こんなに面白い場所は他にない。カフェ兼コワーキングスペース開業に見るローカルでの戦い方
気候危機や原発問題、地域の過疎化など、大きな社会のニュースに触れたとき、つい感じてしまう無力感。目の前の課題の大きさに「自分には何もできない」と、感じてしまう人もいるのではないでしょうか。
今回ご紹介する一般社団法人オムスビ代表理事の森山貴士(もりやま・たかし)さんは、およそ10年前、福島県南相馬市に移住。当初は原町区や鹿島区に住み、その後、避難指示区域が解除されたばかりの小高区へ移り住みました。時には貯金が数百円という経験をしながらも、キッチンカーでのコーヒースタンドの運営や青空市の開催、小高の魅力を伝えるイベントの開催や情報誌の作成、常設カフェの開業など、地域の人たちのニーズを汲み取りながら、さまざまな取り組みを実施してきた人です。
2023年7月には、カフェを軸にパン屋とコワーキングスペースを併設する複合施設「アオスバシ」をオープンしました。
森山さんが南相馬市に移住を決断した理由、そして小高区の避難指示が解除されてから、森山さんはこの地域をどんなふうに見つめてきたのでしょうか。また、移住後さまざまな試行錯誤の上で誕生した「アオスバシ」に込めた想いも伺いました。
森山貴士(もりやま・たかし)さん
一般社団法人オムスビ代表理事
立命館大学政策科学部を卒業後、都内ソフトウェア開発会社でITエンジニアとして先端技術研究に携わる。2014年に福島県南相馬市に移住し、地域の課題解決と持続可能なまちづくりに取り組んでいる。2016年「Odaka Micro Stand Bar」を開業、2017年には一般社団法人オムスビを創業。現在は人材育成と地域課題解決に焦点を当て、カフェ事業とITを軸に地域活動を展開している。2023年にカフェを軸にパン屋とコワーキングスペースを併設する複合施設「アオスバシ」をオープン。
来訪者と地域の人の、新しい出会いの場「アオスバシ」
森山さんに会いに足を運んだのは、2023年7月にオープンしたばかりのカフェ兼コワーキングスペース「アオスバシ」。いわき駅から常磐道を利用して車で約1時間の、福島県南相馬市小高区にあります。
かつて「青葉寿司」というお寿司屋さんだった場所をリノベーションし、「アオスバシ」は生まれました。
「青葉寿司の看板が見えると、小高に帰ってきたなあと実感する」という地域の人たちの声が複数届いたため、「青葉寿司」の看板は現時点ではそのままに、名前も地元の人たちに愛された「青葉寿司」へのリスペクトを込めて、「バ」と「ス」の1文字だけを入れ替えて継承しています。
「アオスバシ」の内装は「できることは自分たちでやる」と決め、3歳の子どもから70代の大ベテランの左官屋さんまで、プロ・アマ問わず、たくさんの人が関わりつくり上げていきました。
1階には、電子レンジとトースターを使っておいしくいただける「冷凍パン」や“誰かの推し”であることにこだわって選んだ食品雑貨類、コーヒーなどのカフェメニューが揃っています。なぜ「冷凍パン」なのかは、あとで説明することにしましょう。
集中して働ける場所があれば、遠方から来た人も小高に長期滞在しやすくなるのでは。そんな思いから、リラックス重視のカフェとは違った空間づくりを心掛けたそうです。
地方滞在の際、移住者同士で関わる機会は多くあっても、地域の人たちとの交流が薄いことに違和感を感じていたという森山さん。地域の人たちが日常的に買い物に来るカフェスペースと、移住者や滞在者が利用するコワーキングを一つの建物に集約することで、新たな出会いが生まれてほしいという願いが設計に込められているのです。
やめていった同期たちを想う。ITベンチャーでの5年間
日差しが差し込む1階のカフェスペースの椅子で、取材をスタート。「アオスバシ」のオープンに至るまでには、福島に移住してから10年間コツコツと行動を起こし続けてきた森山さんの物語がありました。
大学を卒業した森山さんは、東京のITベンチャー企業にエンジニアとして就職します。IT企業が鰻登りの成長を見せていた当時、森山さんが勤める会社もいわゆる「イケイケどんどん」な状態。森山さんの同期は約200人、次の年の新卒採用は600人、その次の年には900人と、成長と拡大を続けていました。
「『千尋の谷に落とす』方式の会社でした。入ってばかりの新卒社員たちにいくつもの難題を与え、その中で成果を出せたやつだけが生き残る。
僕が勤めた5年で、残った同期は20人程度。入社当時は「自分たちは優秀だ!」なんて言い合って、自信や可能性にあふれていた仲間が、“仕事ができないやつ”というレッテルを貼られてやめていく。すごく悲しいし、もったいないなと思っていました」
森山さんに芽生えた「残った人と残らなかった人の違いは何だろう」という問いに対して見つけたことは、学生時代に答えのない課題に挑んだ経験があること、ゼミやインターンなどで難題に挑んだ経験があるかどうかでした。
森山さんは、大学時代に自身や友人がどのゼミに入るべきか、大学生活をどう過ごすべきかに迷っている様子から、学生向けの情報発信の必要性を大学へ提案すべく企画書を作成しました。しかし、その企画書は1学年上の先輩から何度も出し直しを求められたのです。
「『なぜその企画が必要なのか』『課題の根本原因は何なのか』『その企画を実施することで本当に課題は解決するのか』と問い詰められて、企画書が全然通らないんですよ。バージョンが48まで達してようやく通りました。47回も出し戻しって、いま思えば変態ですよね(笑)」
その経験を通じて「本質的な課題を突き詰めた上での解決策じゃないと、やる意味がない」ということを徹底的に教え込まれたという森山さん。
「47回もリテイクしてくれる上司なんて、なかなかいないと思います。それなのに、社会人になって急に「課題の解決案を出せ」と言われても、できなくて当たり前です。僕はそういった教育の機会をもっと平等にできたらいいなと思って、退職することにしました」
「東京で100人の人材教育をしてもあまりインパクトがない。でも、人口3,000人ぐらいの小さなまちで100人に教育機会を提供できたら、そのまち自体が変わっていくかもしれない。」そう思った森山さんは、東京を離れることに決めたのです。
エンジニアとコーヒー屋の二足のわらじ
次の仕事、次の場所を探すなかで、知人に誘われ震災から約3年が経った福島県南相馬市小高区に初めて足を運びます。避難指示が解除されたばかりのこのまちは、崩壊した建物や住宅区域に打ち上がった船など、まるで時が止まったような景色だったといいます。
「ゲームでたまに『時が止まったまち』に入ると、BGMがピタッと止まる場面があると思うんですけど、本当にそんな感じでした。まちから音が消えているんです。
『こんなに何もなくなって、これからこのまちはどうしたらいいんだ』と状況を嘆く声ばかりがあがるなか、僕は『逆にチャンスじゃん!』と思ったんです。何のしがらみもない状態から、自分たちが理想とするまちづくりができる。こんなに面白い場所は他にないと思いました。
ここに若者がたくさん集まってくれば、彼らにとっても社会課題に触れるいい機会になりますよね。僕がやりたかったことをまち全体で仕組み化できるのではないかと」
「創業支援・コミュニティ創出」として、コワーキングスペースや宿舎、起業型地域おこし協力隊の管理運営などを行う「株式会社小高ワーカーズベース」が立ち上がったばかりの頃、同じ志を持つ和田智行(わだ・ともゆき)さんと共にフリーペーパーを発刊したり、住民の帰還支援を考えるハッカソンを開催するなど、若者をこの場所に呼ぶための活動をスタートさせます。
そんなある日、避難指示解除を理由に小高区内の高校が再開されることとなりました。しかし、「まちの整備が進んでいないのに、大人の都合で高校だけ再開させるなんて勝手すぎるのではないか」と疑問に思った森山さん。市が実施した高校生向けのアンケート結果をみたところ、「このまちに何が欲しいですか?」という質問に対し「カフェ」という回答が多かったため、中古で買った車を使って自分たちでキッチンカーをつくり「Odaka Micro Stand Bar(OMSB)」をオープンさせます。
他にも地域の人からの要望で、「オムスビマルシェ」という青空市も開催しました。
しかし、森山さんたちの活動は基本的にはボランティア。仲間たちのライフステージにも変化が起き、運営メンバーが集まれなかったり、活動を開始した当時よりも周囲からの関心が減ったこともあって、モチベーションの低下が見られたそう。
「ボランティア疲れしない形で、どうにか活動を続けたい」と思った森山さんは、一般社団法人オムスビを創業。貯めていたキッチンカーの利益をすべて活用し、「Odaka Micro Stand Bar」を常設のカフェに発展させたのです。
お店を構えることで、お客さんが来ない時間はフリーランスとして受けていたプログラミングの仕事に当てることができます。エンジニアとカフェ店員という二足のわらじ。アオスバシをオープンしたいまも、これが森山さんの仕事スタイルとなっています。
「毎日コンビニ弁当しか食ってない」。復興の裏にある、地域の人たちの生活
5年間カフェを経営するなかで森山さんがぶつかったのは「地域の人たちがあまり足を運んでくれていない」という現実でした。来客者の割合で見ると、小高区の方、南相馬市内の方、市外・県外の方がそれぞれ3分の1ずつでしたが、小高区民全体で考えると、実際に足を運んでくれた住民はほんの数%ということになります。
「キッチンカーをはじめて3ヶ月くらい経った頃に、70代くらいのおじいさんが来てくれました。『なんか食いもんないか』と聞かれて、でも僕らは飲み物しか用意がなかったから『すみません、ありません』と伝えたんです。
すると、『ここに帰ってきてから毎日コンビニ弁当しか食ってない。こんなはずじゃなかった』とぼそっと口にして、寂しそうな背中で帰っていきました。避難指示が解除されて満を持して地元に帰ってきたのに、実際は一人でコンビニ弁当を食べる毎日。行政中心に実施されている『復興』と、地域の人たちの生活には大きな隔たりがあるんです。移住者同士のつながりの中だけにいると、たくさんの若者がやってきて小高は盛り上がっていると感じてしまいますが、実際は地域の人たちの生活って何も良くなっていなかったことに気づきました」
「カフェを続けることで、地域の人たちの生活が本当に良くなるのだろうか。」そう疑問に感じたことに加え、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、ビジネスとしてもカフェという形態に限界を感じ始めていました。そこで次なる一手となったのが、今回の取材場所「アオスバシ」だったのです。
「アオスバシ」の1階には、地域の人たちが日常的に買いに来たくなるようなパンや食品雑貨が集まっています。一方、2階のコワーキングスペースは、移住者やワーケーションにきた滞在者向けのスペース。普段あまり出会うことのない、地域の人と来訪者をつなぐ場所でありたいという想いが込められています。
「来訪者の方々は、僕のように何か事業をやっている人には会いに行くけど、実際の地域の人の声を聞くことってほとんどないと思うんです。
積極的に声をかけろと言いたいわけではないですが、2階で仕事しながら、1階に買い物に来た地域のおばちゃんたちの会話が聞こえてくるだけでも、このまちに抱く印象って全然変わってくると思うんですよね」
しかし、「アオスバシ」オープンから数ヶ月、森山さんが想像していたよりも売り上げが伸び悩みます。地域の人たちがパンを日常的に食事として食べないことはわかっていたのですが、「美味しいパンが食べられるなら、たまには利用してるだろう」という思惑が外れたのです。取材日の数日前までは、ものすごく落ち込んでいたそう。
「パンは炭水化物だから『おやつ』という認識の人が多いみたいなんですよね。だから、スープやサラダをセットにして、体にいいメニューを用意したいなと思っています。
あとは、『アオスバシ通信』という回覧板があるんですけど、そこに『今月は赤字でした』と書いて配る予定です。
というのも、赤字だから大変なんだということを伝えたいのではなくて(笑)、収支を含めた状況や課題認識、改善案、地域の人たちにお願いしたいことなどをきちんと丁寧に伝えていくこと、そして、通信をきっかけに地域の人たちがもう少しアオスバシという場所に関わってくれるようになればと思っています。
若者、高齢者、移住者、というラベルを取り除いて、みんな一緒に地域を盛り上げていく当事者になっていくような、そんな環境をつくりたいですね。」
ある日、貯金が数百円に。それでも「やめないで済む戦略」を考えた
森山さんが初めて南相馬にやってきてから約10年。1台のキッチンカーから活動をスタートさせ、「アオスバシ」のオープンまで走りつづけてきました。しかし、移住後の最初の3年間は、報酬の未払いがあったりして、貯金が3桁まで減るという危機がありました。
「貯金が3桁だとATMから引き出すことさえできないんですよ(笑)。当時はプログラミングの仕事の報酬を先払いしてもらって、首の皮一枚でどうにか乗り切りました。当時のことは正直あまりよく覚えていなくて。生きることで精一杯でした」
そんな経験もあったからこそ、森山さんは「やめないで済む戦略」をとるようになります。いきなり店舗を持つのはリスクがあるから、自分たちでつくれるキッチンカーからはじめる。いきなり自家製パンをつくるのは設備にお金がかかるから、おいしい冷凍パンを仕入れるところからはじめる。
小さくはじめて、地域の人たちのニーズを見分けながら柔軟に調整。合理的に、そして着実に積み重ねていく姿が森山さんの活動歴に残る印象です。
自家製パンをつくるためには、その設備や知識を持ったパン職人が必要。一方、冷凍パンであれば、たくさん買い込んでも日持ちするし、プロがつくった品質のパンが食べられる。小さなまちならではの、持続可能な飲食業を実現させるために森山さんがとった戦略だ
2023年7月に開催された、ふくしま12市町村移住支援センター主催のトークイベント「ローカル開業&起業の現在地 in ふくしま12 」の際、森山さんは「移住や開業を積極的に肯定するつもりはない」と、移住・開業に関する自身のスタンスを明確に示しています。その理由を聞いてみました。
「この地域は、確かにゼロイチはやりやすいけれど、立ち上げた事業を続けていくためのリソースが足りていません。現在ビジネスを上手に展開している人たちは、コネクションづくりがすごく上手だったり、始める前から確かな技術を培っていた人たちが多いのが現実なんです。
そこにまだ自信が持てないようであれば、僕のようにリモートでできる仕事を一つ持っておくとか、在庫ゼロでめちゃくちゃ小さくはじめるとか、うまくいかなかったときに地元に帰る貯金は残しておくとか、ある程度リスク分散しておくのがいいのではないかと思います」
博打のように動き出すよりも、リスクも自分でコントロールできたほうが心も安定する。森山さんは移住・開業を検討する若者たちに対して、現実的な部分も含めてアドバイスをするよう心掛けているそうです。
「若者に対して、僕が無闇にローカル起業をすすめないのは、ゼロから人を育てられる余裕がない地域がほとんどだから。せっかく移住したのに、自信をなくして帰っていく人たちを見るのは悔しいんですよ。だから、僕はこうやって正直に伝えるようにしています。
ただし、若い人でも人付き合いがめちゃくちゃ上手な人はうまくいくかもしれませんね。足りないリソースを補う唯一の方法は、人と力を合わせることだと思います」
実際に、オムスビのチームは森山さん以外の人も二足のわらじの人がほとんど。移住前に培ったスキルでフリーランスとして働いたり、中には行政の仕事をしながらオムスビに携わるメンバーもいます。複業の場合、一人ひとりは半人力だったとしても、2人、3人とチームを組めば、それなりの力にはなるはずです。おまけに、それぞれ自分でリスク分散ができているからこそ、持続可能なチームとなっているとも言えるかもしれません。
100人に1人の天才ではなくて、残り99人の「やってみたい」を叶える
「地方にはゼロから人を育てられる余裕がない」という課題に対して、前職から人材育成に関心のあった森山さんが今後トライしたいことはあるのでしょうか。
「僕ができることは、リソース上まだまだ少ないなあと感じています。でも、『オムスビ』や『アオスバシ』を通じて『やりたかったことができるようになった』と言ってくれる人を増やすのが一つの目標ですね。
年齢や経験不足によって、やりたいことをあきらめてしまう人を見るのは悔しいので、小さくてもいいから一歩目を踏み出せるようなサポートを可能な限り増やしていきたいと思っています」
例えば、「いつかカフェの店員をやってみたい」という夢を持っていた人を「アオスバシ」の店員として雇ったそうです。他にも、「アオスバシ」で生花教室やネイルサロンを単発で開催するなど、いきなり自分のお店を持つのはリスクが高くて難しいことでも、この「アオスバシ」を使ってやりたいことを実現させた人たちがいます。
「アオスバシ」に訪れた人たちの「いつかやりたい」を一つずつ叶えていく。それがいま、森山さんができることだと言います。
「僕が応援したいのは『社会課題や地域の課題を解決したい』という大きな志を持った若者ではなかったのかもしれないなって、最近思うんです。
社会課題に向き合うって、結構しんどいことなんですよ。社会を変革するためには、自分の足りない部分や厳しい現実に正面から向き合う必要があります。社会課題に対してそれなりにいろんなことに挑戦してきた僕ですら無力感を感じる瞬間があるのだから、『自分はそこまではやれないな』と思う人がほとんどなんじゃないかな。
でも、『いつかカフェの店員をやってみたい』とか『いつか生花教室をやってみたい』とか、人生の中で一度でもいいから叶えてみたい夢を持っている人はたくさんいると思うんです。
僕が応援したいのは、社会課題に正面から向き合えるような100人に1人の天才ではなくて、残りの99人のほうだったんだなって」
思えば、森山さんが地域で活動するきっかけとなった前職での葛藤にも通ずるように思います。同期200人のうち、生き残った20人の力を最大化することよりも、会社を去っていった180人の人たちを救い上げるために、自分ができることは何か。それを考えることから、森山さんの第二のキャリアが始まっていたのです。
社会課題という大きくて難しい問題にぶつかったとき、私たちは自分自身の「できないこと」「足りないこと」に目を向けてしまいがちです。しかし、森山さんの「小さく始める」「やめない道を考える」というマインドセットは、前職で身につけたことや自分の好きなこと、得意なことなど、例え小さくても「できること」「あるもの」に目を向けるというあり方を示しているのかもしれません。
「リスクのコントロールも考えておいたほうがいい」という移住者へのアドバイスも、叶えたいことを夢物語で終わらせず着実に進めてほしいという、愛あるゆえの厳しいメッセージだと感じました。
夢を描くだけでなく、現実にしていくために、今日は何を考え、何をするべきなのか。森山さんが歩んできた10年間には、その問いに対する多くのヒントが隠れているかもしれません。
取材・文:佐藤伶 撮影:中村幸稚 編集:増村江利子
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