なみえファーム

なみえファーム

和泉亘さん

浪江町栽培農作物 エゴマ など

浪江の原風景を
若手農家が
つないでいけるように

2017年3月31日の避難指示解除とともに浪江町に移住した和泉亘(いずみ わたる)さん(30)。2018年にはエゴマの生産を開始、2019年には浪江町の若手農家グループ「なみえファーム」を立ち上げ。現在は農業の他に、地域商社の代表として農産物の販売や飲食店の経営も行っています。和泉さんから見た浪江の農業、町の変化について伺いました。

  1. 若手農家が酒を飲んで語り合える
    ネットワーク
  2. 地域に溶け込むには、
    まず人のために動くこと
  3. 自分を見つけ、挑戦できる場所

自分を見つけ、挑戦できる場所

和泉さんは「なみえファーム」のメンバーである二人の同級生を町外からスカウトしてきましたよね。何が二人の若者の心に刺さったんでしょうか?

僕が浪江で挑戦していることをPRして、「一緒にやってみない?」と誘ったんです。当時は二人とも、自分探しをしていたり、都会での生活に疲れて迷ったりしていたんです。そういう人って、浪江が被災地だとか原発事故で一度避難した町だということよりも、「自分が何をやりたいのか、やりたいことが実現できるのか」っていうことの方が移住先を選ぶ上で優先順位が高い。

浪江町を含む福島12市町村は、他の地域にない補助制度が充実しているし、一度ゼロになった地域だから、地元の人も移住者を受け入れてくれるムードがある。今、この町を選んで住んでいる人たちはみんな前向きですし。

僕の役割は、彼らのような若者を誘えるだけの道のりを先につけておくことだなと思っています。僕が何か一つの道を極めるというより、自分が先頭に立ってまず経験して事業のきっかけを作って、一緒にやる仲間を集めて、どんどん人に譲っていくというイメージです。農業の仕事も今はほとんど大高くんに渡しました。

引っ張ってきたお二人は新しい場所で新しい挑戦の日々ですよね。くじけそうになることはないんでしょうか?

「もうダメだー」っていっつも言ってますよ(笑)。遊ぶ場所がないとか出会いがないとか。そう言いながら二人とも、移住してもう3年が経ちました。でもいろいろ人生迷ってここに来たわけですから、今挑戦していることに対して、「ここで頑張んないとどうするの?何か一つでもいいから成し遂げてみよう」って話しています。

思えば、それは昔の自分の姿と重なっているのかもしれません。新卒の就職で失敗して、体も心も壊して、親元も頼れずホームレスになって、自暴自棄になってしまった時期がありました。でも出会ってきた人のおかげで立ち直って、浪江に来て、今があります。

和泉さんが浪江に移住して5年目。この5年の町の変化をどう見ていますか?

変化が早いですね。普通じゃ考えられないぐらいスピードで建物がバンバン立って、いろんな企業が参入してきています。町のフェーズもどんどん移り変わっていて、最初はコミュニティづくりをしなきゃと言っていたのが仕事づくりに、今は人材を育成する時期になっているような気がします。

町にはスピード感がある人たちが多いので、「次はこれをやろう、あれをやろう」って賑やかで、それが面白い。田舎ですが、のんびり、まったりっていう雰囲気ではないですね。変化、進歩、イベントじゃない普通の日々の暮らしをどう作っていくかがこれからの浪江の課題の一つかもしれません。

あ、でも僕の妻はまちづくりとかイベントには関わらず普通の暮らしを楽しんでるタイプです。横浜出身で、浪江で知り合って今年5月に結婚したんですよ。夫婦で散歩をして海を見に行ったり、虫の声を聞きながらお茶を飲んだりしてますね。僕も浪江で過ごすそんな時間が好きです。

取材日:9月15日
取材・文・写真:成影沙紀

なみえファーム

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和泉亘 さん

福島県白河市出身。2016年、NPO法人「みんぷく」で復興公営住宅のコミュニティづくりを行っていたときに浪江町を担当したことがきっかけになり、2017年3月31日、避難指示区域の解除と共に浪江町に移住。地域のボランティア活動、ゲストハウスの運営などを行い、2018年からエゴマ栽培を開始。2019年、若手農家のネットワークとして「なみえファーム」を組織。2020年には地域商社「浜のあきんど」を設立し、エゴマを使った商品開発、飲食店の経営、エビの陸上養殖などを手がける。

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