移住者インタビュー

地域とともに軽やかに生きる。福島12市町村で見つけたキッチンカー&移動販売の可能性

2025年9月19日

福島12市町村では今、キッチンカーや移動販売で起業する人が増えています。

自由度の高さ、初期投資の低さ、そして、福島12市町村のイベントの多さも、その追い風になっているのかもしれません。

千葉県出身で、5人の子の父でもある河津宏さんは、2024年に家族で田村市へ移住しました。飲食業の経験はありませんでしたが、「地域の食材を活かして、福島の魅力を味わってほしい」と、挑戦を決意。2025年3月、キッチンカーのおむすび専門店「むすびめ」をオープンしました。

一方、2025年4月に富岡町でパンの移動販売店「GOCHIPAN」をオープンしたのは、大阪府出身の鈴木燦玉(ちやの)さん。東京でパン職人として修行を積み、夫が二本松市出身ということもあって、福島で開業することに。町内の空き家を工房にし、週2日、町の人たちへ焼きたてのパンを届けています。

共通しているのは、どちらも自分らしい働き方・生き方を大切にし、固定の店舗を構えないスタイルを選択したこと。

ふたりは、なぜ移住し、この仕事スタイルを選んだのでしょう。見知らぬ土地での新しい挑戦に、不安はなかったのでしょうか。

移住も起業も叶える、キッチンカーという選択

取材のこの日。大熊町にある「大熊インキュベーションセンター」の駐車場に、1台のキッチンカーが止まっていました。天気はあいにくの雨。それでも、お客さんは途絶えず、傘を差しながら順番を待つ人たちの姿があります。

河津さんは、手際よくおむすびを握りながら、お客さん一人ひとりと言葉を交わしていました。車内からは、炊きたてごはんの香りともつ煮の湯気が立ちのぼり、お客さんを優しく迎え入れます。

拠点の田村市を中心に、週に6日キッチンカーを走らせています。平日は市街地にも出向き、週末は県内外のお祭りやマルシェ、音楽イベントなどに出店。スケジュールは常にびっしり。オープンからわずか4ヶ月で人気店となりつつあります。

提供:とみおかくらし情報館

一方、パンの移動販売店「GOCHIPAN」は、週に2回、決められた出店先を回って販売。天然酵母を使用した食パンやクロワッサン、カレーパン、濃厚ミルクパン、ベーコンエピなど、常時35種類のパンが並びます。

避難指示が解除されたあと、長らくパン屋のなかった富岡町にとって「GOCHIPAN」は待望の存在。茶色のトラックが到着すると、香ばしい香りに誘われて次々とお客さんが訪れます。「今日は何のパンがあるの?」「これ、おいしかったよ」。店先では、お客さんとの楽しげな会話が聞こえ、小さな賑わいが広がります。

移住と起業。人生の大きな転機を経たふたりは、町に欠かせない存在となりつつあるようです。

家族と過ごす時間を、何よりも大切にしたかった

おむすび専門店「むすびめ」店主の河津宏さん

「むすびめ」の店主・河津さんは、どうして福島を選び、新しい挑戦をはじめたのでしょうか。

河津さん 「私は千葉で20年以上サラリーマンを続けてきました。朝5時には家を出て深夜に帰る生活で、がむしゃらに働いていましたが、ふと『何のために働いているんだろう』と思ったとき、むなしさしか残らなかったんです」

大きな転機になったのは、前妻を病気で亡くしたことでした。忙しさの中で家族と過ごす時間が少なかった後悔が、河津さんの価値観をガラリと変えました。その後、再婚して子どもを授かったことで「これからは家族との時間を最優先にできる生き方をしよう」と決意します。

河津さん 「すると、暮らしの環境から変えたいと思うようになりました。それまで住んでいた家は、交通量の多い大通りに面した戸建て住宅で、子どもが一歩外に出るだけで危険を感じていました。妻と『もっと自然のある場所で暮らしたいね』と話すようになり、移住先を探し始めたんです」

そうして出会ったのが、福島県田村市。山なみが美しいこの町は、子育ての環境としても理想的でした。最終的に、移住の決め手となったのは「田村市キッチンカー移住チャレンジ」というプロジェクト。市が主体となり、キッチンカーでの開業から運営、出店先の紹介までを伴走支援してくれる制度で、移住と起業を同時に実現できる仕組みです。

河津さん 「田村市は、おいしい野菜やお米がたくさん採れるのに、震災から10年以上経った今でも風評被害が残っているという課題を知りました。それなら、田村市産のお米でおにぎりをつくり、そのおいしさを届けたいと思ったんです」

何もかもが新しいスタートで、生活も180度変わったそうです。

河津さん 「一番の変化は子育て環境ですね。家は古民家を借りているので、子どもたちは広い庭で自転車に乗ったり、鬼ごっこをして遊んでいます。気づいたら、お隣のおばあちゃんの家に上がり込んで、お茶菓子を食べていたこともありました(笑)」

人の顔が見える仕事がしたくて、パン職人へ

パンの移動販売店「GOCHIPAN」店主の鈴木燦玉(ちやの)さん

「GOCHIPAN」の店主・鈴木さんも、東京の大手IT企業で長年サラリーマン生活を送ってきました。朝から深夜まで続くハードワークをこなす日々の中で、心身ともに疲れ果て、限界を感じていたそうです。

鈴木さん 「ITの仕事って、データ上で成果は見えるけど、相手の顔が見えないから実感が伴わないんですよね。そのうち、もっと自分の手で生み出すクリエイティブなことがしたい。リアルに人に会って、喜ばせることができる仕事がしたいと思うようになりました」

そこで思い浮かんだのが、趣味で続けてきたパンづくりを仕事にすること。とはいえ、パン職人として一人前になるには最低6年かかると言われています。そこまで時間をかけられないと思った鈴木さんは、最短距離でパン屋になるにはどうしたらいいかを考えました。それが、パン屋を掛け持ちして修行するという大胆な方法。パンづくりの工程は、大きく分けて、仕込み、分割、成形、焼成の4つがあるため、4店舗を掛け持ちし、各ポジションを店舗ごとに集中的に経験することで、短期間で技術を身につけたのです。

鈴木さん 「やるからには、どのポジションでも重宝されるようになろうと決めていました。3年かかりましたが、お店によって違いはあっても、共通して大事にしていることや、それぞれの個性・差別化のポイントが見えてきました」

その後、「そろそろお店を出してもいいんじゃない?」という夫の言葉に背中を押され、「福島県創業促進・企業誘致に向けた設備投資等支援補助金」に応募。採択されたことで、人生が動き出しました。

ここで暮らすことで見えた景色がある

鈴木さんが新天地に選んだのは、富岡町。当初は店舗を構えるつもりでしたが、町の雰囲気を知るうちに、その考えは変わったそうです。

鈴木さん 「移住前に『お試し住宅』で暮らしを体験したとき、町に人が歩いていないことに驚きました。けれど、スーパーや企業はある。つまり人は必ずいるはずだと思って、そのときに『移動販売』という形にしようと決めました。 東京で修行していたころは、お店をもつのが当たり前だと思っていましたが、この地域の生活習慣には合わないかもしれないと考えたんです」

食事系のハードパンから惣菜パン、菓子パンまで種類が多くて選ぶのも楽しい

オープンから3ヶ月経った今、鈴木さんの目には、この時とはまったく違った景色が見えるようになったそうです。

鈴木さん 「販売を始めてみると、町にはちゃんと人がいることを実感できました。最近ではリピーターさんも増えてきています。富岡町の人たちはすごくフレンドリーで、あたたかくて。パンを選んでいるときも『おいしそう〜』とか『あ、これは食べたことある』とか、心の声が漏れちゃうんです(笑)。そんなやりとりが楽しくて、今は人がいなくて寂しいと感じることはまったくなくなりました」

自分ができる規模と町のサイズが合っている

ふたりとも、すっかり町の暮らしに馴染んでいるようですが、地域の人たちに愛される店にしていくために、どのような工夫をしているのでしょうか。

河津さん 「田村のおじいちゃん、おばあちゃんは、反応がとてもはっきりしているんです。おいしいときは『うまい!』って笑顔になるし、そうじゃないときは遠慮なく教えてくれます(笑)。だから、まずはおいしいものをつくることが大前提。おにぎりってシンプルだから意外と難しくて、理想の米の炊き加減にたどり着くまでに半年かかりました。どうしたらもっと『うまい!』と唸らせられるか、毎日考えています」

常時、9種類ほどのおむすびがラインナップ。写真はしその実こんぶ(300円)とさっぱり大葉ツナマヨ(350円)。田村市産の黒米をブレンドしたお米は、崩れないぎりぎりのふんわり加減で握っている

鈴木さん 「私はお客さんを飽きさせない工夫をしています。毎週来てくれるリピーターさんでも、必ず1個は『見たことがないパン』があるようにしているんです。選ぶ楽しさを味わってほしくて、100種類あるレシピの中から、毎回35種類を選んでつくっています。『今日は何があるかな』ってワクワクしてもらえることを目指しています」

このように、日々、工夫と努力を重ねているからこそ、町の人たちもふたりを応援したくなるのかもしれません。福島12市町村は、都市部に比べて人口が多い地域ではありませんが、それでもこの地域でお店をやる魅力はどこにあるのでしょうか。

鈴木さん 「自分が無理なくできる営業の規模と町のサイズが合っているのだと感じています。東京だったら競合が多く選択肢もたくさんあるので、一人で店を営むことは難しいし、売り上げの不安も常につきまとうと思うんですね。 でも、富岡町では私がパンを届けることで心から喜んでくれる人たちがいます。お店を営む以上に、少しは地域の役に立てている実感もあるんです」

パン屋の場合、一人だと仕込みが大変で、営業するのは週2日が限界だそう。人を雇ったり、販路を拡大すれば売上を上げることはできますが、鈴木さんには必要以上に事業を大きくしていきたいという思いはありません。

鈴木さん 「人を増やせばもっとつくれるし、もっと売ることもできるけど、それは自分が望むやり方とは違います。東京での熾烈な働き方に疲れて福島に来たのだから、自分の軸は見失わずに続けていきたいです」

始めやすいからこそ、他店との差別化がカギとなる

もちろん、無理はしないといっても、きちんと収益を上げ、事業を継続していくことは大切です。実はキッチンカーで起業する人は増えている一方で、長く続かずに廃業してしまうケースも少なくないのだそう。初期投資のハードルが低く、特に福島12市町村は助成制度が充実していて始めやすいからこそ、その後の工夫と努力がとても重要になるのです。

河津さん 「浜通りはイベントが多く、頑張れば頑張るほど売上が伸びるのが魅力です。ただし、ありきたりなメニューだけではまず売れないため、月替わりでメニューを変えたり、期間限定の商品を出すなど、独自の工夫が必要です。キッチンカーは、初期費用が抑えられる一方で、ガソリン代や光熱費などの運営コストは意外とかかります。だからこそ、他店と差別化しなければ生き残れない世界なんです。とはいえ、数字だけを追ってしまうと大切なものを見失いやすい。だからこそ、常にバランスを意識しています」

お互いの車を見せ合いながら情報交換をする二人

河津さん 「今、うちの店の最大の課題はロスですね。お米は一升単位で炊いているのですが、炊き上がるまでに1時間半かかります。足りなくなるからと炊いても、急にお客さんの波が止まってしまうこともあって。そうすると大量に廃棄しないといけなくなるんです。その読みが本当に難しい。天気にもお客さんの入りが左右されますし、急な雨に備えて天気予報は欠かさずチェックしています」

鈴木さん 「うちは移動販売なので、パンをつくるのは工房です。当日の朝3時半から10時までに全部焼き上げて梱包してから出かけるので、そういう意味ではキッチンカーよりはロスは出にくいかもしれません。ただ、販売に出てしまうと追加で焼いたりはできないので、その日のルートやお客さんの入りを予測してつくる量を決める必要があります。1種類を焼き上げるのに3時間以上かかるので、工程はきっちり組んで、パソコンで焼成のタイミングもシミュレーションしていますね」

「それは大変!」「いやいや、そちらのほうがよっぽど大変です」と、お互いを労う二人。日々の課題には共通点もあれば、業種ならではの大変さもあるようです。

ぶれない想いをもって、軽やかに生きる

ふたりに共通しているのは、収益だけを追わずに、この地域で根を張ることを第一にしている姿勢。これまでの経験から培った「何を大切にしたいのか」という軸がぶれないからこそ、地域の人たちにも受け入れられ、愛される存在になっているのです。

河津さん 「もし、これからキッチンカーを始めたい人がいたら、自分が本当にその商材を好きかどうか、まずはしっかり考えてほしいですね。自分がやりたいこと、つくりたいものなら、自然と続けられると思うからです。ありがたいことに今は忙しくさせてもらっていますが、好きでやっているので楽しいし、全然苦ではありません。体は疲れても、精神的にはサラリーマン時代とは比べものにならないくらい充実しています」

鈴木さん 「営業していると、売上がいい日もあれば悪い日もあります。お客さんが来ないとつい落ち込んだり、『今日は売れなかった』『おいしくないのかな』と不安になったりもします。だからこそ、自分の中に強い軸をもって、自分は何をしたいのか、その思いをしっかり貫くことが大切だと思います」

河津さんと鈴木さんが踏み出した一歩は、地域の暮らしも自分の暮らしも豊かにしています。河津さんはおむすびを、鈴木さんはパンを乗せて、今日もふたりは、軽やかにあちこちのまちを巡るのです。

取材・文:奥村サヤ 撮影: 中村幸稚  編集:平川友紀