INTERVIEW先輩就農者の声
南相馬市栽培農作物 コメ、小麦、12種類の野菜 など
まだまだ農業を
進歩させたい。
僕、若いんで!
南相馬市鹿島地区でコメ、小麦、12種類の野菜を栽培する「武田ファーム」。この地で続く農家の四代目である武田幸彦さん(35)が代表を務めます。武田さんはアメリカで農業研修中に東日本大震災の知らせを受けました。帰国後は群馬県の農業生産法人で働き、2017年にUターンして就農。農地の拡大、従業員の雇用など進化を続ける武田さんの農業について伺いました。
アメリカで聞いた震災の知らせ
東日本大震災発生の日、武田さんは海外にいたとか?
アメリカのワシントン州にいました。アメリカで農業研修をしていたところでした。地震よりもやっぱりショックだったのは原発事故ですね。アメリカでは最初からメルトダウンの可能性について盛んに報道されてたんで、農業は二の次でとにかく家族に避難してほしいっていう気持ちでした。ここは福島第一原発から35〜36kmぐらい離れているので避難区域にはならなかったんですけど、うちの家族は自主的に福島市の親戚の家に避難しました。
ご実家の農業はどうなったのでしょうか?
原発事故の補償の問題で南相馬市全体としてはコメの作付けを3年間自粛しようという方針になりました。うちはコメをメインに、小麦、野菜を少しだけ作っていた農家だったので、コメができないうちは小麦を作っていました。その他には、土壌に降り積もった放射性セシウムを吸着するためにヒマワリを植えたり、農家で集まって菜種を栽培してバイオ燃料にする取り組みをしたりしていたようです。
そんな中、武田さんの農業への気持ちはどう変化したんでしょうか?
僕、大学は神奈川の農業系の学校に行ってるんですけど、実は農業を継ぐ気は全然なかったんです。農業系を選んだのは大学に行く口実みたいなもので。でもアメリカ研修に行って農業の可能性を感じて、農業やりたいなって思うようになりました。研修へは日本全国から40人ぐらいが一緒に行くんです。それまでは農業って若い人がいないって言われ続けてきたのに、そこに集まった40人は30歳ぐらいまでの若手ばっかり。すごい儲けてる農家がいたり、会社を辞めてこれから農業をやるぞという人もいて、みんなやる気に満ち溢れてました。後ろ向きな人が一人もいなくて、日本農業の未来を感じたんです。農業はやり方次第で面白くなるんだなって。
そこでやる気に火がついて、帰国後は実家でどんな農業をやろうかな〜と構想を練ってるときに震災・原発事故になってしまった。それがきっかけで南相馬では農業辞める人も結構多かったし、僕ら後継ぎ世代の人たちが何人も避難先で一般企業に就職したっていう話も聞いたんで、「俺がやんなきゃ」みたいな気持ちはありましたね。実家の農地じゃなくてもいいから、場所を移してでもいいから農業やんなきゃって。
1年半の研修が終わって、僕は群馬県の農業生産法人に就職しました。その頃はまだここで農業ができるかどうかわからない時期だったこともあったので。
取材日:9月15日
取材・文・写真:成影沙紀