移住者インタビュー

私たちに合った居場所が見つかった。福島県川俣町で薬膳カフェを始めたふたりが見つけた豊かな生き方

2025年8月26日

「東京で同じことをしても、うまくいかなかったと思います」

こう語るのは、福島県伊達郡川俣町で薬膳カフェ「BONCHI TARO(ボンチタロウ)」を営むご夫婦、ファンコーニ・マイケルさんと菜美子さん。

ふたりは、神奈川県茅ヶ崎市から縁もゆかりもなかったこの町に移り住みました。フランス語のような響きの店名は「盆地」と「タロウ」を組み合わせた遊び心あるネーミングです。

「山に囲まれたここの景色は、本当に最高だよ! 川俣に来て、町の人たちがよく『ボンチだから暑いでしょ』って話しかけてくれたんだけど、最初は何のことかさっぱりわからなかった。それで調べてみたら、“盆地”のことだったんだ! このまちへのリスペクトを込めたくて、店の名前に“BONCHI”と付けたよ。“TARO”は響きがかわいいでしょう?」

楽しそうに話すふたりは、川俣町の景色と人の温かさに惹かれ、初訪問から2か月後には移住。町の手厚い後押しもあり、当初は考えていなかったカフェの開業という道にも踏み出します。

本当に心地よい暮らしを求めてたどり着いたこの地で、ふたりはどのように店をつくり、町に溶け込んでいったのでしょう。

自分たちのペースで暮らすための決断

マイケルさんと菜美子さんが出会ったのは、石川県金沢市。15年間暮らしていたマイケルさんにとっては「アメリカよりも故郷のように感じる場所」だと、愛おしそうに語ります。そんな金沢を仕事の関係で訪れていた菜美子さんと出会い、ふたりは結婚しました。

その後、海辺でのゆったりとした暮らしを求めて茅ヶ崎市へ。けれど、実際に暮らしてみると、茅ヶ崎市は想像以上に都会で、思い描いていた生活はできませんでした。

マイケルさん 「海が近いはずなのに、結局あまり行くことはなかったね。道路はいつも渋滞しているし、海辺は人で埋まっている。家から2キロの郵便局へ行くだけで車で20分もかかるんだ。時間が食べられているような気がしたよ」

窓を開ければ、目の前には隣家の壁がある住環境。仕事も日常も、どこか急かされているような気がしました。マイケルさんは当時を振り返り「いつもすごく疲れていた。自分たちのペースと合わなかったんだ」と話します。

庭のある一軒家で、ペットを飼って、地に足をつけた生活を営みたい。ささやかな、自分たちらしい暮らしを見つけたい。その思いは日に日に大きくなっていきました。

さらに、食器のオンライン販売を営んでいた菜美子さんにとっては、仕事場の手狭さも切実な課題でした。もっと広いアトリエで、のびのびと作業ができたら……。そんな思いも重なって、新たな暮らしの場を探すことにしました。

福島は「怖い」と思っていた

移住を考えはじめたふたりは、ネットで各地域の情報を調べ、候補地を絞り込んでいきました。実際に足を運んだのは、新潟、千葉、埼玉、静岡……。けれど、どの土地も「ここだ」と思える決め手がありませんでした。

ある日、菜美子さんはネットで偶然、福島県の移住情報を見つけます。候補にはなかった土地でしたが、興味を惹かれ「行ってみない?」とマイケルさんに提案しました。けれど、返ってきた返事は珍しく「NO」。「福島」という地名に対して、マイケルさんの中には、原発事故にまつわる不安や戸惑いがあったといいます。

マイケルさん 「福島は、なんとなく“怖い”というイメージをもっていたんだよね」

菜美子さん 「私は自分なりにいろいろ調べてきたので、これだけしっかり数値を出して公表しているのだから、逆に安心だと思っていたんです」

マイケルさん 「それで彼女のお父さんに相談してみたんだ。お父さんは放射線技師をしているから、彼の言うことを信じようと思ったんだよ。そうしたらお父さんは『まったく心配いらない。行ったほうがいい!』って背中を押してくれたんだ」

「FUKUSHIMAには人が住めない」。海外では、いまだに“危険な場所”というイメージが根強く残っています。しかし、まずは自分たちの目で見て、肌で空気を感じてみようと、福島県を訪れることにしました。

菜美子さん 「最初に川俣町の役場へ電話をかけてみたんです。そうしたら「すぐ来てもらっても大丈夫ですよ」と言ってくださって。「それなら、行っちゃおうか!」ってすぐに向かったんです」

川俣町の自然と人の温かさに心を掴まれた

新緑がまぶしい5月。ふたりは初めて、川俣町を訪れました。福島市から川俣町につづく国道114号に入ると、山々が連なる景色が広がり、木々の緑が濃くなっていきます。

マイケルさん 「山並みがとても美しくて、大好きな景色だ! と思ったよ。ドライブしながら、まるでテーマパークのアトラクションに乗っているみたいで、景色を見るのが楽しくて仕方なかった(笑)! それから、人がとても明るい。これにはとても驚いたよね」

菜美子さん 「最初に入ったコンビニで、店員さんが「これから雨が降るみたいだから、気をつけてくださいね」って話しかけてくれたんです。都会では考えられないことだったので、とても驚いてしまって。コンビニを出て、顔を見合わせて「いいね!」「すごいね!」って言い合ったことを覚えています」

さらに、役場の方たちがあたたかく迎えてくれたこともあり、安心してじっくりとまちを見て回ることができました。2泊3日の体験移住を終える頃には「帰りたくないね」と言い合ったそうです。

そこからの行動は、驚くほどスピーディーでした。紹介された空き家の中から住まいを決めると、レンタカーを借りて自分たちで荷物を運び、引っ越しもすべて自力で完了。新緑の季節に初めて川俣町を訪れたふたりは、夏のはじまりとともに新しい暮らしをスタートさせました。

まちの支援で、夢の実現に踏み出す

移住後、菜美子さんは食器のオンライン販売を再開するつもりでいました。けれど、「福島県12市町村起業支援金」の制度を知ったことで「せっかくなら、今までやりたかったことに挑戦してみよう」と気持ちに変化が生まれます。

川俣町では、移住や起業を後押しする制度が手厚く整えられています。なかでも「川俣町空き店舗活用事業補助金交付制度」は、条件を満たせば店舗の改修費や付帯設備費、さらには家賃の補助まで受けられるという仕組み。この制度のおかげで「自分のお店をもつ」というハードルが下がり、挑戦への一歩を踏み出しやすくなったといいます。

「いつかカフェを開きたい」という菜美子さんの夢は、この町に移り住んだことで、具体的に動き出したのです。

菜美子さん 「川俣の商店街を歩くと、人通りがほとんどなくどこか寂しさを感じました。ここに安心してくつろげるカフェがあったら、町の人たちが立ち寄れる憩いの場になれるかもしれないと思ったんです」

菜美子さんはその思いをきっかけに「薬膳料理のカフェを開いてみよう」と考えるようになります。もともと、食を通じて体調を整えることに関心があり、独学で薬膳を学んできたのです。

菜美子さん 「食べるものって、心の状態にもつながっていると思うんです。体調に合わせて、無理なく体にいいものを摂れば、心も体も自然と整っていきます。『薬膳料理っておいしいんだ』とか『体にやさしい食べ方って意外と簡単なんだ』って、料理を通して小さな気づきを、まちの人たちに届けられたらなと思いました」

マイケルさん 「僕は、毎日彼女がつくる料理の実験台になったよ。あれはすごく楽しかったよね!」

菜美子さん自身、心身のバランスを整えるためにこれまでさまざまな方法を試してきました。だからこそ「自分にできることで、町の人たちの役に立てたら」という思いが強まります。その思いは少しずつ形となり、実現していきました。

店から生まれる、新しい出会いとつながり

店舗は、川俣町役場から徒歩約9分のところにある、川俣町商店街の空きテナントを借り、マイケルさんがほぼDIYで仕上げました。大工をしているマイケルさんの父も電話で設計のアドバイスをしてくれて、一緒に店づくりに取り組んだそうです。

こうして2024年10月、薬膳カフェ「BONCHI TARO」がオープンしました。

2025年7月現在のメニュー

メニューには、玄米やナツメ、クコの実、竜眼肉など10種類以上の薬膳食材をコトコト煮込んだ「薬膳がゆ」をはじめ、地元の野菜やスパイスを活かした「薬膳カレー」、自家製チーズやナッツを使ったサンドなど、体にやさしく、滋養に満ちた料理が並びます。マイケルさんがつくるエスプレッソコーヒーも、とてもおいしいと人気です。

滋養強壮、体の芯から元気になる薬膳がゆセット1,100円。素材の旨みが凝縮されて体の芯まで温まる。地元農家の新鮮野菜を使ったサラダは、シャキシャキ食感で食べ応えも抜群

店舗をつくり上げるうえでふたりが何より大切にしたのは、この町へのリスペクト。店の壁一面には、川俣町が絹織物の産業でにぎわっていた時代の写真や、大正時代に描かれた町の地図も飾りました。

店の壁一面にまちの歴史が貼られている

菜美子さん 「壁の写真を眺めながら「懐かしいなあ」と昔のことを話してくださるお客さんがいたり、「あれ、小学校一緒だったよね?」と、思いがけない再会を喜ぶ声が聞こえたり。お客さん同士の会話から新たな繋がりが生まれていく場面に、何度も出会いました。少しずつ、町のみなさんにとってのお茶の場になれている実感があってうれしいです」

そんな菜美子さん自身にも変化が訪れました。暮らしが少しずつ軌道に乗り、気持ちに余裕ができたことで、昔からの趣味を再開することができたのです。

マイケルさん 「彼女がもう何年も「コーラスをしたい」と言ってたのを、僕は知っていたからね。ある日、お店でお客さんと話していたら「音楽大学を出ている」と聞こえて、すかさず「音楽って、何をやってたの?」って聞いたんです。そしたら返ってきた答えはコーラス……! その瞬間すぐに「菜美子と話してください!」って言ったよ(笑)」

菜美子さんはこうして週に一度、隣の飯館村で行なわれているコーラス教室へ通うようになったそうです。一方のマイケルさんも、金沢市にいた頃からの趣味であるブラジリアン柔術を、移住してからも続けています。移住体験で訪れた際に教室を探し、いい先生や仲間との出会いに恵まれました。

私に必要なことは「人との繋がり」だった

マイケルさん考案のロゴも憎めない可愛さ

「BONCHI TARO」がオープンして、まもなく1年。まちの人々との繋がりが、この店を支えてきたとふたりは口を揃えます。

マイケルさん 「お隣の本屋さんも近くのお弁当屋さんも、まちのみなさんがありえないぐらい助けてくれるんだ。野菜を仕入れる農家さんを紹介してくれたり、収穫したばかりの野菜を持ってきてくれたり、とにかく応援してくれるんだよ」

菜美子さん 「これまで、新しいビジネスを始めてみたり、YouTubeに挑戦してみたり、いろいろ試してきましたが、どれもうまくいきませんでした。今思えば、みんながやっていることを真似していただけで、本当に自分に合ったやり方ではなかったんだと思います。そして、一番の理由は「人との繋がり」がなかったことです。ずっと関東圏で育ってきた私は、助け合わなくても生きていける環境に慣れていて、人と深く関わる機会がありませんでした。このまちで暮らすようになってはじめて、人とつながることの心強さを実感しています」

とはいえ、人口が少ない地域での商売は「決して簡単ではない」と菜美子さんは言います。町の人たちの暮らしに寄り添いながら、自然と足を運んでもらえるような店づくりをすること。そのためには、都会とは違う視点や工夫が求められると感じているそうです。

菜美子さん 「たとえば、お年寄りや足の悪い方もいるので入り口に段差がないとか、薬膳だけどこだわりすぎないとか、長く続けていくために固定費をなるべく減らすとか。 まちの人の声に耳を傾けて柔軟に形を変えながら、自分たちのやりたい軸はぶらさずにいることが大事だなと感じています」

小さな町であるからこそできる工夫を、ふたりは前向きに楽しんでいるようです。

自分たちのペースを大切にしながら、川俣町に根を下ろし暮らし始めて1年。「BONCHI TARO」には、今日もマイケルさんの明るさと菜美子さんの優しさがあふれています。「ここでの暮らしがとても楽しい」と笑い合うふたりは、すっかりこのまちの日常に溶け込んでいました。

取材・文:奥村サヤ 撮影: 中村幸稚  編集:平川友紀

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