フリーランスとして半年間の“事前営業”を経て南相馬市へ
- 移住したきっかけ
パートナーの故郷に興味を持ち、こんな環境で暮らしてみたいと思った - フリーランスとしての案件獲得法
移住前の徹底調査・営業、現地での出会いを通じたネットワーキング - これからの目標
今までと違うことに挑戦し「半フリーランス半〇〇」の生活を計画中
大阪出身、長野県で会社員をしていた春田修平さんが、それまで縁もゆかりもなかった福島県浜通り地方を初めて訪れたのは2019年9月のこと。新地町出身のパートナーと出会ったことがきっかけでしたが、その時点ですぐ移住を決めたわけではありませんでした。その後、退職して独立を果たし、2023年7月南相馬市へ引っ越すまでにはどのような経緯があったのでしょうか。
銀行、情報誌、ホテルで実績を積み独立
――現在フリーランスとして活動されていますが、それまでのご職歴を簡単に教えてください。
最初の就職先は関西の地方銀行でした。もともと地域に貢献する仕事がしたいという気持ちがあったからです。ただ、3年勤めて自分の求めるものとのギャップを感じ、株式会社リクルートに転職。長野県で旅行情報誌の営業を担当しました。実は銀行員時代はまったくダメな営業マンだったのが、ここでかなり鍛えられて全国トップクラスの成績を残すまでになったんです。その後は、長野県内のホテル2社でマーケティング・広報の仕事に携わり、実績を積み重ねました。ただ、いずれは独立することが目標だったので、2022年8月に会社員を卒業、WAGAYAの屋号でフリーランスとして開業して現在に至ります。
――今はどんなお仕事をされていますか?
培ってきたスキルを活かし、SNS広告運用、ウェブサイト制作から販促戦略の立案、集客支援コンサルティングまでマーケティング全般、すなわち“売れる仕組みづくり”に関するサービスを提供しています。クライアントは福島県内各地にいますが、特に浪江町でのご縁が多く、日産自動車が町内で運営している「なみえスマートモビリティ」(デマンド型乗合バス)の広報支援を受託しているほか、請戸漁港でのシーサイドシネマ(屋外映画上映会)集客広告の運用なども担当しました。
――移住してまだ数か月なのに、どうやって現地の顧客を開拓したのですか?
移住する前、2022年11月から約半年かけて福島県内を営業して回ったんです。準備もせずに引越して「やっぱりお客さんいませんでした」という訳にはいかないですからね。自分の商いにどのくらい需要があるのか調査するため、およそ月1回、長野から福島まで出かけ、あちこちでヒアリングや飛び込み営業をしました。最初の頃は役場の産業課や商工会などの人たちにマーケティングの話をしてもぜんぜん通じなくて、正直「こりゃあかん」と。でも、やめられなかった。うまくいかなくても楽しかったんですよね。そのとき初めて、会社や上司に言われた通りではなく自ら考えた営業戦略を実行していたからです。ただ、まだ開業して間もなく経費がかけられないので強行軍でした。6泊のうち5泊は車中泊なんてこともあったし、高速代も節約して片道8時間くらいかけて下道で往復していました。
人が住んでいるとは知らなかった双葉郡へ
――それほどまでして福島県浜通りに移住したいと思った理由をお聞かせください。
そもそもこの地域に興味を持ったのは、自分のいちばん好きな女性がどんな環境で何を見てどう育ってきたのか、それを知りたいと思ったから。リクルート勤務時代に知り合った今のパートナーが福島県新地町出身だったのです。2019年秋ごろから彼女の故郷とその周辺を訪ねるようになりました。新地や(その南隣の)相馬の風景って、なんとなく自分が生まれ育った場所(大阪府富田林市)と似てるんですよ。私の故郷に海はないけど、田畑が広がっていて山の向こうに日が沈む景色が同じだなって。彼女も将来は新地に戻りたいと言っていたこともあり、こんな環境で彼女と一緒に自分の人生と向き合いながら生きていけたらいいな、と思うようになりました。それで、会社員を辞めた時点で具体的に移住を計画し始めたのです。
――でも新地は浜通りの北端で、今お住まいの南相馬や活動のメインである浪江からは離れています。
浜通りを訪れるようになって最初の頃は、たしかに相馬市より南にはほとんど行く機会はありませんでした。原子力災害の被災地として双葉郡(浜通り中部、浪江町~広野町の8町村)という地域があることは認識してましたが、実はまだ全域で避難が続いていると思ってたんです。新地出身の彼女でさえ双葉郡のことはほとんど把握してなかった。同じ浜通りでも郡が違うと(注:新地町は相馬郡)お互い知らないことが多いんですよね。
転機は2023年4月。営業活動の甲斐あって福島県のとある事業を手伝うことになり、大熊町に行く機会がありました。そのとき、ただ通過するだけで右左折できないと思っていた国道6号から曲がって町内へ入れると知ってビックリ。さらに打合せ相手から町内に人が住んでいると聞かされてますます驚愕しました。これは自分の知らないことだらけだぞ、双葉郡というところをもっと知りたい、と思うようになったのです。さっそく郡内で1か月利用できるお試し住宅を探し、5月中旬からひと月、浪江町に滞在してみました。
――だからお仕事は浪江町内の案件が多いのでしょうか。
お試し滞在中、たまたま浪江町在住の小林奈保子さんという女性と知り合ったのが大きいですね。小林さんは交流の場づくりなどの活動をする任意団体「なみとも」の代表をされていて、僕にとって「地域への扉」を開けてくれた人です。小林さんを通じていろんな人と知り合えたし、小林さんと話すことでこの地域のリアルな課題が見えてきて、具体的な活動開始にもつながりました。マーケティングの仕事とは別に任意団体「はまなび」を立ち上げて、この9月から「てらこや浜セン」という子ども向けのコワーキングスペースの運営を開始しましたが、これもお母さんワーカーである小林さんから「家と学校以外に子どもの居場所がない」「子どもの数が少なく切磋琢磨する環境にない」といった事情を聞いたのがきっかけです。
地域全体の一体的PRを加速したい
――住まいを南相馬市原町区に決めた理由は何でしょう。
各市町村の環境や移住支援制度はかなり細かく調べました。そのなかで自分にとっては南相馬市の支援策がいちばん手厚く情報も取得しやすいと感じたこと、それに私はよく買い物をするので、その意味で生活環境の整った場所がいいと思ったことが理由です。それから、彼女も私に続いてフリーランスのデザイナーとなり、相馬を中心に活動を始めたので、浪江と相馬の中間にある南相馬市は合理性がありました。ちなみに、この地域はリモートワークのための施設が充実しています。都会で1日コワーキングスペースを借りたら結構な出費ですが、こちらは無料または格安の施設が多く、もちろんWi-Fiも完備しています。フリーランスには助かりますね。
――これからやっていきたいことを教えてください。
マーケティングの観点から見て、将来この地域が生き残るためには外からもっと人を呼び込まなければいけないし、その際は浜通り全体がひとつの縦ラインで対外PRしていく必要があると考えています。だからまず双葉郡と相馬地域がお互いをよく知らない、なんていう状況はなんとかしないと。それぞれ相馬と浪江を中心に活動している彼女と私が、仕事を通じてその「見えない壁」を破り、一体的なPRを加速していけたらいいですね。
私はいま33歳。会社員なら中堅でしょうが、ここではまだ若手としていろんなことに挑戦できる。そんな環境が気に入っています。近い将来、これまでと全然違う分野の仕事と組み合わせて「半フリーランス半〇〇」のような生活ができないかと計画中です。あとは、私はお酒が好きなので、おいしい日本酒とおいしい魚に囲まれて、彼女の笑顔を見て過ごせれば幸せですね。
春田修平(はるた しゅうへい) さん
1990年、大阪府出身。関西の地方銀行に勤務後、株式会社リクルート(長野グループ)に転職し、情報誌の営業を通じて営業力を磨く。さらに宿泊業へ転じてマーケティング・広報を経験した後、2022年8月にマーケティングの専門家として独立開業。リクルート時代に出会ったパートナーが新地町出身というご縁で福島県浜通り地方を訪れ、この地域に魅力と可能性を感じる。フリーランスになった後、半年かけて福島県内を営業して準備を整え、2023年7月、長野から南相馬市へ転居。浪江町内を中心に南仙台からいわき市まで、幅広く活動している。
※内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:五十嵐秋音