一年中、花が育つ環境を求めて。たどり着いたのは南相馬市
太平洋に面した福島県浜通りにある南相馬市は、夏は海風があるため暑くなりすぎず、冬は降雪が少ない穏やかな気候で、年間を通して過ごしやすい地域です。
「小高区は気候も良く、花を育てやすい場所だと思います」
そう語るのは、花卉農家を営む「hinataba(ヒナタバ)」の菊地直樹さん。奥会津地方の昭和村でのカスミソウ栽培研修を経て新規就農し、2020年に南相馬市小高区へ移住。カスミソウをはじめ、通年で20種類ほどの花を栽培し、生花やドライフラワーなどを販売しています。
移住するまでは縁もゆかりもなかった場所で、妻の沙奈さんと一緒に花卉農家として歩む菊地さんに、農業を始めるまでの道のりや南相馬市で花栽培に取り組む思いを聞きました。
さまざまな経験から選んだ花卉農家として生きる道
現在は朝から晩まで花に囲まれて生活する日々を送る菊地さんですが、幼いころの夢はプロサッカー選手。高校、大学はサッカーのスポーツ推薦で福島県外に進学し、練習に打ち込んでいました。紆余曲折あって、卒業後は地元の福島市に戻り銀行に就職。仲間に恵まれて仕事も楽しかったという一方で、「銀行員を続けていくイメージはなかった」といいます。誰かのやりたいことをサポートするよりも、自分がプレーヤーとして何かに取り組みたい。そんな思いが膨らんでいました。
「休日は、やってみようと思ったことに飛び込む感じでWebデザインを学んだり、日本酒のサブスクリプションサービスを手伝ったり、将来やりたいことを見つけようといろいろなことに挑戦していました。その中の一つが、借りた畑で週末に農業をするというものだったんです。栽培の過程で試行錯誤を重ねて、その結果が作物に表れる農業は、自分が手がけている実感をもてて面白いと思いました」
あらゆる体験をする中でも、農業への興味が次第に強くなっていることに気づいた菊地さん。その気持ちを妻の沙奈さんに打ち明けたところ、沙奈さんの祖母が、昭和村でカスミソウ農家を営んでいたことを知ります。このことが、花の道へ進むきっかけとなりました。
昭和村は、夏秋期栽培で生産量日本一を誇るカスミソウの名産地。技術や知識を継承するためのインターンシップ事業「かすみの学校」を実施するなど、カスミソウ農家の育成にも注力しています。菊地さんは銀行員をしながら半年間、月に約1回のペースで昭和村に通い、同事業に参加。カスミソウの栽培、梱包、出荷など、花卉農家の一連の仕事を学びました。
収益化の目途がたち、カスミソウ農家として新規就農することを菊地さんは決断します。農家として生きるイメージを持てたとはいえ、起業は家族にとって大きなライフイベント。菊地さんの決断を、沙奈さんも前向きに受け止めたといいます。
「一度きりの人生だから、やりたいことをするのがよいと応援してくれました。彼女自身に福島のイメージをよいものにしたいという思いがあったことも、背中を押したと思います」
沙奈さんには中国での留学経験があり、その時に海外での福島に対する印象があまり良くないことを感じたそうです。花を通して、ポジティブな福島の姿を発信したいという思いを持っていた沙奈さんは、今もSNSやWebでの情報発信に励んでいます。
寒い冬でも花を育てられる場所を探して
豪雪地帯の昭和村では、名産地といえども花の栽培期間が春から秋の約半年間に限られます。将来的に雇用による増員や事業拡大を考えていた菊地さんは、一年中花を育てられる場所を探し始めました。
その折に、南相馬市小高区でカスミソウを用いた営農再開実証実験が行われているという記録を、インターネットでたまたま見つけました。
「実証結果を見て、小高には一年中花を育てられる環境があると感じ、試してみることにしたんです」
しかし、昭和村での栽培も続けるつもりだったこと、自分の手でやってみないと分からないこともあると考え、すぐには移住に踏み切りませんでした。
「昭和村に拠点を置いたまま小高に通いながら、花を育てる期間が半年くらいありましたね」
福島市出身で、南相馬市や小高区にはもともと縁がなかったという菊地さん。花を栽培するための農地はどのように探したのでしょうか。
「昭和村での栽培でお世話になった農業機メーカーの方に、南相馬市役所の職員をしていた方を紹介していただきました。その方は本当に顔が広くて、今、小高で農業をやっている方だけでなく、震災前に農家として暮らしていた方など、僕に代わって地主さんに掛け合ってくださって。『〇〇さんのとこ、使えるかもしれないよ』と、農地確保をサポートしていただいたんです」
移住を検討する際には、住まい探しも手伝ってもらったそうです。市内の空き家・空き地の物件情報を探す方法としては、市が運営する「空き家・空き地バンク」の利用や不動産会社への相談もありますが、やはり人との出会いがカギになってくると言えるでしょう。
農家になるまでの経験を生かして
小高に移住をしたのは最初、菊地さん一人でした。その半年後、沙奈さんも前職を辞めて移住し、夫婦二人三脚でのhinatabaがスタート。広い農地、良質な土壌、ちょうどいい気候など十分な環境のもと、花々の生育は順調でした。
南相馬市での栽培を始めた当初は、東京都内や仙台の市場に卸販売することで、収益を得る計画を立てていました。しかし、いよいよ販売を始めるというタイミングがコロナ禍の始まりと重なり、卸し先の市場が閉まってしまったのです。
「自分たちの手で売る力をつけていかないと、と痛感しました。そこで、ECサイトを立ち上げて販売を始めたり、SNSで情報発信をしたりして、直接お客さまに届けられる販路をつくることにしたんです」
銀行員時代に週末学んでいたWeb制作が、思わぬところで生きることになったと笑う菊地さん。ピンチをチャンスに変えるエネルギーは沙奈さんも同じ。花をそのまま売るだけでなく、アレンジメントやリースの販売を始めたのです。
「彼女は趣味でリースを作っていた時期があったんです。繰り返し作ることで上手くなっていき、今では人気商品になっています」
充実した支援制度も味方につけて
前向きに仕事に取り組む菊地さんですが、南相馬市での就農にあたり、もう少しうまくできたかもしれないと、惜しがる表情を見せる場面も。
「営農に関する支援制度をもう少し活用できればよかったなと思います。私たちはハウスを建てるのに原子力被災12市町村農業者支援事業という県の補助金を活用したのですが、調べてみると他にも使える補助金があったんです。もし知っていれば、金銭面での苦労が軽減できたかもしれません」
南相馬市の就農者支援制度に加えて福島12市町村を対象としたものもあり、「数が多すぎて、使うまでが複雑だと感じるくらい」と菊地さんは苦笑い。それでも「活用しない手はない」と力強く語ります。
「栽培環境や支援制度の面でも、一から農業を始めるにはもってこいの場所だと思います。僕が農地を紹介してもらったように、今度はどなたかに紹介する立場になれたらうれしいです」
一人ひとりのお客さまと出会いを大切に
コロナ禍の影響も次第にやわらぎ、市場への卸販売も再開。計画に沿った順調な売り上げが得られるようになり、また、アトリエやイベントでの販売や、花を使ったワークショップの開催も増やしています。お客さまと直接関わり合える機会を大切にしているからです。
「イベントには、月に1、2回くらいのペースで出店しています。『小高つながる市』など地元のイベントだけでなく、福島市や郡山市などにも出店することもあるのですが、イベントの度にわざわざ花を買いに来てくださる方もいて。本当にありがたいですね」
遠方から花を買い求めるお客さんがいることを喜ぶ一方で、地元に暮らす人にもより多くの花を届けられるようになりたいという菊地さん。現在はアトリエでの不定期販売を行っているほか、常連客からSNSのメッセージで購入依頼を受け取り、その都度販売することもあるといいます。
花を通して、お客さまや地域との関係を着実に育んできた菊地さんと沙奈さん。2人が手をかけ育てた花々は、美しさだけでなく、あたたかさもまとっているように見えました。
■hinataba -ヒナタバ-
住所:〒979-2172 福島県南相馬市小高区南鳩原台畑128
TEL:080-6000-6753
E-mail:hinataba@gakuholdings.com
HP:https://hinataba.com
Instagram:https://www.instagram.com/hinataba_flower/
■「未来ワークふくしま」に就農支援の特設ページが開設されました!
https://mirai-work.life/agri12/
菊地 直樹(きくち なおき) さん
福島県福島市出身。大学卒業後は福島に戻り、銀行に就職。後に妻となる沙奈さんと出会う。昭和村にて、2018年度の「かすみの学校」事業に参加し、2019年にカスミソウ農家へ転身。同年秋、南相馬市小高区にてカスミソウの栽培を始め、2020年春に単身で移住。秋より、夫婦揃った生活を開始。現在は年間を通して20種類ほどの花を栽培して、アトリエやECサイトで販売を行う。季節の花の摘み取りやリース作りなどのイベントも人気。
※所属や内容、支援制度は取材当時のものです。最新の支援制度については各自治体のホームページをご確認いただくか移住相談窓口にお問い合わせください。
取材・文:蒔田 志保 撮影:中島 悠二