イベント

【知事と語る】6人の移住者が語る、福島12市町への移住で得た地域とのつながり

2025年7月4日

2025年6月10日、大熊町の産業交流施設「CREVAおおくま」にて、福島12市町村へ移住した6人が内堀雅雄福島県知事と語り合う「避難地域12市町村 移住トークセッション」が開催されました。移住者ならではの視点から、地域とのかかわりや人とのつながりについて意見が交わされました。

6市町村から6人が参加

トークセッションに参加したのは以下の皆さんです。
※名前をクリックするとトーク内容に飛びます

松野 和志(まつの かずし)さん(南相馬市)
神奈川県出身。都内の大学を卒業後、陸上自衛隊、電力会社の営業職を経て南相馬市へ移住。2024年、市内鹿島区にカフェ「cokuriya(コクリヤ)」を開業。

小山 加奈(おやま かな)さん(川俣町)
福島県須賀川市出身。2022年5月から2025年4月まで川俣町の地域おこし協力隊を務め、木桶づくりやほうきの制作を通してものづくり文化の継承やPR活動に取り組む。

森 雄一朗(もり ゆういちろう)さん(楢葉町)
群馬県出身。学生時代に楢葉町を訪問し、町民と協働した情報誌の制作や子ども向けキャンプの開催などに携わった経験をもとに2018年に楢葉町に移住。まちづくり会社「一般社団法人ならはみらい」で勤務。

細川 順一郎(ほそかわ じゅんいちろう)さん(富岡町)
静岡県出身。IT企業のエンジニアからワイン業界に転身。2022年に富岡町に移住し、「とみおかワイナリー」で栽培・醸造責任者/マネージャーを務める。

石井 美優(いしい みゆ)さん(大熊町)
三重県出身。大学院修了後、大熊町へ移住。フリーランスのグラフィックデザイナー、空間デザイナーとして活動するほか、廃材をヒントにした家具製作を手掛ける。

大山 里奈(おおやま りな)さん(葛尾村)
茨城県出身。美術教員から2019年にアーティストに転身。芸術活動に力を入れるなかで葛尾村と関わる。2023年に葛尾村で「合同会社いること」を設立、2024年には同会社が運営する「caféしずく」を開業。

以上6人に加え、オブザーバーとして、2022年に双葉町へ移住した合同会社浜田経営労務相談室代表の浜田昌良さんが参加。藤沢烈ふくしま12市町村移住支援センター長をファシリテーターにして意見を交わしました。

藤沢烈 ふくしま12市町村移住支援センター長

【南相馬市 松野さん】東京時代よりアクティブで充実した日々

松野さん:東京では隣に住む人と挨拶もしたことがないようなつながりの薄い暮らしをするなか、将来的に子育てをする場合、この環境でやっていけるのだろうかと思い始め、地方への移住を考えました。全国さまざまな自治体の移住セミナーで話を聞いていくうち、「福島県の浜通りは日本唯一のフロンティア」や「ゼロからのまちづくりができるのは日本でここだけ」といった移住者の言葉を聞いて胸が熱くなる想いを感じ、福島12市町村に興味を持ち、いろいろなご縁が重なって南相馬市に移住しました。地方にはスローな暮らしがあるのかと思っていましたが、チャレンジングな毎日で、東京にいたときよりもアクティブに充実した日々を過ごしています。

移住者同士でつながりをつくる動きも大切ですが、地元の人とのつながりをつくっていくことも移住者として大切なことだと思います。私自身でいうと、地元の消防団や商工会青年部に入って、たくさんの地元の方々がすごく仲間として受け入れてくれているなと感じます。その仲間と一緒に新しい事業へのチャレンジも始めていて、皆で一丸となって南相馬市を盛り上げていきたいです。

知事:東京で孤独感を感じるなか、南相馬市に来て、地元の方々をとても大切にしてくださっている。「唯一のフロンティア」における松野さんのチャレンジを感動しながら聞きました。忙しい日々だと思いますが、それは受動的なものではなく、ご自身で選択した忙しさ。だから今、松野さんはすごくいい表情をされています。そのお顔から、この人生を自分でつかんだのだという充足感を強く感じました。

【川俣町 小山さん】何をするにも町の人に助けられている

小山さん:会社員として長く営業の仕事をしていたのですが、2014年に写真のワークショップに参加したことをきっかけに、会社勤めをしながらフォトグラファーとして活動するようになりました。その活動がきっかけで出会ったのが、川俣町で木桶を作っている鴫原廣(しぎはら ひろし)さん。鴫原さんに木桶の作り方を習いたくて川俣町に通ううち、ものづくりをしながら生活をする人にとってこの町は最高の土地なんじゃないかと思うようになり、2022年に地域おこし協力隊として川俣町に移住しました。鴫原さんや川俣町の皆さんにはとてもお世話になっていますし、そのおかげで私もものづくりができていて、何をするにも周囲の人たちに助けられながら生活できています。

川俣町ってほどよく便利で、でも自然もいっぱいあって、日々リフレッシュしながら過ごせます。写真の活動も続けながら、木桶やほうき作りを通して、物と人、人と人がつながるような活動をこの町でできればと思っています。

知事:木桶作りの師匠である鴫原さんとの関わりなど、小山さんの地域への溶け込み方がすごく自然で上手だなと思いました。3つの柱で活動されているというお話でしたが、だからこそ、人生を3倍楽しんでいるようでとても素敵です。ぜひいろいろな方に向けて「こういう生き方もあるんだよ」と知ってもらいたいと思いました。

【楢葉町 森さん】自分の可能性を広げる出会いがある地域

森さん:現在、楢葉町のまちづくり会社「一般社団法人ならはみらい」で働いています。大学時代に楢葉町でさまざまな活動に関わり、それをきっかけに楢葉町に引っ越して6年半ほどの時間が経ちましたが、今では楢葉町が地元の次に長く住んでいる町になります。まちづくりの仕事をする中で、学生時代とはちがう方々と接することも増えて、つながりが広まったと思っています。あと、小さい町なので、困ったことがあったときには、「これに困ったらあの人に聞けばいいな」と、頼れる人の顔がぱっと思い浮かびます。人とのつながりから生まれる生活のしやすさをいつも感じています。

もう一つ、住んでてよかったなと思うのが、一人だと尻込みしてしまうことも、一緒にアクションしてくれる仲間が多いことです。自分の可能性を広げるような出会いがある地域だと実感しています。そういった方々と、これからも楽しく日常を送れたらいいなと思っています。

知事:大学時代から福島と関わる機会があり、それ以来ずっと福島を心の中に置き続けてくれている。まずはそのことがとても嬉しいです。一度は銀行に就職され、それを続けるという道もあったと思いますが、大学時代の印象や「仲間」っていう言葉の吸引力が強くて、今ここにおられる。非常に素敵なストーリーだと思いました。

森さんの移住ストーリーと「ならはみらい」の取り組みはこちら
チャレンジするまちの移住支援 森雄一朗さん(ならはみらい)

【富岡町 細川さん】おいしいワインで富岡町を発信

細川さん:2019年に大病をしたことをきっかけに自分だけの力でワインを造りたいと思い、独立の準備をするなかで、富岡町でワイナリーをスタートさせるチャレンジを知り富岡町を訪問しました。海の目の前にブドウ畑があり、そこに海風が吹き込む、その素晴らしいロケーションに感動しました。とみおかワイナリーのプロジェクトには「一度失われてしまったコミュニティをもう一度つくり直したい」という熱い想いがあります。ワインはどこでも造れますが、「ワインを造りながら町をつくる」ことは、おそらく富岡町でしかできないだろうと感じ、妻の後押しもあって2022年1月に単身で移住。その後、妻も移住してくれました。

移住から時間が経ち、今では地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちとも仲よくなりました。移住者である私たちを地元の人たちが快く受け入れてくださったおかげで、とても楽しい毎日を過ごしています。これからおいしいワインをたくさん造り、元気な富岡町を発信していきたいと思っています。

知事:細川さんのお話の中に分厚い情熱を感じました。細川さんの「チャレンジこそ人生」という想いは、福島の復興にとって、また移住・定住の施策を進めるうえでもものすごく大事なキーフレーズだなと思い、感動しながらお話を聞きました。ワインを造りながら町をつくる、そのストーリーの真ん中に細川さんがいてくださるとことが嬉しいです。

【大熊町 石井さん】かつての住民が創った文化に敬意を

石井さん:移住のきっかけは、大学で専攻していた建築設計の修士論文のリサーチで大熊町を訪ねたことです。当時の大熊町は今よりもっと人が少なくて、大野駅前を歩いていても誰にも会いませんでした。でも土日には役場の前にたくさん人がいたりして、「この人たちはどこに住んでいるんだろう」「なぜ住んでいるんだろう」と素朴な疑問が湧いて、この町についてもっと考えたいと思うようになりました。

今はデザインを中心に仕事をしていますが、今年から新しく、廃棄物を使って家具を作ることを始めています。一度ゴミとして価値がゼロになったものに自分がどう価値を付けていくか。それを考えることで、この町の魅力をつくるまちづくりの一助になれたらいいなと思っています。同時に、過去にこの町に住んでいた人たちが町の文化を創ってくれたこと、歴史を積み重ねてきてくれたことにリスペクトを持って暮らしていきたいとも思っています。

知事:自分の想いをどう伝えようか、時々目線を上げて言葉を探しながら、まさに言葉をデザインしながら話しておられる姿を見て感銘を受けました。地震や津波、原発事故によりいわゆる「災害廃棄物」になってしまった家や家財道具も、もともとは誰かの大事な宝物だったはず。それらを「災害廃棄物」という一言でひとくくりにしていいのか、そういう葛藤が私にはずっとあります。他人にとっては単なるゴミかもしれないけれど、所有者にとっては人生が凝縮された宝物なんですよね。本当は処分するものなのだけど、そこに手間を加えて「ありがとう」というメッセージを込めると芸術作品やアートにもなるので、ものの見え方って幅が広くて多様性がありますよね。そう考えると、石井さんの作品は、大手メーカーの製品とは違う価値を間違いなく持つものになると思います。

【葛尾村 大山さん】いただいた応援は次の世代に返す

大山さん:葛尾村には、ものづくりをする側としては素晴らしい素材がたくさんあります。皆さんが価値なしと思ったものにアーティストがひと手間加えることで、その価値はさらに高まるのではないかという想いがあり、この地域が面白いと思って葛尾村が私の活動拠点の一つになりました。

移住後に立ち上げた合同会社に「いること」という名前を付けたのは、葛尾村に人が戻るにつれて、風景と人の暮らしとのバランスがどんどん取れていくのをすごく感じて、人が「いること」がこの地域にとって美しい風景をつくることになると思ったからです。2024年に葛尾村で「café しずく」というお店を開業してからは、村の方々からサポートをしてもらうことが多くなりました。最初はその応援に対して遠慮もしていたのですが、「応援されることも大事なんだよ」と地元の方に言っていただいたことが印象に残っています。その恩返しは、私がしてもらったことを次にこの地域で頑張る人たちにしてあげることだと思っています。

知事:「合同会社いること」のネーミング、とても素敵ですね。福島県、特に避難地域12市町村は原発事故による帰還困難区域を抱えていて、居住者が0人という状況を何年も何年も見てきました。だから私たちは、「いること」がすごく素敵だっていうことを、普通の人以上に分かるんですよね。それをネーミングに活かせるアーティストとしてのセンスがすごいと思いました。大山さんが開業されたカフェに私もお邪魔したことがあるんですけど、近所の方々や常連のお客さんが本当に家族のように過ごされていて、人と人との結びつきを見ることができました。日本の原風景のような葛尾村の雰囲気や時間の流れを体験してもらうことで、「いること」の素敵さが伝わって、もっともっと笑顔が増えていくと思います。

大山さんの移住ストーリーはこちら
村の風景をつくる暮らしを。居住人口463人の葛尾村で大山里奈さんがカフェを営む理由

「地域の復興は人の復興」とあらためて実感

最後に、オブザーバーを務めた浜田さんと内堀知事が、移住者のみなさんの話を受けて感想を語りました。

オブザーバーの浜田昌良さん

浜田さん:一番強く感じたのは、皆さんの顔が輝いていること。そして、新しい自分をどんどん発見していることです。生きる意味を深く考えられていると分かり、自分で自分の人生を生きているなと感心しました。人と人とは、ただ出会うだけでは触発は生まれません。出会いを通して生きがいや新しい自分を発見することが触発を呼び、今日のお話を聞いていて、移住者が新たな移住者を呼ぶ歯車が回り始めているなと思いましたし、移住者一人一人の存在が足し算ではなく掛け算になってきているのだと実感しました。

内堀雅雄福島県知事

知事:福島12市町村は、法律の指示に基づいて住民が無理やり避難せざるを得なかった、過去に一度もなかった経験をした特殊な地域です。この地域の復興とは、そこにいる「人」、そこに来られる「人」、そこに関わる「人」が元気でいることだと思います。やはり「地域の復興は人の復興」なのだと改めて感じました。

もう一つ、「人の復興」をキーワードに皆さんからヒントをいただいたのが、「ワークライフバランス」についてです。今の日本では、一般的に「ワーク」と「ライフ」は別物として区切るものなんですけど、皆さんのお話を聞いていると、それぞれが敵対しているように聞こえないんですよね。「ワーク」と「ライフ」の両方をフワッととかして、人生24時間をフルで楽しむ工夫をされているなと感じました。それぞれの時間を区切るのも一つの生き方ではあるんですけど、こういう生き方もあるよねということを皆さんから教えていただきました。

一人一人いろいろな生き方があって、しかもそれが変わったっていいと思います。ここにいる6人の皆さんが移住者として今日来てくれていますけど、人生の次のステージを見据えて、日本のほかの地域へ、また世界へ行きたければ行ってもらっていいんです。ただ、皆さんの人生の中で、どんな土地へ行っても、福島12市町村で自分が輝いていたっていうことが次のステージでも活きているなと実感できるはずです。それぞれの自由な人生があって、どう生きるのが一番幸せなのか、その人生の彩りを考え続けて欲しいと思います。

※所属や内容はイベント当時のものです。
写真:中村幸稚 文:髙橋晃浩