イベント

【移住セミナーレポート】『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』vol.11「関西出身者が大活躍する福島12市町村」編

2024年3月1日

    ふくしま12市町村移住支援センター主催の移住セミナー『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』は、福島県内で活躍するゲストとの交流を通し、福島12市町村での暮らし、働く魅力を知ることができるセミナーです。

    2024年1月13日(土)に、大阪にて「関西出身者が大活躍する福島12市町村」編を開催しました。

    前半では、関西と福島12市町村につながりのあるゲストの方々が、実際に福島12市町村での挑戦や移住を決めたきっかけやその魅力について、それぞれの活動紹介やパネルディスカッションでお話しいただきました。

    そして、後半では福島12市町村の各種支援金制度の説明や、ゲストに直接質問や相談ができる座談会、移住担当スタッフに相談できる個別相談会を実施しました。

    タイトルの通り、ゲストの関西出身者の方々が福島12市町村で大活躍されているリアルなお話しを通して、より福島12市町村の魅力や現地へ足を運びたくなるような充実した内容のセミナーとなりました。

    第1部 ゲストによる活動紹介 / パネルディスカッション

    丹波史紀 / 立命館大学産業社会学部 教授

    1973年愛知県生まれ。現職:立命館大学産業社会学部・教授(博士:社会福祉学)2004年より福島大学行政社会学部(現:行政政策学類)、2017年4月より立命館大学産業社会学部にて教鞭をとる。2011年の東日本大震災および原子力災害以降、双葉郡住民実態調査を3回にわたり実施し、原子力災害によって被災した住民の生活再建について研究。浪江町・大熊町・双葉町などの復興計画策定にも携わる。福島県内の復興支援に取り組む民間団体の中間支援組織、ふくしま連携復興センターの前代表理事なども務める。

    <丹波さん>
    私は愛知県出身で、現在は京都にある立命館大学産業社会学部の教授をしておりますが、以前(2004年〜2017年)は福島の大学で教員をしていたため、しばらく福島に住んでいた経験があります。2011年の東日本大震災当時も福島にいたため、避難を余儀なくされた自治体の復興計画策定などにも携わらせていただきました。震災から13年近くが経った今、皆さんには「福島の被災をした人たちが、自らのふるさとを取り戻そうと懸命に努力している」ということをお伝えしたいです。

    福島12市町村の多くが属している「浜通り」では、一部を除いてほとんどの地域の避難指示が解除され、徐々に地域の暮らしを取り戻してきました。私は、とある役場職員の方が語ってくれた地域への考え方がとても印象に残りました。

    それは、「”地域に戻ってくる人が少ない”とも言われますが、ここは一度避難指示で誰もいなくなった地域なんです。そこから1人増え、2人増え…..。これからも徐々に増えていく。楽しみしかないです。」というもの。避難指示が解除された多くの地域では、新しい変化が日々生まれているのです。

    また、福島を訪れた関西の学生からは「関西にいたら多くの人で埋もれてしまうけど、福島では自分たちがやったことがすぐに変化に直結するのが実感できます。」という感想も寄せられました。

    さらに福島12市町村では、伝統的なお祭り・イベントによって地域を盛り上げようとする動きに加え、新しい交流・飲食・教育施設の立ち上げや地域資源を活用したビジネス展開など、新しいチャレンジも多く見受けられます。

    こうしたチャレンジをしているのは福島県内出身者だけでなく、実は県外出身者で福島に移住をしてきた方もとても多いのです。皆さんそれぞれが想いを抱いて、懸命に新たな挑戦をしているということを、ぜひ多くの方に知っていただけたら嬉しいです。

    葛西優香 / 東日本大震災・原子力災害 伝承館 常任研究員

    大阪府出身。2009年リクルート入社。2012年1月〜、防災FM局(葛飾エフエム放送)での放送業務に従事。 現職では、復興過程におけるまちづくりをテーマに浪江町に居住し、研究と実践を続けている。 2020年3月、法政大学人間社会研究科修士課程修了。2023年3月〜東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 社会情報学専攻 修士課程 修了。現在、同博士課程在籍、(株)いのちとぶんか社 取締役、防災士。

    <葛西さん>
    私は大阪出身で、現在は福島県浪江町に移住をし、東日本大震災・原子力災害 伝承館の常任研究員を務める傍ら、株式会社いのちとぶんか社の取締役、東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 社会情報学専攻 博士課程にも在籍しています。

    「地域のつながりが災害時に命を救う」をモットーに、地域の特性や歴史を生かしたコミュニティづくり、様々な防災対策を推進しています。具体的には、地域みんなで備えるための講座やセミナー、ワークショップ等を開催をしています。

    私が福島県浪江町に移住したきっかけは、福島県浪江町の職員の方が東京で開催してくださった「防災に対するコミュニティのセミナー」でした。町の方の生の声に感化され、私も自分の目で町を見てみたいと思い、2017年10月に初めて浪江町へ足を踏み入れました。避難指示が解除されたのは同年3月で、解除から半年が過ぎていましたがまだまだ人はおらず、音もほとんど聞こえない、そんな状態でした。

    しかし、「ここに必ずコミュニティが戻ってくるはず。ここで見えるものをしっかりと記録していけば、現代に必要とされるコミュニティを示すことができるんじゃないか」と思ったんです。また、浪江町で活動されている方の「ここで生きる」と決めた覚悟に感銘を受け、移住をしたいと思うようになりました。

    そこでネックになるのが仕事の問題。当時は東京を拠点に活動をしていたため、移住は難しいのかもしれないなと考えていました。

    そして、そこにやってきたのが新型コロナウイルス感染症です。蔓延防止に伴い「リモートワーク」という働き方が浸透してきたため、「リモートワークという手段で、私の移住が叶えられる!」と思い、2021年10月に浪江町へ移住。翌2022年4月から、東日本大震災・原子力災害 伝承館の常任研究員として働かせていただき、そこで得た研究結果を基に会社(株式会社いのちとぶんか社)として町で実践を行う、というサイクルで活動をしています。

    地方へ移住をしてコミュニティに入るとしがらみがあったりして窮屈な思いをするんじゃないかと思われがちですが、今の浪江町は全然そんなことありません。一度ばらばらになってそれぞれが選択を求められたことを強いられた方々なので、個の想いを非常に尊重してくださいます。

    移住をして色々と頑張り過ぎてちょっと疲れたときに癒してくれたのは、町民の方々でした。「背負いすぎることないよ。あなたがやりたいことをこの町でやればいい」。移住をしても頑張り過ぎず、自分らしさを大切にしてもいいんじゃないかなと思います。

    浪江町に移住してから2年と少し。肩の力を抜いてお話しできる仲間ができたり、大好きなご近所さんとサポート体制ができたりと、達成できたことが沢山あります!

    最後になりますが、移住を検討されている皆さんには、ぜひ「直感」を大切にしていただきたいです。「移住=何かを達成しなければならない」と思わず、自分にとっての「快適」を諦めないでください。

    森山貴士 / 一般社団法人オムスビ 代表理事

    大阪府出身。ソフトウェアエンジニアを経て震災後の2014年に福島県南相馬市に移住。企業や行政のDX支援をする傍らで、情報誌の発信、キッチンカーでのコーヒースタンドの運営、青空市の開催、など地域のニーズを汲み取りながら活動を続けている。現在は震災後休業状態となった寿司店をDIYでリノベし、パン屋カフェを核とする私設公民館「アオスバシ」を運営しながら、過疎地域での持続可能で幸福な地域づくりに取り組む。

    <森山さん>
    私は大阪出身で2014年に福島県南相馬市小高区に移住し、2017年に一般社団法人オムスビを立ち上げました。

    小高に移住する前は、東京のIT企業でソフトウェアエンジニアとして働いていました。私が入社した当時は社員約1,000人だったのが、5年後に退職する際には約5,000人の規模になっていたんですね。その企業は大量採用はするけれど、採用した後に人を育てるということはあまりしていなかったんです(笑)。せっかく優秀な人材が「活躍したい!」と思って入社したものの、思うようにスキルや経験が積めずに疲弊してやめてしまう方が多くいました。

    こうした状況を目の当たりにして、「社会人になる前に、じっくり人材を育てる環境が必要なのでは?」と思うようになったんです。そして、そのフィールドは「地方」にした方が面白いだろうと考えました。大阪で凄腕のプログラマーを100人育てても、多分何も起きないと思うんですけど、小高で同じことが達成できたら町の景色を変えることができるので。こっちの方が面白いなと思ったことが移住をしたきっかけでした。

    この福島県南相馬市小高区は避難指示によって一度ゼロになった町です。だからこそ、地域のしがらみにとらわれず、1から地域の仕組みを作っていける。誰も成功をしたことがない地だから、失敗が恥ずかしくないんですよ。だからそういう課題に挑戦できる”興奮するフィールド”だと思うんです。

    ITの仕事だけではこの地域では何も広がらないということに気づき、現在は一般社団法人オムスビで地域を盛り上げるさまざまな取り組みをしました。ITの活用法を教えるイベントや、フリーペーパー作成、キッチンカー、生鮮食品の青空市の開催、キッチンカーで出していたコーヒーでカフェを開いたりしてましたが、、今はパンとカフェコワーキングスペースが併設された「アオスバシ」の運営など、この他にもたくさんの取り組みに挑戦しています!

    最後に、移住を考える皆さんにメッセージをお伝えさせてください。私自身、地方に関わらず、やりたいこと・皆がやっていないことをやって生きていくのは難しいということを痛感しましたし、皆さんの中にも共感していただける方は多いんじゃないかなと思います。

    まずは、一度やりたいことと得意・稼げることを分けて考えてみてほしいです。移住するときには、もちろん「得意分野でやりたいことにチャレンジしたい」と思う方がほとんどだと思います。でも、なかなか実現が難しいですよね。

    そんな時は、「”地域でやる”と”食っていく”は別でもいい」という考え方をぜひ持っていただきたいです。

    この2つを上手く掛け合わせることで、挑戦への障壁がぐんと下がるのではないでしょうか。

    そして「やりたくないことをやりたい」にするのは難しいですが、「やりたいけどまだ得意ではないこと」は練習した分だけ得意になるので、出来るだけ早く挑戦することがおススメです!

    オムスビでは「1日移住」というキャンペーンを始めました。このキャンペーンは、お店の店長として働く、自分で仕入れてきた商品をここで売るなど、短期間でも地域に受け入れられるかを試すことができます。小高に移住を検討している方がいらっしゃれば、ぜひ移住前にご利用ください!

    河本凪紗 / 株式会社ホップジャパン 広報・営業

    大阪府出身。立命館アジア太平洋大学卒業。在学中にアフリカのウガンダ、福島県田村市でインターンを経験。卒業後は東京のIT会社に就職したが、久々に訪れた田村市都路町にあるクラフトビール醸造所でのイベントがきっかけとなり移住を決意。2021年醸造所を運営する株式会社ホップジャパンに入社。現在はSNS運用、WEBマーケティングなどクラフトビールの販売促進に注力する。

    <河本さん>
    クラフトビール醸造所を運営する株式会社ホップジャパンで働いている、河本と申します。私は出身が大阪で、大分県の大学に通っていました。大学を1年間休学して、海外でワーキングホリデーやインターンシップを体験するなど、好奇心旺盛な学生でした(笑)

    帰国後は就活をして、無事東京のIT企業から内定を頂くことができました。そうして迎えた大学生最後の休みに、福島県田村市でインターンを経験しました。

    田村市でインターンを始めたのは、2016年の熊本地震で抱いた東日本大震災への想いがきっかけです。私は熊本地震が発生した当時、大分県の大学在学中だったため、大学の建物が破損しているのを見たり、私自身も数日間避難生活を体験したりしました。熊本地震も多くの被害が出ましたが、それ以上に大きな揺れで甚大な被害が出た東日本大震災のことを、私は何も知らないなと思ったんです。

    そのため「いつか時間ができたら、一度自分の目で東北の姿を見に行きたい」と思っていました。私はとてもお酒が大好きなこともあり、クラフトビールを造っている株式会社ホップジャパンでインターンシップが始まったことを知り、田村市都路町へ来たという経緯になります。

    インターンで2019年に現地を視察した時に、想像以上に当時のまま残されているような印象を強く受けました。2011年から8年過ぎてもこのような状況に本当に衝撃的でした。

    大学卒業後は内定を頂いていたIT企業へ就職しましたが、IT企業での働き方が自分と合わず、1年で退職しました。これからどうしようかと悩んでいた時、田村市のインターン時代に知り合った仲間からのお誘いで都路町に戻ることにしました。まず一番に地域の方々からの「よく帰ってきたね」という温かい言葉が心にしみました。またインターンでお世話になったホップジャパンの急成長や、学生時代に訪れたときの福島や都路町の大きく変貌した姿にびっくりして「これは面白い!」と、こんな場所で働いてみたいと思い、ホップジャパンの社長に「ここで働かせてください!」と直談判しました。

    今はホップジャパンで営業・広報の担当をしています。ホップジャパンでは、日本では珍しく原料であるホップから作っていて、栽培はすべて田村市で行っています。「クラフトビールを通じて福島を知っていただく」ということをモットーに日々ビール造りに励んでいます。

    移住を考えている皆さんにお伝えしたいのは「小さなきっかけが多くの気付きを与えてくれる」ということです。私自身も、友達からの「一度、福島に来ない?」というひとことがなければ、今の状況はありません。移住というのは、大きな覚悟が必要だと思いますので、まずは「ちょっと遊びに行ってみようかな」くらいの軽い気持ちで足を運んでみていただきたいです。

    パネルディスカッション

    <丹波さん>
    パネルディスカッションでは、私がファシリテーターを務めさせていただきます!まずは、河本さん。ぜひホップジャパンでの活動をもっとお聞かせください。

    <河本さん>
    話したいことが沢山ありすぎて、先程の時間だけでは伝えきれませんでした(笑)
    ホップジャパンでは、地域で育てた麦を使用しているとご説明させていただきましたが、東北で育つ麦はとても優秀で美味しいんですよ。「麦で田村市都路町を盛り上げたい!」と思っています。

    実はホップジャパンは麦の栽培、ビールの醸造だけでなく、キャンプ場やさまざまなアクティビティが楽しめる公園・広場などが一体化した「グリーンパーク都路」の運営も行っています。毎年8月には、一般のお客さんを対象に「ホップ(麦)収穫」というイベントも行っているので、ぜひ皆さん遊びに来てください!

    <丹波さん>
    ありがとうございます。河本さんはビール造りや麦収穫、葛西さんは伝承館のご案内、森山さんは「1日移住」のキャンペーン。移住を考えている皆さんは、本日のゲストお三方の活動を介して福島に足を運ぶ機会につながることもありそうですね。そういうきっかけから「福島を知ってみる」というのも素敵だなと思います。

    <森山さん>
    それ、すごく共感します。私は旅するときに、ただ観光地を巡るよりも、「人」を目当てに行くとより面白くなる気がしているんです。地域に住んでいるからこそ知っている魅力をたくさん聞けるので、まずは軽い旅行感覚で来てもらえたらなと思いますね。

    <河本さん>
    私は移住を決断してから引っ越し完了まで2か月間という短い期間で諸々を決めたので、物件探しは大変でした(笑)都路町はあまり物件が多い方ではないので、理想に合致するところを見つけるのはなかなか難しかったですね。

    <葛西さん>
    私が移住した浪江町は結構物件数は多いものの、私の主人が和太鼓奏者なので「太鼓を叩ける場所が良いんですが…」という難しい要望を出してしまいました!(笑)不動産会社の方が条件に合う物件を丁寧に探してくださって、無事納得する家に住むことができました。浪江町は徐々にアパートも建ち始めています。嬉しいことに移住者の方も増えてきているので、早めに物件を探してみるのがおすすめですね。

    そして、都会にいるとスーパーも24時間営業のコンビニも身近に多くあって、地方に移住すると便利さが足りていないことに不安を感じる方も多いのではないでしょうか?でも実際に移住してみると、足りちゃうんですよ!町にスーパー1軒、コンビニは20時閉店、それでも十分な暮らしができるんです。

    <河本さん>
    すごく分かります!私も、都路町に来てから「私は本当はこういう暮らしが好きだったんだな」と気付きました。今では朝起きてすぐに日光を浴びるルーティンがあるのですが、それが本当に幸せで。移住してから、新しい発見がたくさんあります。

    <丹波さん>
    日光浴、いいですね!森山さんは移住当初、どのような暮らしをされていたんですか?

    <森山さん>
    私は移住当初、上手く収入を確保することができず、生活が苦しかった時期がありましたね。その体験もあって、「やりたい!」という気持ちで挑戦することはもちろん大切ですが、しっかりと生活を成り立たせることができる「生業」も持っているといいなと思います。

    自分が納得できる生活ラインは人それぞれ絶対にあるはずです。そこを確保するためにどうするかをある程度決めておいてから、移住を考えるのがおすすめですね!

    <葛西さん>
    そして福島は車社会ですよね。私は元々車を運転していたので簡単に溶け込めましたが、車を運転してこなかった方は大丈夫かな?と心配に思うこともありました。しかし、車を運転しない代わりに自転車を主な移動手段にしているという方も多く、不便なく生活できているという人がほとんどです。最近では電動キックボードやシェアバイクで移動している人もいて、交通の面での不安はあまり感じないなという印象です。

    <丹波さん>
    皆さんありがとうございます!それでは最後に、移住を考えている方に一言ずつよろしくお願いします。

    <葛西さん>
    「地方は干渉してくる人が多いんじゃないか」という心配を抱えている方もいるのではないのでしょうか?しかし、浪江町は本当に必要な時に手を差し伸べ合うコミュニティができているんです。一度避難を経験して苦労された方が多い地域だからこそ、距離感を大切にした思いやりが芽生えているのだろうなと思います。

    <森山さん>
    小高は人のコミュニティをすごく大切にしている、温かい場所だと感じています。小高は「原発」という自分たちがコントロールできないもので避難を余儀なくされた地域だからこそ、もう一度助け合って自分たちの力でコミュニティを築きあげようとしているのがとても魅力的だと思います。ぜひその魅力を感じに来てください!

    <河本さん>
    移住をするというのは大変なことではありますが、小さなきっかけが多くのことを気付かせてくれるチャンスだなと思います。そして、都路町には私の「やってみたい!」という挑戦を応援してくれる方がたくさんいて、ワクワク感が溢れている地域です。私も移住して3年目ですが、ぜひ皆さんも一緒にこのワクワクを感じていただきたいです。

    <丹波さん>
    ありがとうございました。本日は「移住」がテーマではありましたが、まずは軽い気持ちで「地域を知る」ことから始めてみるのが第一歩ですね。本日のセミナーが、移住を考える皆さんの背中を後押しする、そしてゲストのお三方の活動とも繋がる、そんなきっかけになれば幸いです。

    第2部 座談会・個別相談会

    座談会では参加者がゲストに実際の暮らしについて質問をしたり、個別相談ブースでは移住担当スタッフにより個人的な疑問を解消し、情報収集ができる時間となりました。

    座談会では、ゲストが実際に活動している地域の復興の様子や、そこで新たに生まれている活動の状況など、多くのご質問・相談が寄せられ、それに対して一人ひとりに丁寧にアドバイスをされていました。とても和やかな雰囲気で、参加者の皆さまが時間いっぱいまで、ゲストと交流されていました。

    個別相談会では、福島12市町村はどのような特徴がある地域なのか、気候や交通手段、教育機関などそれぞれが疑問に思うことを気軽に相談されている姿が目立ちました。

    特別企画 福島12市町村の特産品の試食会&ミニ物産展

    (左上)B級ご当地グルメの祭典、B−1グランプリで大賞になったこともある浪江町の「なみえ焼きそば」
    (右上)FOOD PROFESSIONAL AWARD2021で3つ星(金賞)を2年連続で受賞した南相馬市の「クリームチーズ味噌漬け」
    (左下)浪江町に蔵を構える鈴木酒造店の日本酒「いわき壽」と田村市・玄葉本店の日本酒「あぶくま」
    (右下)同じく鈴木酒造店の「木桶醬油と本みりん発酵糖のおかき」

    また当日は特別企画として、福島12市町村を食から味わう特産品の試食会・ミニ物産展も開催しました。試食品として、南相馬市のクリームチーズのみそ漬、川俣町の川俣シャモパス、そして同じく浪江町の磐城壽の日本酒などを、参加者の皆さまに味わっていただきました。

    座談会・個別相談会の「もっと話そう延長戦!」では、河本さんが勤められている田村市のホップジャパンのビールの試飲も開催し、さらに和やかな雰囲気で、福島12市町村について食からも現地を知っていただき、座談会を楽しんでいただくことができました。

    今年度、全6回にわたって開催する移住セミナー『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』の第5回目となる今回は、大阪と福島12市町村に縁のあるゲストから、それぞれの移住に向けた物語や各市町村の魅力、そして具体的な移住に向けたアクションなどのアドバイスを聞くことができました。

    今年度に開催予定の未来ワークふくしま移住セミナーに関する最新情報は特設サイトよりご覧ください。皆さまのご参加を心よりお待ちしております!

    第11回セミナーのダイジェスト・全編動画を公開しています (YouTube)

    ダイジェスト版 (全編動画はこちからご覧ください)

    ■2023年度未来ワークふくしま移住セミナーの特設サイトはこちら
    https://mirai-work.life/lp/seminar2023/

    セミナーの申込はこちら

    ツアーの申込はこちら