移住者インタビュー

大好きな花の仕事を、家族のそばで。海外留学を経て、南相馬市へUターン

2025年5月21日
  • 出身地と現在のお住まい
    南相馬市出身→東京都→カナダ(ワーキングホリデー)→フランス(フローリスト研修)→南相馬市へUターン
  • 現在の仕事
    フリーランスフローリスト
  • これから挑戦したいこと
    ブライダルの装花など花で世界観を表現すること

上京した先で、天職と感じられる花の仕事と出会った渡邉藍里さん。東京や海外で経験を積みながら独立し、結婚を機に地元・南相馬市へ帰ってきました。現在は店舗を持たないフローリストとして週末花屋を開いたり、フラワーレッスンを開催したりしています。南相馬市で活動を始めるまでの道のりや、今だからこそ感じられる地域のよさについて聞きました。

花にパワーをもらう日々に導かれ、フローリストの道へ

――現在の仕事について教えてください。

フリーランスのフローリストとして活動しています。地元のお店の一角を間借りして週末花屋としてお花の販売をしたり、月に一度フラワーレッスンを開催したり。カフェや美容院などの装花も定期的に担当しています。Instagramを通してオーダーブーケをご注文いただくこともあり、イベントに限らずお花の販売をしています。

原町区の着物店「よろづ屋」で定期開催する出張花屋。6~10種類ほどの季節の花が並ぶ

――幼いころから、フローリストになりたかったのでしょうか?

いえ、違うんです。高校生のころはウエディングプランナーになりたくて、ブライダルについても学べる服飾系の短期大学に進学するため上京しました。勉強は楽しかったんですが、田舎と都会の暮らしにすごくギャップを感じ、ホームシックもひどくて、落ち込みがちでした。

でも、お花屋さんの前を通る時だけは元気になれたんです。お花屋さんで働いたら毎日元気でいられる気がして、気づいた時には「ここで働かせてください!」と店長さんにかけあっていました(笑)

――すごい行動力ですね!実際にやってみて、花の仕事はどうでしたか?

私のやりたいことに出会えた感覚がありました。働き始めてからはいっそう、花が愛おしく思えました。

花屋の仕事は、水が入った重いバケツを運んだり、いくつもの花瓶を洗ったり、数時間段ボールを畳み続けたりと、結構な重労働なんです。特に最初の一年間はアシスタントとして働いていて、花に一切触れない期間もありました。それでも、先輩が花束を作るところなど、仕事をする姿を見る時間も好きで、苦に感じることはなかったんです。

花の仕事の大変なところもひっくるめて、全部好きになっちゃいました。

――短期大学卒業後は、そのまま就職されたんですね。入社後に変化はありましたか?

アルバイト時代よりも大きな店舗に配属になり、仕事の内容も客層もがらりと変わってハードな毎日を送りました。オフィス街にある店舗だったのでサラリーマンの方の接客が増えました。外国人のお客様も多く、1日1回は英語で会話しながら花束を作っていましたね。

海外の方は花の選び方も使い道も違っていて、日本とは花の文化が全く異なることを感じました。毎週日曜日の朝、コーヒー片手に子どもを連れて、奥さまにサプライズでお花を買いに来るお客様がいたんです。買った花束も袋に入れたりせず、そのまま持っていくよ!と脇に抱えて颯爽と帰って行く姿を目の当たりにし、なんて素敵なんだろうと憧れました。

そのうち、海外の花屋で働きたくなり退職をして、渡航の準備を始めました。それと同時にコロナ禍に突入し、2年間ほどは身動きできなかったんですけどね。

海外の花屋で好きなスタイルを磨いて

――念願叶って渡航されたんですね。どちらへ行かれたのでしょう?

カナダのモントリオールへ1年間、その後はフランスのパリへ3ヶ月間行きました。本命はパリだったのですが、語学力がゼロのまま飛び込んでしまうのは少しもったいない気がして。英語も学びたかったので、第一言語がフランス語、第二言語が英語のモントリオールを初めての渡航先にして、語学学校に通う計画も立てました。

モントリオールへは、ワーキングホリデーでいきました。もともとの予定では、最初の半年間は語学学校にみっちり通いコミュニケーション力をつけて、残りの半年で花屋で働けたらと思っていたんです。でも、紆余曲折あり、到着してから1ヶ月も経たないうちに、地元の花屋で働き始めました。

その花屋は、お店のイメージよりも、フローリストの一人ひとりの個性が輝くお店でした。お客様のリクエストに合わせて担当するフローリストが変わるんです。みんなが自分の好きなスタイルをぐんぐん作って、同僚同士でほめ合って、得意なスタイルを伸ばしてもらえました。人との出会いと職場に、本当に恵まれていたなぁと思います。

――その後、本命のパリへ向かわれたと。そこではどんな経験をされたんでしょうか?

お花のレッスンを受けたり、フローリストの研修生として過ごしたりしました。

憧れていた日本人フローリストの方のお店で、まずは1ヶ月間、「パリスタイル」のレッスンを受けさせてもらったんです。彼女と同じ空気を吸いながら花を束ねた時には感動しました。高級ホテルの装花や現地の花市場を見に行くなど、花にまつわるツアーに参加できたことも大きな学びになりました。

レッスンが終わった後には、別の花屋で研修生として働かせてもらいました。そのお店はパリの中でも最も高級な地域、マダム御用達のショッピングエリアにあり、注文内容は両手いっぱいで抱えるような大きな花束、超一流ホテルやガーデンウエディングの装花など、ラグジュアリーなものばかり。研修生の立場でしたが、日本では絶対に経験できないようなアレンジメントを作らせていただき、勉強になることばかりでした。

パリでホテルの装花を担当している様子(写真:ご本人提供)

家族や仲間を感じながら、地域でより良く暮らしていく

――Uターンした理由を教えてください。

一番の理由は、学生時代から付き合っているパートナーが南相馬市にいたからです。東京や海外で暮らす中で、家族やパートナーの近くにいることが自分にとっては大切だと思う瞬間がたくさんありました。

花の仕事も経験を積み、手に職がついたといえるようになって、自分の力で仕事に挑戦したいと思えたタイミングと結婚が重なり、地元へ戻ることを決めました。

――南相馬市で花屋をやるうえで、気がかりなことはありましたか?

留学を経て、パリスタイルを自分のスタイルに取り入れたい気持ちがたしかなものになると同時に、不安も感じました。

私が学んだパリスタイルは、道端に咲く野花や稲、枝物を使い、自然美を表現するスタイルです。バラや丸い花を使って丸いブーケを作ったり、アレンジメントを三角形にまとめる日本の花屋さんとは異なります。このスタイルが南相馬で受け入れてもらえるか懸念がありました。庭で花を育てている方も多くいらっしゃるので、実際に始めてみると「その辺に咲いている花ではないか」と言われることもあり、特に価格設定には今でも悩み続けています。

でも、私がつくる花束やパリスタイルを好んでくださる方と南相馬で出会うこともできました!農家も多く、自然があり花材が豊かな地域だからこそできることもあるはず。まだ知られていない分、パリスタイルを発信する気持ちで、日々試行錯誤しながら活動しています。

ブーケのオーダーに合わせて、週に一度は郡山市の市場に仕入れへ。出張花屋でもブーケは注文可能

――暮らしも仕事も、満ち足りていることが伝わってきます。これからやってみたいことはありますか?

出張花屋やレッスンを通して暮らしに花で寄り添いながら、ブライダルに特化した花の仕事も始めたいです。もともとブライダル業界に興味がありましたが、最近自分の結婚式を挙げたことで、改めて結婚式の雰囲気や世界観づくりが好きだと実感しました。

モントリオールでは、ブライダルの現場にも多く関わらせてもらいました。海外の結婚式では、式場提携の花屋ではなく、新郎新婦が自分たちの好きな花屋に装花やブーケを依頼するのが一般的です。「あなたに作ってほしい」と任せてもらえること、自分のスタイルで喜んでいただけること――それ以上に幸せなことはありません。

渡邉さんの結婚式。装花、ウエディングケーキや引き出物などは地域の仲間に依頼(写真:ご本人提供、撮影:てらおよしのぶ)

――最後に、南相馬市はどんなところか、移住やUターンを考えている方に向けて教えてください。

高校生の頃、何もないと思っていた地元の景色が、Uターン後は大きく変わって見えるようになりました。 自分も好きなことに挑戦していますが、同じように挑戦する人が多いまちだと、日々感じています。働き方に共感できる人たちとつながれるのも、とても面白いです。

挑戦している人たちは、自分のことをしながら、ワクワクする南相馬市の未来の景色を描いています。私もその一員でありたい。地域の外ばかりをうらやむのではなく、ここにあるものを見つめ自分で暮らす場所をつくっていく大切さを、周りの人たちから教わっています。

渡邉 藍里 さん

1998年生まれ。高校卒業後に上京し、花屋のアルバイトを始める。海外のお客様とのやり取りをする中で海外の花文化への関心が高まり、留学を決断。カナダ、パリでの花研修を経て結婚を機に南相馬市へUターンし、フリーランスのフローリストとして活動中。

https://www.instagram.com/airi_fleuriste/

※内容は取材当時のものです
文・写真:蒔田志保