INTERVIEW先輩就農者の声
広野町栽培農作物 米、大豆、玉ねぎ など
ピンチはチャンス。
それぞれの10年と、
親子でつくる
これからの農業
広野町で米を中心に大豆、玉ねぎなどを栽培する「新妻有機農園」。江戸時代から続く農家で、代表の父・新妻良平さん(63)が14代目にあたります。2014年に法人化をし、2022年に長男の秀平さん(34)が入社。今シーズン初めての稲刈りの日、そんなお二人にお話を聞きました。
全国のお客さんを訪ねて
震災の影響を聞かせてください。
父・良平さん:うちは2005年から有機農業をやってきたんだよね。化学肥料や化学農薬を使わずに米を作ってるから、手間がかかって米が高くなる。だから農協さんに卸すんではなくて、高い理由がわかる人が直接買ってくれてた。特に宣伝しなくてもほとんど口コミだけで全国に100件ぐらいのお客さんがいた。ところが原発の事故があって、うちの米は「無農薬セシウム入り」と言うことになってしまった。もともと値段や見た目だけではなくて安全性とか環境への影響を考えてる人たちがお客さんだったから、売り上げは30%ぐらいに落ちちゃったね。
震災直後は作付けできない年が続いたんでしょうか。
震災があった年も県に連絡して試験栽培をしたよ。表土を5cmぐらい剥いだ田んぼと、何にもしない田んぼをそれぞれ一坪ずつ。収穫して測ってみたら、何にもしない田んぼで75Bq/kgだった。当時、日本の一般食品の基準値は500Bq/kgだったから、何にもしなくても10分の1ぐらいってことだ。だから「これはいける」と、翌年からは作付けしたわけ。その年は広野町としては「作付け自粛」という方針だったんだけど、俺、学がないから“自粛”っていう言葉を辞書で引いてさ。そうしたら何だったと思う?「少し控えること」だった。じゃあ作ってもいいんだな、と。他に作る人はいなかったから、自分だけで水を引ける田んぼを選んでやった。「毒米農家」とか、ネットにはいっぱい書かれたね。地元の人たちの中にも「おめぇみたいなのがいっから東電の補償もらえなくなっちまう」って言う人もいた。地道にデータを集めて、2013年には町全体としても作付け開始になった。
以降、広野のお米は基準値(100Bq/kg)どころか検出限界値(25Bq/kg)を超えない年が何年も続いているわけですが、それでも風評被害はしぶとかったと聞きます。どうやって払拭されてきたんでしょうか?
試験栽培だけをやった2011年に、全国のお客さんを訪ねて回ったんだよ。うちの母ちゃん(妻)と一緒に。やることねぇから。俺田舎モンだからさ、東京のド真ん中に辿り着けるけどうか分かんないわけ。だからアポを取って行くわけにもいかない。住所見つけてピンポーン、とやる。「どちらさまですか?」「以前お米を買っていただいてた福島の新妻です。来年から作りますんでよろしくお願いします」って話す。やっぱり小さいお子さんがいるところはあんまりいい返事はなかったけれども、実際顔を見せて、「こうやって検査もするし、こうやって作ってますから」って言うと、中には「あんたが作るなら来年から買うから」っていう人もいた。あとは、応援として買いたいと関西の人たちからすごい連絡きた。「阪神淡路大震災のときに自分たちもお世話になったから」っていう人もいっぱいいたね。
正直、テレビに原発が爆発する映像が流れた瞬間は、「これはもうダメかな」と思った。でも、お客さん巡りをしているときに長崎にも行ったのね。長崎の人と話してたら、「福島は漏れただけでしょ、長崎は原爆落ちたんだよ」と言う人がいて、「そうだな」と。結局、そのあと試験栽培をやって自信がついたし、100軒のお客さんをほとんど全部回って話して……、そうこうしているうちにお客さんも戻ってきてくれたから。
取材日:9月14日
取材・文・写真:成影沙紀