を得て、やがてその信頼が新しい出会いをもたらしてくれるそうです。
東京と地方の時間の流れ方の違いは、「まるで別次元の世界に行くような感覚」と、笑って教えてくれました。
「地方には豊富な地域資源がたくさん眠っていて、それを生かす技術を持った農家さんも多くいらっしゃいます。自然も土地もたくさんあって、まだ日の目を浴びてない地域資源や農家さんの技術に光を当てることが僕にとっての喜びなんです。
一方、東京は『花酵母』の例のように、最新の情報を持っている方がたくさんいます。その両方をうまく掛け合わせられるといいなと、僕は二拠点生活を選んだんです。基盤となる資源は地方で見つけ、販路を拡大したいと思えば東京で情報を掴めばいい。東京と地方の両方の良さを生かした起業、暮らしができているなあと感じています」
本気でやりたいなら、挑戦したほうがいい
「僕が辞めてしまえば、地域資源が失われてしまう」という言葉。最後に、なぜ渡邉さんがそこまで腹を括って富岡町に関わり続けられるのかと聞いてみると、こんな言葉が返ってきました。
「昔から、無理と言われるほど燃えるタイプなんですよね。幼少期、父とぶつかることも多々あったのですが、諦めろと言われるほど「じゃあどうしたら可能になるんだろう」と考えてきました。無理を無理ではなくすることがただただ楽しいからだと思います。自分が描くものを形にするために、最大限の力を使おうとする精神は昔からあった気がしますね」
小さな頃、週に一度はガラスを割って両親に怒られていたのだとか。「ここにものを当てたらどんなふうに割れるのか」という、試してみたい、知りたいという好奇心が渡邉さんを突き動かしてきたようです。
「僕は変わった子どもだったし、今もやりたいことはやらないと気が済まない人間なので、みなさんの参考になるかは正直分かりません(笑)
でも、やりたいと思うなら、やればいいんだと思います。本気さが伝わればこの地域は応援してくれる人ばかりですし、例え失敗しても本気でやったことはみんな見ていてくれるから、誰かに責められることもない。
小さなことから挑戦しコツコツ続けて、時に人に迷惑をかけたとしても、そのぶん形になった喜びごとみんなと共有できれば、それでいいんじゃないかなって僕は思います」
「やってみたい」という好奇心と「自分がやらなきゃ」という覚悟。その両方を持つ渡邉さんは、始めたからにはもう辞められない状況をどこか楽しんでいる様子が伝わってきました。
そんな渡邉さんの姿を見ていると「学生なのにすごい!」と思いますが、渡邉さんの原体験は、お父さんが丁寧につつじを育てる背中を毎日見てきたことにあります。福島沿岸地域や社会に対して「自分にできることは何もない」と感じてしまう方もいるかもしれませんが、幼い頃の経験や自分にとっては当たり前だと思っていた知識など、「できること」は実は意外と身近にあるものなのかもしれません。
180°は変えられなくても、1°だけでいいのであれば、できることはきっと見つかるはず。「じゃあ、自分にとっての復興とは何だろう?」そんな問いを与えてくれる取材でした。
※内容は取材当時のものです。
取材・文:佐藤伶 撮影:中村幸稚 編集:増村江利子