武田ファーム

武田ファーム

武田幸彦さん

南相馬市栽培農作物 コメ、小麦、12種類の野菜 など

まだまだ農業を
進歩させたい。
僕、若いんで!

南相馬市鹿島地区でコメ、小麦、12種類の野菜を栽培する「武田ファーム」。この地で続く農家の四代目である武田幸彦さん(35)が代表を務めます。武田さんはアメリカで農業研修中に東日本大震災の知らせを受けました。帰国後は群馬県の農業生産法人で働き、2017年にUターンして就農。農地の拡大、従業員の雇用など進化を続ける武田さんの農業について伺いました。

  1. アメリカで聞いた震災の知らせ
  2. 買ってくれるお客さんがいるならやりたい
  3. 狙い通りにいかないのが面白い

買ってくれるお客さんがいるならやりたい

ここで農業ができるぞって確信したのはいつ頃ですか?

ずいぶん後ですね。震災の4年とか5年後ぐらいでしょうか。もちろん震災の翌年には原発事故の補償があるっていうことがわかってきたんですけど、補償はずっと続くわけではないし、農業をやっても風評被害で売れる確証もない。

群馬の農業生産法人では営業をしてたんですが、そこでお客さんまわりをしてるうちに、「福島県産のものでも全然買うし、自分たち流通業者は生産者と共存しているから、生産者が困ったときは積極的に助けなきゃいけない」って言う人に出会って。もし僕が就農したら野菜を買うって言ってくれたんですよね。そのときですかね、地元で農業できるって思ったのは。買ってくれるお客さんがいるんだったらやりたいなって。

群馬の会社ではどんなことを学んだんですか?

群馬には5年間いましたけど、「農家は作りたいもの・好きなものを作るんじゃなくて、お客さんに必要とされているものを作ることが大事」ということが一番の学びですかね。お客さんが求めているもののうち、地域の気候風土に合っていて無理なく作れるものを選ぶ。作ることしかしてないと意外とそういう観点って農家にはないんですよね。

帰郷して農業を始めて、実際風評被害はどうでしたか?

僕は2017年から南相馬で農業を始めたんですけど、うーん……。風評被害を感じたのは初年度ぐらいですかね。食べものの風評被害というより、地域に対する風評被害のほうが大きかったかな。南相馬から来たと言うと、ちょっと一歩引かれると言うか。群馬にいたときもそれは感じてました。当時、福島ナンバーの車が傷付けられるっていう事件もあったので、車屋さんには群馬ナンバーに変えた方がいいって言われましたけど、「いや、それは別に変えなくていい。福島のままで」って言いました。たまたまここに住んでただけで、僕たちは何にも悪くないので、何か言われたら言い返せばいいかなって。

武田さんが帰ってきてから農業のやり方は何か変えたんですか?

農地の面積を震災前に比べて倍にして、品目もかなり増やしました。コメ、小麦、ネギ、ブロッコリーぐらいだったのが、今はミニトマト、キュウリ、キャベツ、紫キャベツ、芽キャベツ、オクラ、カリフラワー、かぼちゃ、ジャガイモ、トウモロコシもやってます。それからもともとは家族農業だったんですが、従業員を10人ほど雇用するようになりました。

家族だけの少人数でやってると、誰かが欠けたら産業として成り立たないんですよね。例えば僕が風邪ひいたり骨折ったりして出せるはずのものが出せなくなると、契約栽培をしているお客さんにも迷惑をかけてしまう。そういう体制では長く続けていけないだろうなと思ったので、人を雇ったんです。雇用したらなるべく1年中仕事がないといけないから、品目を増やして仕事を作ってきたっていう流れです。

ミニトマト

取材日:9月15日
取材・文・写真:成影沙紀

武田ファーム

武田ファーム
武田幸彦 さん

南相馬市鹿島地区で代々続く農家の四代目、武田ファーム代表。神奈川県の農業系の大学を卒業した後に、アメリカの農業研修へ。そこで出会った同年代の農家に刺激を受けて就農を決意。研修中に東日本大震災が発生し、帰国後は5年間群馬県の農業生産法人で営業として働く。2017年にUターン就農し、農地の拡大や栽培品目の追加、従業員の雇用など農園の規模を拡大している。4歳の娘と2歳の娘の父。

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