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【移住セミナーレポート】『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』~ vol.9 「“ふつう”に楽しい移住暮らし」編~

2023年12月6日

    ふくしま12市町村移住支援センター主催の移住セミナー『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』は、福島県内で活躍するゲストとの交流を通し、福島12市町村での暮らし、働く魅力を知ることができるセミナーです。

    10月22日(日)に、東京の有楽町にて「”ふつう”に楽しい移住暮らし編」を開催しました。

    第1部では、福島12市町村で暮らす皆さまから移住をしたときの率直な気持ちや、地域のリアルな暮らしについてトークセッションとパネルディスカッションを行い、第2部では参加者とゲストによる座談会と、ふくしま12市町村移住支援センターや各市町村の移住担当者との個別相談会を開催。

    ゲストの皆さまの「“ふつう”に楽しい移住暮らし」の話しを通じて、福島12市町村の新たな楽しみ方や可能性を知ることができ、移住後の生活も具体的にイメージできる、充実した内容のセミナーとなりました。

    第1部 ゲストによる活動紹介 / パネルディスカッション

    〜浪江町で新たなつながりや挑戦が生まれる居場所をつくりたい〜
    小林奈保子 / なみとも代表

    福島県田村市出身。一児の母として子育てに奮闘しながらフリーランス的な働き方を日々模索する主婦。結婚を機に2017年4月から一部避難指示が解除となった浪江町へ転居。「なみえを楽しもう!」と「なみとも」を立ち上げ、交流イベントや情報共有の場づくりのほか、プロジェクト運営サポート等を行う。また、双葉郡の子育て情報の発信や子育て世代のつながりづくりなどを通じて地域づくりに邁進している。

    <小林さん>
    私は、福島県の田村市出身で、大学も県内の福島大学を卒業しました。大学に通っていたときは、地域福祉やボランティアなどに取り組んでいました。社会人1年目の終わりに、東日本大震災で被災しましたが、その後は一般企業で働いていました。

    転機が訪れたのは、2013年のことでした。地元の田村市都路地区の避難指示が解除されて、田村市復興応援隊事業が始まりました。私がボランティアやNPOに関心があるということを耳にされたスタッフの方からお声がけいただきまして、田村市復興応援隊に参画し、地域関係のお仕事をすることになりました。仕事をしてゆくなかで出会った、浪江町役場の方と結婚し、2017年に浪江町の避難指示が解除されたタイミングで、浪江町に移住をしました。

    浪江町に移住する前、私はすごくワクワクしていたのですが、周囲の人たちからは「放射線量は大丈夫なの…」と多くの心配の声をいただきました。でも、今は様々な活動をしています。移住した当時は、200人未満くらいの人口からスタートしたので、「まずは友達づくりからしたいよね」ということで、性別も年齢も関係なく町の人と繋がる場所を作るなみともという団体を立ち上げました。また、もう一つ別のこともやっていまして、浪江町をはじめとする双葉郡地域の子育て情報をまとめたコトハナという活動もしています。

    浪江町に移住してよかったことは、まず地域の人たち全員が、壁がなくてウェルカムな性格なんですよね。やりたいと思っていることを言ったら、アドバイスをしてくれるし、人を繋いでくれるんです。また、課題もたくさんあるからこそ、トライ&エラーが繰り返し起こっていて良い意味で忙しいです。だから、企画者の思いが詰まった楽しいイベントも本当に多いんです。あと、子どもたちがすごく増えていて、どんどん賑やかになってきています。その一方で、高齢者福祉や、特性を持った子どもたち向けの支援が遠いといった課題もあります。

    最後になりますが、移住してからは、まずは「友達づくり」を行うことが大事な基礎だと思います。大きな災害に見舞われた地域なので、人々がどのような痛みを持っているのかなどに共感しながら進んでいくのが福島12市町村のらしさなのかなと。町のために、自分のために一生懸命な人がいるので、たくさん刺激されて私も頑張れるなと思います。

    〜楢葉町で毎日の暮らしも地域での活動も充実させたい〜
    米川奈穂美 / ブイチェーンネモト 店員

    東京都出身。生まれも育ちも目黒区でありながら田舎暮らしに憧れを抱き続け、2021年11月に小学生の息子と楢葉町へ移住。移住後は楢葉町内で勤務をしながら、地域活動への参加をはじめ、地域住民として子育て課題にも向き合い、様々な立場の人との交流を広げながら地域課題の改善、改革を目指している。個人の活動も拡大中。

    <米川さん>
    私は、生まれも育ちも東京です。東京で暮らしながら結婚もして、子どもを二人授かりました。でも当時から、人の多い東京で子育てすることは大変だと感じていましたし、時々旅行に行って、広い田んぼや広い公園を目にするたびに「いつかこういった場所で暮らすことができたら良いな」と思っていました。

    福島12市町村との出会いは、生協が行っていた被災地スタディツアーでした。2017年の秋に参加して、楢葉町、富岡町、浪江町、南相馬市に行きました。楢葉町にはわらじ組というコミュニティがありまして、スタディツアーの時に、楢葉南小学校 (現:楢葉小学校) で布わらじを一緒に作りました。実は、この学校にいま息子が通っているんです!当時は、この学校に通うとも思っていませんでしたし、「いい景色だなぁ」と思っていた地域に住むとも思っていませんでした。このスタディツアーの思い出が忘れられず、楢葉町に移住することを決めました。

    今働いている所は、ブイチェーンネモトというスーパーなんですが、お魚が本当に美味しくて、野菜も新鮮、もちろんお肉も美味しいので、田舎なのに非常に混みます (笑) 。ぜひ、楢葉町に来た際は寄ってみてください。お客さんも人懐っこい方が多くて、毎日楽しく仲間と協力しながら働いております。

    とはいえ、まだまだ暮らせない地域もありますし、避難指示解除が最近だった地域もあります。本日いらっしゃっているということは、移住に対して関心があるのだと思います。私は、「いつかあんな学校に子どもを通わせたいな」「素敵な景色の場所に住みたいな」という思いを胸に、一歩踏み出して夢を叶えました。ぜひ皆さんも一歩踏み出していただいて、移住への思いを形にしていただければと思います。

    〜富岡町で図書館の持つ可能性に挑戦したい〜
    古谷恵美 / 富岡町図書館司書

    東京都出身。大学で図書館学を学び、卒業後、都内2ヶ所の図書館で司書として勤務。2018年に富岡町に移住、4月から富岡町図書館で司書として働く。本の選書、貸出・返却、レファレンスサービスといった通常業務のほか、図書館情報紙の作成、イベントの企画、避難先への移動図書館活動など、本に関わる幅広い業務を行っている。

    <古谷さん>
    私は、現在は富岡町の図書館司書として働いています。大学で図書館学と出会い、卒業後は一旦都内の図書館の嘱託職員として働いていました。東北とのご縁は、2016年にバックパッカーとして宮城県と岩手県の図書館を巡ったことがきっかけです。

    図書館司書という仕事自体が非正規職員の割合が非常に高い職種です。正職員としての採用を望むのであれば、全国を視野に入れて就職活動をしてゆくことが必要です。私もこの好きでかけがえのない仕事で生活してゆけるようになりたいと思いながらも、覚悟を持って「この場所に」というチャンスに巡り合えずにいました。

    そんなときに、震災後7年間閉館していた富岡町図書館の司書の募集に巡り合い、「ここなのではないか、チャンスが来た!」と思い、挑戦しようと思いました。

    ペーパードライバーだし、放射線や治安とかどうなのかなってすごく不安もありました。けれど、とにかく町に行ってみようと思い、2017年11月に富岡町を訪問しました。町内で唯一日用品を買える場所を見に行ったり、図書館を外から眺めてみたりして、「ここで暮らせそうだな」と肌で感じ、移住に対して前向きになりました。そこからは、富岡で図書館の可能性を試してみたいっていう気持ちも強くなり、やりたいことがたくさん浮かび、採用に応募をしました。

    実際に町で暮らし始めてみると、魅力と課題は表裏一体だなと思います。人口減少、少子高齢化等々、課題が詰まった地域です。だからこそ、経験したことのない課題にどんどんアプローチしていこうという度量がある方が多いです。また、集まる人の背景も様々なので、ありのままの自分でいられるのも良いところだと思います。自然もすごく美しくて、自宅の駐車場から流星群を見ることも出来ます。

    私は自分を移住者だとは思ったことがなく、自分を好きでいられる暮らしがしたいという選択をしてきて、ここで働くということを選びました。自分史を作るとすれば、富岡での暮らしは太字で書かれるくらい、毎日たくさんの体験をしています!

    〜南相馬市で複業をしながら新たな自分と出会いたい〜
    伊藤悠河 / パラレルワーカー

    愛知県出身。8歳から東京都日野市に親の転勤で移住。高校卒業後、株式会社三越伊勢丹ホールディングスに就職。新宿伊勢丹メンズ館で約5年間勤め、その後株式会社トラスハブに転職。カードショップ「clove base」の副店長として約1年間勤めた後、南相馬市小高区に移住。現在に至るまでに約10個ほどの仕事を経験。

    <伊藤さん>
    福島との出会いは、新宿伊勢丹でワイシャツの販売員をしていた時に、原料のコットンについてお客さんと話をしたのがきっかけです。仲の良いシャツ職人の方が福島でコットンを作っているという話をお聞きして、実際に福島に行って、津波に流された場所で、コットンを作っている方にお会いしてきました。話を聞いていくと、震災後の福島のことを何も知らない自分の期間と、その人たちが福島で経験してきた期間に対する大きな考え方のギャップがあることに気づきました。福島にいる方々がすごく前を向いていてそのエネルギーにこんな想いで生きているんだと思い、なんかいいなあと思いました。その後、なぜかはわからないのですが秋葉原のカードショップで副店長をしてました (笑) 。

    そのカードショップを辞めようと思った時に、仕事が好きじゃないししたくないなあと思っていたのですが、本当に軽い気持ちで仕事を持たずに「住みたいところに住んでみよう」と南相馬市に移住してしまいました。さまざまな人と出会うきっかけは小高ワーカーズベースという地域のコミュニティになっている場所に行ったことです。「ここで働かないか」と声をかけられて、今もそこで勤めています。小高ワーカーズベースをきっかけに人脈が広がり、その他にも、小高の居酒屋や隣町の浪江町で清掃会社と農業に従事しています。さらに、南相馬市が運営している小高区のウェブメディア「おだかる」の企画メンバーとして参画しています。

    本当にいろいろなことをやっていて思うのは、住んでいる場所に関わらず楽しいことは出来るなということです。南相馬市に来るまでは、誰かがこんな生活をしていたら羨ましいなと思う生活を、これまで僕はやらないタイプの人間だったんですけど、今はそれが出来る人間になりました。本当にこの町で、町の人たちと楽しく過ごしています。

    何も持たずに移住しても、特別な能力がなくても楽しんで生きてゆける環境が福島12市町村にはあると思います。ゲームを楽しむくらいの気軽な気持ちで、一歩挑戦して、やってみようという気持ちが移住の大切なポイントだと思います。

    パネルディスカッション

    —移動手段はどうしていますか?車は必須でしょうか?

    <伊藤さん>
    移住した2日目に出会った人にぼろぼろの自転車を貰って、乗り回していました。その後は、業者の方からいただいた大量の玉ねぎを居酒屋に持っていったら、その居酒屋で地元のタクシー会社の社長さんと仲良くなって、車を借りていました。令和のわらしべ長者をやっていましたね (笑) 。でも知り合いに乗せてもらうという手もあると思います。

    <古谷さん>
    移住前はペーパードライバーだったので、引っ越す前にたくさん練習をしました。車が欲しいとずっと言い続けていたら、移住前に車を譲って下さる方がいて、その車を福島で使っています。富岡町では、デマンドバスやコミュニティバスや町内循環バスなどいろいろなバスがありますね。

    <米川さん>
    私もペーパードライバーだったのですが、息子が発達障害で公共交通機関に乗れない時期があったので、移住前も移住後も運転の練習をしながら慣れていきましたね。でも、楢葉町では「お買い物バス」というバスが週3回出ていたり、300円タクシーがあったり車がなくてもなんとかなってます。

    —町のコミュニティに入っていくきっかけとなったコミュニケーションは?

    <伊藤さん>
    僕は同じ移住者のおじさんとのコミュニケーションがきっかけでした。その方も東京出身で同じ境遇から友達になりました。友達になった翌日には、スーパーに連れて行ってもらって自転車をもらったり。飾らずに話し、言葉に嘘がなければ何とでもなると思います。

    <古谷さん>
    町に移住して最初は本当に孤独でしたね。もっと友達とワイワイしているのを期待していたんですけど、全然なりませんでした。でも、イベントやボランティアに一つ参加すると、一気にネットワークが広がりました。黙っていたら、広がらないかもしれません。

    <米川さん>
    私も誰も知り合いがいなかったですけど、当時は移住支援をしてくれたスタッフの人が最初の知り合いになり、普段の生活でも車がないときに買い物とか助けてくれましたね。

    —移住前と移住後で自分自身に変化はありましたか?

    <伊藤さん>
    人が住んでる地域であれば、あまりギャップはないですね。逆に、コンビニとか24時間やってなくても気にならなくなりました。人が少ないのに人と接する機会は増えました。

    <古谷さん>
    東京だと不信がられると思いますが、道端で知らない人に会っても「こんにちは〜」と声をかけるようになりましたね。そうした距離感は、住んでみないとわからなかったなと思います。

    <米川さん>
    私は東京で40年以上暮らしてましたけれども、楢葉町が合っているなと感じましたね。もしだめだったら東京に帰ろうと思ってましたけど、帰りたいとは思わなくて、本当に楢葉町に移住してよかったと思うし、「楢葉町の米川です」と言えることが幸せです。

    —「”ふつう”に楽しい移住くらし」について

    <小林さん>
    いろいろな働き方をしている人が多いですね。

    <米川さん>
    世間では起業をするようなスペシャリストの方たちが移住しているイメージがあり、ネット記事などでもすごい人たちが移住されている情報もありますが、全然、スペシャルな技術がなくても、ペーパードライバーでも移住されている方はたくさんいます。

    福島の仲間というだけで、今日出会った人ともフレンドリーになれるのも魅力の一つです。暗いイメージは全くないので、安心して来てほしいです。

    第2部 座談会・個別相談会

    第2部では、座談会で参加者がゲストに直接質問をしたり、個別相談ブースでは移住担当スタッフに具体的な相談をすることで、より福島12市町村への移住に関して深掘りできる時間となりました。

    「なぜ、いまお住まいの地域を移住先として決められたのでしょうか?」という参加者の質問には、移住した時の各ゲストの心境や、移住に対する想いについて語っていただきました。

    <小林さん>
    震災のあと、他都道府県に逃げる選択肢もありました。でも、どうしても自分の心の中でその選択は納得しきれませんでした。生まれ育った福島を見届けたかったし、福島を前向きに捉える人と繋がったことで、移住を決意しました。

    <米川さん>
    私は移住支援金があったことも、理由の一つとしてありました。また、わらじ組のなかに出身は福島だけど、神奈川県川崎市から移住された方がいらっしゃって、震災後だからこそ町のために何かしたいから戻りたいという意識にすごく感化されました。

    <古谷さん>
    私は実際に行ってみて「ここだ!」って思ったことが決め手になりました。行かないと知らないこと感じないことがたくさんあるので、まずはぜひ福島12市町村に来てみてください!

    <伊藤さん>
    正直、福島12市町村なんてほとんど知らなかったです。勢いで移住を決めたので、福島じゃなくてもよかったとは思います。でも、一度住めなくなった地域に戻ってくる人たちは、絶対に面白いと考えたので、福島に移住することを決めました。

    個別相談会では移住に向けて、12市町村のなかでどこが自分に合っているかなど具体的な相談が多く見かけられました。

    今回は特別企画として求人案内ブースを設置しており、福島12市町村内にどのような仕事があるのか最新情報を相談者の方にお伝え出来ました。また福島県の被災市町村の職員採用について福島県庁よりご案内いただくなど幅広い職種をご案内いたしました。

    また、福島12市町村への移住を検討されている方を対象とした、地域の方々との交流や、農業などの産業体験ができる「移住サポーターガイドツアー」のブースでも、ご希望のツアーについて相談される姿がありました。

    今回は1日で移住された方のお話しからお仕事、移住の相談までワンストップで情報収集ができる環境があったため、1カ所だけでなく、すべてを周回されるように相談される方が目立ちました。

    今年度、全6回にわたって開催するされる移住セミナー『はじめよう、私とふくしまの小さな物語。』の第3回目となる今回は、福島12市町村で暮らすゲストの皆さまに、各市町村の“ふつう”に楽しい移住暮らしと、移住初期のコミュニティの広げ方などとてもリアルなアドバイスを聞くことができました。

    今年度に開催予定の未来ワークふくしま移住セミナーに関する最新情報は特設サイトよりご覧ください。皆さまのご参加を心よりお待ちしております!

    第9回セミナーのダイジェスト・全編動画を公開しています (YouTube)

    ダイジェスト版 (全編動画はこちらからご覧ください)

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