移住者インタビュー

家族との時間を大切にするために。Uターンして洋菓子店を開くという選択肢

2023年3月17日

いつからか、自分より子どもの年齢を数えるようになった。

子どもの入園、就学のタイミングを軸に、自分の働き方を考えるようになった。

子どもはとても大切。でも自分のことを我慢することが増えた。

育児に限らず介護が必要になったりや家業を継いだりするとき、とき、「自分のやりたいこと」と「家族を大事にしたい思い」の間で、葛藤したことのある方は多いのではないでしょうか。

今回ご紹介する横須賀直生さんは、高校卒業とともに故郷の福島県楢葉町を離れ、パティシエとして国内外でキャリアを重ねていきます。結婚してお子さんも生まれ、茨城県水戸市で暮らしていましたが、長女が年少になるタイミングで楢葉町にUターンし、「おかしなお菓子屋さんLiebe」を開業しました。

一見、華々しい起業ストーリーに見えますが、育児をしながらキャリアを重ねること、起業すること、そして福島の地に戻ること。横須賀さんもまた、さまざまな葛藤とともに、ひとつひとつのステップを歩んできています。

甘いお菓子の香りに包まれながら、楢葉町でお店を開いた経緯と思いを伺いました。

横須賀 直生(よこすか・なお)さん
1988年楢葉生まれ楢葉育ち。大熊町にあった双葉翔陽高校卒業後、製菓専門学校に通うため上京。19歳で洋菓子店に就職し、神奈川県相模原市→東京→千葉県松戸市→ドイツ→茨城県水戸市で過ごし2019年3月夫と子供2人を連れて楢葉町にUターン。2020年5月「おかしなお菓子屋さんLiebe」をオープン。同年8月に第3子出産。

日常が戻ってきた楢葉町

横須賀さんが生まれた楢葉町は、福島県浜通り地方のほぼ中央に位置し、積雪も少なく温暖な地域。サッカーのナショナルトレーニング施設「Jヴィレッジ」や温泉・宿泊施設も備えた「天神岬スポーツ公園」が有名です。

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により、全町避難を余儀なくされましたが、2015年9月5日にすべての避難指示が解除されました。一時期は商業施設も数店舗だけになりましたが、現在は、日常の買い物に便利な「ここなら笑店街」や、コワーキングスペースがある交流施設「みんなの交流館 ならはCANvas」「CODOU」など、暮らすまちとしての機能が充実してきています。

みんなの交流館 ならはCANvas

楢葉町に生まれた横須賀さんは、大熊町の高校を卒業後、製菓専門学校に通うため上京し、楢葉町を離れます。

「楢葉町には高校がないので、中学を卒業したら町外に出ることがあたり前なんです。外に出ることに慣れているというか。高校を卒業したときも地元に残ろうという気持ちより、外に出て経験を積みたい、都会で生活してみたいという気持ちが大きかったです」

製菓専門学校を卒業後は神奈川県の洋菓子店に就職し、パティシエとして働き始めた横須賀さん。外へ外へと新しいチャレンジの場を求めてきた彼女が、どういう経緯を経て楢葉町に戻って起業することになったのでしょうか。

高校時代に、母校・楢葉北小学校で遊ぶ友人を横須賀さんが撮影した一枚。その後、震災による被害で校舎は解体された(提供:横須賀直生さん

都会へ、そしてドイツへ。「外の世界を見てみたい」

神奈川県相模原市のお菓子屋さんで4年ほど務め、働くことに少し慣れてきた頃、これからの人生について考えた横須賀さん。「もっと外に出たい。海外で生活してみたい」と思い立ち、ワーキングホリデーを利用してドイツへ行くことを決めます。

「この先、結婚や出産をすると考えたとき、このまま日本でずっとパティシエを続けていくことを想像できなかったんです。当時から夫とはおつき合いしていたのですが、結婚する前に一度日本を離れようと思って、1年間ドイツで過ごしました」

ドイツの友人たちと(提供:横須賀直生さん)

そこで見たドイツの人々の生活が、横須賀さんの家族観をがらりと変えることになります。

「ドイツは日曜日は休息を取るという考え方が浸透していて、会社だけでなく、スーパーやデパート、レストラン、薬局などもすべて閉まるんですよね。みんな川辺でランチしたりしていて、家族との時間を大切に過ごしているんです。

それまで家族を犠牲にして働く人をたくさん見てきたので、驚くとともにすごく感動しました。私もこんなふうにライフスタイルを変えて働きたいと思いながら、25歳で日本に戻ってきました」

(提供:横須賀直生さん)

帰国後は茨城県水戸市に引っ越し、26歳で結婚。ホテルパティシエとして働きながら、28歳で長女を、翌年に長男を出産します。年子だったこともあり約3年間の育児休暇を取るなかで、「キャリアが止まってしまった」という思いを抱えたり、隣に誰が住んでいるかもわからないアパート暮らしに不安を感じるようになります。

「子どもはかわいいんです。でもやっぱり育児は大変ですし、同じ飲食業の夫が新メニューを考えたりしていると「私もやりたいのにな…」と焦ったり、保育園に空きがなくて職場復帰もできなかったり、かなりモヤモヤしていた時期でした」

帰国、結婚、出産。自分のライフスタイルと向き合う

ドイツで見た家族の姿と自分の生活とのギャップ。子どもにもイライラしてしまう日々のなか、ちょうど楢葉町の避難指示が解除となり、「Uターン」という選択肢が頭をよぎります。といっても、解除後すぐに戻ろうと決めたわけではありません。そのころはまだ楢葉町を「暮らす場所」と思えていなかったと言います。

避難解除から2年ほど経った頃、楢葉町に帰省した横須賀さんは、役場やまちづくり会社で働く同級生たちが企画した夏祭りに行くことに。

「地元に戻って何かやりたいという思いはあったのですが、当時はまだ原発による風評被害も強かったこともあり、親の思いだけで子どもたちを福島県出身にしていいのか、茨城県出身の夫の意思はどうなのかと悩んでいました。

それが、同級生たちが一からつくり上げた夏祭りに参加して、みんなが生き生きとしている姿を見たときに、『あれ? 楢葉町っていいまちかもしれない』って思えたんです」

それからも家族で話し合いを重ね、最終的には「だめだったら、またやり直せばいい」という気持ちで、2019年3月、ちょうど長女が年少に上がるタイミングで家族で楢葉町に移住しました。

「保育園問題もあり、友だちや頼る人が少ない水戸市での起業は難しいと考えていましたし、土地代などを考えると、楢葉町で自分の店を持つことが一番現実的な選択肢として浮かんできたんです。

でも、もともと『店をもちたい』という強い気持ちがあったわけではないんです。ドイツの人たちの暮らし方を思い出して、子どもたちとの時間を大事にしながら、自分のキャリアも閉ざさずに働き続けることを考えたら、起業しかないという結論に至りました」

しなやかに変化させていく事業形態

Uターンしてから半年ほどは起業準備をしながら、前述したお祭りを企画した同級生の紹介で「一般社団法人 ならはみらい」でパートスタッフとして働いていました。この期間があったことで起業がスムーズになったと言います。

「ならはみらいは「みんなの交流館 ならはCANvas」内にあり、起業に関するお金の面で相談に乗ってくれたり、デザイナーの方と仲良くなってお店のロゴをつくってもらったり、地域の人や個人事業主の人たちと知り合う機会に恵まれました。固定給をもらいながら起業準備できたことも、生活の安定につながりました」

しかし起業の準備を進めるなか、新型コロナウイルスの感染が拡大してきます。親子で楽しめるお菓子づくり教室をメインとした事業を考えていたため、開業するためには大幅な事業転換が必要となりました。

床はフローリング、授乳室のある広いトイレ。教室用に設計していた店舗でしたが、焼き菓子販売とバースデーケーキの予約販売という形態に変更し、2020年5月にオープンしました。

急な方向転換でしたが、修行時代にしっかりと学んだ焼き菓子で開業1年目をくぐり抜けた頃、ある相談が横須賀さんのもとへ届きます。

「リーベで働かせてもらえませんか?」

それはお客さんでもあり、パティシエの修行中でもある女性からの問合せでした。人を雇うということは人件費を支払うということであり、責任も重くなります。しかし横須賀さんは10歳以上年の離れた女性の相談に昔の自分を重ね合わせ、「よし! 腹をくくって売り上げを立てよう」と、ショーケースも入れて生菓子の販売も始めたのです。

スタッフの西山恵梨奈さん。楢葉町出身で現在は避難先のいわき市四倉町から通勤

「人を雇うことは正直怖かったです。でも自分ではまだ限界ではないと思っていましたし、子どもたちも大きくなってきているので、思い切って彼女を雇うことにしました。

もともと、育児中に孤独になりがちな女性たちの居場所になるようにと思ってお菓子教室メインの事業を考えていましたが、1年間営業していくなかで、お店を開いてお客さんと話すだけでも、人と人とをつなぐことはできるんだとわかりました。

いまも出張型でお菓子教室を開催していますが、女性が働きやすい場としてリーベを進化させたいと考えています。女性、ひとりひとりの生活にコミットした働き方ができる会社にしていきたいです」

会社員時代に感じた閉塞感や、妊娠出産でキャリアがストップしたときの思いをバネに、横須賀さんの事業はひとつ目線の上がったものになってきたのです。

まちの復興は、楽しく暮らす人が増えること

Uターンして開業を果たした横須賀さんですが、ご家族の暮らしはどのように変わったのでしょうか。開業した同年8月には第3子を出産し、5人家族となりました。

「この地域で子どもがいるのは3世帯だけなので、自然と仲良くなりました。地域の人たちに子どもたちが顔を覚えてもらっているというのはとても安心ですね。夫も庭で家庭菜園やDIYを楽しむようになりましたが、いままでこんな姿は見たことなかったです(笑)

お店も家のすぐ隣ですし、子どもたちの行事や体調に合わせて休業を調整できるのも起業した大きなメリットです。子どもたちも健やかに育っていますが、何より私が怒鳴ることが減ったのが大きいかもしれないです。アパート暮らしのときは育児に追われてギスギスしていたので」

「いまが一番楽しい」という横須賀さんに、福島12市町村での起業にあたってのアドバイスを伺いました。

「自分ひとりでやると思わないで人を頼ること、これがとても大事です。飲食業だったら保健所の厳しい審査をクリアする必要がありますし、私は公庫で融資を受けましたが、起業資金についても相談したほうがいいと思います。

何より起業仲間とつながることでお互いに励まし合ったり協力したりできます。「ならはCANvas」に行くのもいいですし、リーベに来てくれたら起業仲間を紹介しますよ」

まちづくりに励む人たちや起業仲間と出会って、横須賀さんは「復興に肩肘はらなくていいんだ」と思ったと言います。ひとりひとりが楢葉町をどうにかしたいと思って頑張っているからこそ、自分は自分にできることで町を元気にしようと思えたそうです。

「楢葉町で楽しく暮らしたいと思う人が増えていくことが復興なんだって、移住してきて気づきました。みんながそれぞれ頑張っているから、じゃあ、自分には何ができて、何をしたいのかというのがよく見えてきました。それが『女性の働きやすい場所をつくる』という現在の事業方針につながっています」

実家近くで撮影した思い出深い一枚(提供:横須賀直生さん)

ドイツで見た家族の風景に近づいてきた横須賀さん一家の暮らし。

組織で働くなかで、自分以外の外的な事情に振り回されることは、女性のみならず誰しも経験することでしょう。

そんななかであえて起業を選んだ横須賀さん。自分のやりたいことと、家族との時間、どちらも大切にする方法を考え抜いた最適解だったのだという話は、ちょっと一歩踏み出してみようかなと考えている人の背中を、優しく押してくれるのではないでしょうか。

取材・文:廣畑七絵 撮影:中村幸稚 編集:増村江利子

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