移住者インタビュー

地元出身だからできることがある。事業経験を活かして川俣町を盛り上げたい。

2025年12月18日

●出身地と現在のお住まい
川俣町→埼玉県→東京都→川俣町

●現在の仕事
東京と川俣で会社経営、KAWAMATA-BASEの運営など

●移住のきっかけ
出身者として故郷の地域おこしに携わりたい

2022年、地域おこし協力隊として生まれ故郷の川俣町に戻ってきた都築魁(つづき・すぐる)さんは、22歳のとき東京でIT系のベンチャーを創業。以来、次々と会社を興し成功させてきた凄腕経営者です。現在は東京と川俣町を行き来しながら、川俣町ではカフェ&コワーキングスペースのKAWAMATA-BASEの運営を中心に地域の活性化に尽力しています。

福島・川俣に目が向いたきっかけ

――いくつか代表取締役の肩書をお持ちですが、お仕事内容を教えてください。

まず、川俣町では2024年8月にオープンしたKAWAMATA-BASEという複合施設(カフェ、コワーキング、音楽スタジオなど)の運営をしています。そのために立ち上げたのが株式会社都屋(みやこや)という会社。この社名は、私の曽祖父が川俣町で開いていた商店の屋号なんですよ。会社の登記もその住所にしました。店はずいぶん前に閉じましたが、実家はまだ同じ場所にあります。

高校2年のとき個人事業主として開業し、郡山市内の大学に進学したものの1年で休学して東京に出て、2016年に最初の会社を創業しました。以来、ITや音楽のバックグラウンドを活かしてさまざまな事業(IT教育・支援、ウェブサービス、飲食店、e-Sports、格闘技ジムなど)を立ち上げ、現在は、都屋のほかに都内で5社を経営しています。従業員は社員15名、業務委託も合わせると40名以上になります。私自身は東京と川俣の2拠点生活で、月の半分くらいを川俣で過ごしています。

商店街の中程にある3階建ての複合施設、KAWAMATA-BASE (都築さん提供)

――都内で会社経営をしながら川俣町に関わることになった理由はなんでしたか?

故郷の川俣で何かやりたい、と思い始めるきっかけがあったんです。それは、福島市内でFUKUSHIMA -BASEという施設(コワーキング・イベントスペース、カフェ)を運営している中野友登(なかの・ゆうと)さんとの出会い。人を通じて紹介された彼は私とほぼ同い年で、人が集まる場を作ることで地域の若者のチャレンジを応援する事業を展開しようとしていました。

私は正直、地方にこんなに熱くて優秀な若手起業家がいるとは思っておらず、驚きました。それに、彼はもともと広島県出身で、大学進学で初めて福島に住んだという人物。出身じゃない人がこんなに福島のことを考えて盛り上げようとしているのだから、私だって負けていられない。自分の事業経験を活かして、中野さんと一緒に何かできないかと考え、FUKUSHIMA-BASEの運営に関わるようになりました。そうするうちに、次は川俣町でも同じようなことをやりたい、と思い始めたわけです。

協力隊任期中にKAWAMATA-BASE開業

――それで地域おこし協力隊に応募されたのですね?

実は、そういう制度があることはまったく知りませんでした。まずは川俣町のことをあらためてよく知ろうと思い、役場の公式LINEに登録したら、最初に来たお知らせが、川俣で事業をやりたい人の募集だったんです。それが、起業型・個人事業主型地域おこし協力隊というものでした。調べてみたら、月々報酬をいただきながら事業の準備ができる。ミッションを通じて町のことも勉強できるし、これはいい!と思って応募しました。

もう一つの応募理由は、地元出身の私だからこそできることがあると思ったから。ほかの協力隊のメンバーの多くはIターンですが、私は子どものころからケーナ(※)を練習し、蚕を育て、川俣シャモまつりにも参加してきた。外から来た人たちだけに任せていられないぞという気持ちもありました。
※ケーナはフォルクローレで使う楽器。川俣町では毎年10月、コスキン・エン・ハポンという日本最大のフォルクローレ音楽祭が開催される。

地域おこし協力隊については、こちらをご覧ください。
地域おこし協力隊|未来ワークふくしま

東京で会社経営を続けることを理解してもらった上で採用していただき、2022年10月に着任。同時に川俣町のアパートを借りて住民票を移し、2拠点生活を始めました。そこから3年間取り組んだのが、町の特産である川俣シャモの認知向上・販路拡大というミッションです。昔からなじみのあった食材ですが、知らないことばかりでものすごく勉強しました。

――結果を出すことはできましたか?

福島県内のほか、都内にも新規卸先を獲得しました。私が都内に持つネットワークを営業に活かすことはできたと思いますね。もともと川俣シャモは高級食材としてブランディングしており、富裕層向けマーケティングをしたことも大きなポイントでした。ただ、認知度向上については、正直まだまだだと思っています。販促についても、EC機能を備えた川俣シャモの公式サイトを整備し、ネット販売を拡大したいと考えていましたが、協力隊の任務としては思うような結果を残せなかった。これについては、今年(2025年)9月に卒隊したあとも、私が川俣で経営する都屋の事業として引き続き取り組もうとしているところです。

――KAWAMATA-BASEを開設したのは、どういう経緯でしたか?

KAWAMATA-BASEは、川俣町出身の高野樹(たかの・いつき)君と始めた事業です。あるとき高野君がFUKUSHIMA-BASEにやってきて、川俣町には昼間、若い人が気軽に集まれる場所がない、交流の場になるカフェを作りたい、と相談してくれたのがきっかけでした。私自身、川俣にもFUKUSHIMA-BASEのような場が欲しかったし、町に1軒もない宿泊施設をいずれは作りたいと考えていました。宿泊には当然、飲食も必要ですから、じゃあ一緒にやろうと。

事業アイデアを練りながら半年ほどかけて町内に物件を探し、見つけたのが商店街の中ほどにあるビルです。高野君念願のカフェは1階にオープンしました。メニューにはもちろん川俣シャモを使い、カレーなどを提供しています。(※)2階は元スナックだったところを音楽スタジオに、事務所だったところをコワーキングスペースにして、会員のみならずドロップインで町外・県外の方々にも使っていただいています。2階の奥や3階、屋上はまだ利用できていませんが、将来はシアタールームやテントサウナ、ビアガーデンなどもやりたいですね。
※2025年11月現在、カフェは音楽スタジオ内で土日のみ営業中。

広々としたコワーキングスペースは宴会で利用する人もいるとか

川俣には魅力的なコンテンツがある

――高校在学中に個人事業主になったのは、東日本大震災がきっかけだったとか?

私は中学時代からドラムとDJをやっていて、福島市内の高校に進学してからは音楽活動に加えて音楽イベントのオーガナイズも手掛けるようになりました。市内の会場で500人規模の自主企画イベントを成功させたこともあります。

その頃に東日本大震災が起きて、チャリティイベントが多く開催され、私が関わる機会も増加。さらに、当時流行し始めたご当地アイドルユニットが福島でも立ち上がることとなり、プロデューサーの方と一緒に私もその運営に携わることになりました。同時に、デザイン系の仕事の依頼も受け始め、月々の売上が立つ状態になったことから、高校在学中に開業届を出すことにしました。もちろん学業ともちゃんと両立していましたよ。

KAWAMATA-BASE2階の音楽スタジオにもドラムとDJセットが

――東京で起業するまでの経緯を教えてください。

もともとパソコンも好きで、大学は情報工学部に進みましたが、1年で休学して埼玉に移り住みました。すでに東京で活動していた旧友に誘われ、都会で自分の腕試しをしたいと思ったからです。紹介された金融ITベンチャーに業務委託の形で入社。そこで1年あまり、人生で一番しんどい日々を経験することになりました。

周りはとても優秀な大人ばかり。私は地元では同年代と比べて「デキる」つもりでいましたが、プロの世界では全然通用しなかった。毎日コテンパンにされました。頭が完全に動かなくなるまで何日も缶詰でコードを書いたこともありました。もう二度とあんな経験はしたくありません。でも同時に、ものすごく学びが多かったことも事実です。精神的に鍛えられ鋼のメンタルを手に入れましたし、自分の力にも自信がつきました。

そのベンチャーを辞めた数か月後、初めての会社キャスティードを創業しました。自分の興味のある分野に事業を拡げていき、現在はグループ全体で年商4億円を超える規模に育っています。

――そんな都築さんから見て、故郷・川俣町はどんな場所ですか?

まさに「ちょうどいい田舎」ですね。うるさすぎず不便すぎない。スーパーもホームセンターもあるし、バスやタクシーといった最低限の交通インフラも整っている。今後はそのインフラをどう維持するかが課題だとは思いますが。

私が東京に行ったのは、故郷に不満があったからではなく、大きな市場で自分を成長させたかったから。今でも川俣町は大好きだし、多くの魅力があると思っています。なかでも特筆すべきは特産品の多さ。川俣シルク、川俣シャモ、コスキン。この3つは単体でもかなり強いコンテンツですよ。

コワーキングの机にさりげなく置かれた川俣の歴史資料

――都築さんの川俣町内・福島県内の事業について今後の展望を教えてください。

都屋の事業として、KAWAMATA-BASEの拡大や川俣シャモPRのほか、福島12市町村全体を視野に入れて、まちづくり系の仕事を増やしたいと考えています。具体的には、川俣町などと協力して、地域おこし協力隊の運営や移住定住促進などに関われたらいい。そうやって福島を盛り上げる仕事の比率が高くなれば、私もいま以上に川俣町や福島県内で過ごす時間が長くなっていくかもしれませんね。

都築魁さん さん

1994年、福島県川俣町生まれ。福島工業高校情報電子科卒。在学中から音楽イベントのプロデュースを開始し、東日本大震災をきっかけに個人事業主として開業。2014年、大学2年生のとき休学して上京。2016年、株式会社キャスティード創業。2022年10月、川俣町地域おこし協力隊に着任(任期3年)。2024年8月、高野樹さんとともにKAWAMATA-BASEを開業。現在は東京・川俣を往復しながら6社を経営。

KAWAMATA-BASE
HP:https://kawamata-base.com/
Instagram:https://www.instagram.com/kawamata_base/

※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:塩沼麻衣