自衛官から教育を通じた地域活性化担当へ。熟慮を経て川俣町へ転職移住

- 出身地と現在のお住まい
石川県(川原輝生さん)、山形県(江利さん)→九州で知り合い、輝生さんの転勤で日本各地→川俣町 - 現在の仕事
輝生さんは川俣町地域プロジェクトマネージャー、江利さんは川俣町移住・定住相談支援センターに勤務 - 移住してよかったこと
地域の人との関わりが持てるようになった、夫婦で過ごす時間が増えた
川原輝生(かわはら てるき)さん・江利(えり)さんは、2025年夏、静岡県から川俣町に移住しました。輝生さんがそれまで20年勤めた自衛隊から、川俣町地域プロジェクトマネージャーに転職したためです。輝生さんの異動で日本各地を転々としてきた川原さん夫妻。いま川俣町という新天地で、お二人とも地域と密接に関わる仕事に従事しています。転職・移住の動機や今の暮らしについて、率直にお話しいただきました。
もともと関心のあった地域活性化の仕事
――現在のお仕事を教えてください。
輝生さん 2025年7月より、川俣町地域プロジェクトマネージャーを務めています。プロジェクトの柱は、県立川俣高校と川俣町との連携による川俣高校の魅力向上や、全国からの生徒募集・学生寮整備による入学者拡大、川俣高生と町民・事業者との交流促進など。また、川俣町はフェンシングの町で、町内にある川俣高校もフェンシング部が強いので、フェンシングを通じた町おこしも重要な活動のひとつです。
――川俣高校と町の連携や地域住民との交流とは、例えば具体的にどんなことでしょうか?
輝生さん 一例を挙げると、総合的な探究の授業で町イベント班を担当し、町の山木屋地区で定期開催される「おきがるマルシェ」を盛り上げる活動に取り組んでいます。生徒が自分たちで催し物を考え、集客のための広報も担うものです。前回のマルシェではフェンシング部の紹介とフェンシング用具展示、それに、小学生に人気の立体シールの作成体験ブースを出展しました。
また、フェンシング部以外の生徒たちの放課後も充実させたいという想いから、地域の住民や事業者を講師に迎えて月2回程度の講座を開く、「幸せな放課後プロジェクト」という企画を進めています。これまで国際交流や料理、パーソナルカラーなどのテーマで講座を開催し、多くの生徒が参加してくれています。

――江利さんも町に関するお仕事をされているとか。
江利さん 2026年3月から、町の移住・定住相談支援センター(以下、移住センター)に勤務しています。移住センターには、私たち自身がとてもお世話になりました。今は私が移住サポーターとして、主に地域おこし協力隊の活動のサポートや新たな移住者の募集活動に携わっています。
――川俣町への移住は輝生さんの希望と伺いました。その経緯をお聞かせください。
輝生さん 私は2005年に防衛大学校を卒業して自衛隊に入り、以来20年間、九州から北海道まで日本全国に異動しながらさまざまな職務を担ってきました。もともとは家庭の事情で入隊することになりましたが、自衛隊での勤務を通してコミュニケーション力や発想力といった自分の強みが分かってきましたし、教官や部隊指揮官として幹部の仕事を担うようになってからは、組織や隊員の成長に充実感を味わう日々を送っていました。
しかし、やりがいを感じた指揮官の仕事もまた1年で異動となり、その頃から自分の将来を考え始めたんですね。もっと自分の強みを活かして、直接的に自分の身近な地域の役に立つ仕事ができないだろうか、と。実はそれ以前から、地域おこしや地域活性化の分野に興味はあったんです。10年くらい前に『県庁おもてなし課』(有川浩著)や『夕張再生市長』(鈴木直道著)といった本を読んで刺激を受けたのがきっかけでした。

長い話し合いの末の決断。キャリアの悩みには移住センターの後押しも
――地域のために働くことを考えたとき、なぜ川俣町だったのでしょうか?
輝生さん 妻の実家が山形県ということもあって、なんとなく東北エリアのイメージはありましたが、場所は決めていませんでした。地域おこし協力隊関係の本をたくさん読み、移住スカウトサービスに登録して面白そうな地域や仕事を探していたところ、川俣町から現在のポジションにスカウトされたのです。地方ではどうしても一次産業関連の仕事が多いなか、高校の魅力化を通して町の活性化に寄与できるというのは、自分にとても合っていると感じました。
もちろん即断できたわけではありません。役場に促されて応募書類を提出し、2024年12月、一次選考のため初めて川俣町に1週間滞在。二次面接に進んだ際も、あまりに生活面の変化が大きいため、決めかねていたのです。でも、最終的には40歳を超えた私がキャリアチェンジするなら今しかないと判断。総務省の地域プロジェクトマネージャー制度※を活用していただけることになり、挑戦しようという気持ちが固まりました。
※地域プロジェクトマネージャー制度:市町村が重要プロジェクトを実施する際、関係者間を橋渡ししつつプロジェクトをマネジメントできる「ブリッジ人材」を「地域プロジェクトマネージャー」として1~3年間任用する制度。

――江利さんはどう思われましたか?
江利さん 初めは、彼が真剣に転職を考えているとは思っていませんでした。オンラインで面談したり、移住フェアに一人で出かけたりする姿は見ていましたが、「ああそう、いってらっしゃい」という程度で(笑)。本気だと分かったのは、1週間川俣町に行ってくると言われたときです。
20年間勤務してきた仕事から、まったく違う、しかも任期3年の仕事に就きたいと聞き、正直動揺しました。だから、かなり長い間、二人で話し合いましたね。ケンカもしましたし。でも、客観的に見て、教育の分野は彼にとても合う仕事だと思ったし、やりたいことをやらせてあげたいという気持ちのほうが勝り、最後は同意しました。いま彼が生き生きしているのを見て、反対せずによかったと思っています。
輝生さん 3年の任期終了後にどうするかという点については、移住センターにもずいぶん相談しました。移住センターから、これまでのキャリアと町でのプロジェクトマネージャーの経験を合わせれば、やれることはいくらでもある、心配しなくて大丈夫と背中を押してもらったことも大きいですね。
――江利さんご自身のお仕事はどうされましたか?
江利さん 私は山形市の高校を出たあと、関西の短期大学に進学し、その後は東京などの都市部で働いてきました。2009年に結婚してからは、夫の異動に帯同し、1~2年で引越しの繰り返し。典型的な転勤族の妻として、パートなど非正規の仕事を転々とした形です。こちらでももちろん働くつもりでしたが、川俣町内には私の希望する事務系の仕事がなかなか見つからなかったので、最初は隣の福島市の職業訓練校に通い、そのまま市内での就職も考えていたのです。が、ちょうど町の移住センターが人を募集しているという話があり、ご縁をいただくことになりました。

転勤生活にはなかった、自分が地域の一部になりつつある実感
――お住まいはどう探されましたか?
輝生さん かなり苦労しましたね(笑)。私は住むところにまったくこだわりはないんですが、妻は虫や音が気になるほうだったので、移住センターにも情報収集をお願いしながら、自分たちでネットで物件を探し、4回は下見に来たでしょうか。
江利さん 隣が田んぼの家を見せてもらったとき、カエルの大合唱がすごかったんです。スマホで測ったら、国道沿いの車の音よりもデシベルが高くて、これは夏に窓を開けられないなと(笑)。そういう場所に住んだことがなかったので、びっくりしました。
輝生さん 下見に来るたびに、かわまた暮らし体験住宅や交通費等補助金制度も活用させてもらいました。最終的に、町の中心部から少し離れたところにある、静かなアパートが見つかってよかったです。
――移住後の暮らしはいかがですか? 心境の変化は?
輝生さん 公私ともに充実しています。以前より収入は減りましたが、それ以上に仕事のやりがいや心の豊かさを感じますね。前職では生活の中心が仕事でしたし、頻繁に引越しもあったので、広がる人間関係も職場が大半で、地域との交流はなかなかなかったんです。
それが、今では積極的に地域に入っていく生活になり、自分自身がその一部になりつつあると感じます。川俣町には有名なコスキン・エン・ハポンというフォルクローレの音楽祭がありますが、そこで演奏するケーナという楽器の愛好会にも入って練習しているんですよ。
江利さん 二人一緒に夕飯を食べられるようになったのは、大きな変化ですね。前職では夫の帰宅はいつも深夜でしたし、忙しいときは職場に寝泊まりすることも多かったので。いまでは週2~3回、一緒にランニングする時間もありますし、休日は町内外のいろいろなところに出かけて楽しんでいます。

――この地域の魅力はどんなところでしょう。
輝生さん 歴史に培われた特色ある文化や産業があること。また、人口規模に比してイベントが多く、楽しみがたくさんあること。キャンプなど趣味のアウトドアが無料で楽しめる場所が多いのも魅力ですね。一方で、町の中には川俣町の良さに気付いていない方もおられるように感じます。これまでの転勤で地方に行く度に、よく地元の方が、「ここは何にもない」と言うのを聞いてきましたが、私たちから見れば地元のスーパーだってお祭りだって面白い。もっと身近な地域の魅力を知って発信してほしいなと思います。
江利さん 移住する前は、地域の方とのつながりの中にうまく馴染めるか心配していました。でも、実際に暮らしてみると、皆さんが温かく声をかけてくださり、自然と地域に馴染んでいくことができました。都会暮らしでは、地域のイベントに参加する意識をもっていませんでしたが、こちらに来て夫とともにさまざまな催しに出かけるようになり、まったく視点が変わりました。
――移住を検討している方へ、メッセージやアドバイスがあればお願いします。
江利さん 迷っているなら、最初は2拠点生活もいいかもしれません。実際に住んでみないと分からないことはたくさんあります。町のお試し体験住宅なども活用して町で過ごし、時間をかけて暮らしのイメージをつかんでいくのもよいのではないでしょうか。
輝生さん 地域活性化の仕事を実際に始めて思うのは、まずは地域の人の期待に応えて実績をつくり、信頼を得てから新しいことに挑戦する姿勢が大事ということです。私は昨年、いろいろなことをやろうと意気込んで着任しましたが、そんなにすぐなんでもできるわけはなく、町や川俣高校の要望をしっかり把握して的確に応えることが先だと学びました。結果、2年目の今年は新しい提案もできるようになってきています。地域の仕事をする場合、最初は自分から地域のヒト・モノ・コトに触れにいくと、その先が広がっていくように思います。

川原輝生(かわはら てるき)さん・江利(えり) さん
輝生さんは1981年、石川県生まれ。自衛隊で20年間を過ごしたあと、キャリアチェンジを決意。地域活性化の仕事を模索し、川俣町からスカウトを受けて移住。地域プロジェクトマネージャーとして川俣高校魅力向上推進プロジェクトに従事する。江利さんは1979年、山形県生まれ。輝生さんと結婚後は転勤に帯同。現在は川俣町移住・定住相談支援センターに移住サポーターとして勤務。
※所属や内容は取材当時のものです。最新の支援制度については各市町村のホームページをご確認いただくか、移住相談窓口にお問い合わせください。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:塩沼麻衣