解放され、自由になると人生は面白くなる。福島の羊飼いの歴史をつなごうとした吉田睦美さんは、なぜか今、福島と北海道を行ったり来たりしている

2024年2月27日
田村市
  • 起業・開業

職業・羊飼い。

誰もが魅力を感じる職業名ではないでしょうか。

「いやいや、本気で羊飼いになろうと思ったら、そんなに甘い世界じゃないです。羊飼い、めちゃくちゃ大変ですから!」と話すのは、福島県田村郡三春町にある「株式会社むー」の代表取締役で“むーさん”の愛称で親しまれる吉田睦美(よしだ・むつみ)さん。現在、北海道旭川市の羊牧場「アニマルフォレストカムイの丘」で食肉用の羊を生産しているほか、福島県田村市の「アニマルフォレストうつしの森」でのイベントスペースレンタル、「きになるキャンプ場」の運営、「ふれあい動物園」など、実にさまざまな事業を展開しています。

睦美さんが羊飼いになることを決意したのは、東日本大震災のあとのこと。それまで農業系の学校で学んだこともなければ、牧場で働いた経験もありませんでした。デザイン系の専門学校に通い、結婚後は土木会社を営むご主人の仕事を手伝っていたそうです。そんな睦美さんが羊飼いになろうと思い至ったのは「福島の羊飼いの歴史を途絶えさせたくなかったから」でした。

畜産業未経験だった睦美さんが、なぜそういう思いに至ったのでしょうか。すべては、義理のお父さんが、趣味で羊を飼っていたことから始まりました。

福島の羊産業の歴史を途絶えさせたくない

株式会社むー代表取締役の吉田睦美さん

電気工事の仕事をしていた睦美さんの義父が、定年後、ボケ防止にと飼い始めたのが羊だったそう。きちんとした牧場経営をするわけではなく、年に1度開催される品評会で賞を取ることを目標に、年間5頭ほどを育てていました。稼いだお金はすべて羊に注ぎ込み、乳牛が食べる栄養価の高い餌をどんどん与えて、通常よりも10キロも大きい、立派な羊を育てていたそうです。睦美さんもときどき羊の世話を手伝っていました。

義父が育てたメスの羊が、品評会で初めて優勝したのが2010年。その翌年、義父は病気が見つかって入院します。直後に東日本大震災と原発事故が起こり、ご主人の地元である川内村も全村避難を余儀なくされ、そのまま11月には、義父が亡くなります。

義父が飼っていた羊は、警戒区域に指定された川内村から連れ出すことができませんでした。さらに2012年、農水省から警戒区域の家畜は原則殺処分という通達がなされます。ただし、家畜として一切運用しないのであれば、殺処分の強制はできないという見解も出されました。

睦美さん 「お肉にしない、出産させない、堆肥を売らない、毛も売らない。つまりペットですよね。ペットとして飼うのであれば殺処分は強制しないということでした。全国の保護団体による物資支援などもあり、義父の羊には生きることをまっとうしてもらい、全頭が寿命で亡くなるまで川内村に通って世話をしました」

亡き義父の残した羊の世話をしているうち、睦美さんにはある思いが湧き上がってきました。

睦美さん 「 福島は、北海道に次ぐ羊肉の産地だったんです。しかも、羊とヤギ専門の市場があったのは福島だけ。品評会をやっていたのも福島だけでした。けれども震災の後、県内の飼育頭数がガクンと減ってしまって。

そうなったときに『このままだと福島の羊の歴史が震災にのまれる』と思ったんですね。『のまれるなぁ』ってふっと思って『良くないよなぁ…』って。ものすごくもやもやしました。それって、日本の羊飼いの歴史がぽっと消えてしまうようなものじゃないですか。そこでなんだか私は“義憤”に駆られてしまって」

福島の羊産業の歴史を途絶えさせたくない。その思いが羊飼いになることを決意させました。

睦美さんが見せてくれたのは、日本の羊飼いの歴史が描かれた1冊の本。この本の中には、羊の品評会の最後のチャンピオンとなった義父が写った写真も掲載されている

未経験から羊飼いになる

睦美さんは、まずご主人に相談を持ちかけます。経営者でもあるご主人は、睦美さんの事業計画の甘さを指摘し、さまざまなアドバイスをしてくれました。

例えば、羊は食肉として販売できるようになるまでに、2~3年ほどかかります。その間の収入源として、別の事業も必要だと言われました。睦美さんは養鶏も同時に開始し、当面は卵を売って収入を得ることにしました。

牧場については、土木の仕事で知り合った方が所有する田村市船引町上移(かみうつし)の土地を借りられることに。また、その土地から道で上がったところも、別の地主さんから借りられることになりました。現在「アニマルフォレストうつしの森」があるところです。

さらに、川内村と北海道士別市が協定を結んでいると聞くや、川内村の商工会長に頼み込み、士別市の第3セクターが運営する羊の観光牧場「羊と雲の丘」へ視察に行きました。視察を終えると北海道美深市で羊のチーズをつくっている人を訪ね、さらに、そのお隣の羊農家さんともつながり、羊やポニーを譲ってもらえることに。2016年4月ごろから準備を始め、最初の羊がやって来たのが10月のこと。晴れて羊飼いとしての一歩を踏み出すことになりました。

睦美さん 「 義父がやっていた規模で考えていたので雄1頭、雌4頭の計5頭からスタートしました。しかし、それではまったく食べていけないことに、私はちっとも気づいていませんでした。羊の子どもはそんなにたくさん生まれないし、そもそも震災後は羊肉の市場が再開していない。始めてから『えーどうしよう』みたいになりましたね(笑)」

睦美さん 「本当にど素人だったんですよ。養鶏も、個性を出そうと4種類の鶏を育てることにしましたが、生産性を何も考えずに選んだら、そのうち3種類は産卵率が30~50%と極めて低く、こちらも始めてから『大変なことをしてしまったぞ』と慌てました」

そんなドタバタのスタートに追い打ちをかけるように、福島独自の大きな問題も判明しました。なんと、そもそも羊の放牧ができなかったのです。

睦美さん 「牛は、地面から10センチぐらいまでの草をべろで絡め取って食べるんですね。ところが羊やヤギ、鹿は、牛がむしった後の短い草を好んで食べます。それだと、地面の土も口の中に入ってしまう。しかも羊は、放射性物質の排出機能が牛の100分の1程度しかないらしく、体内に溜め込んでしまうそうなのです。そうなると、食肉としては通用しない。そのため、羊については今も放牧自粛要請が出たままです」

つまり、いくら牧草地を用意しても羊に草を食べさせることはできず、外に出して運動させることもできないのです。福島の羊飼いの歴史をつなごうと思っていたのに、これは大きなジレンマでした。

生産ラインから外れた羊は、動物除草やふれあい動物園などで活躍している。飼料はただでさえ高いが、羊はおいしい部分だけを食べるので、半分ほどは食べられずに残ってしまう

夫も経営に参画し、事業の多角化が進む

羊の種類はさまざま。肉用、乳用、毛用があり、こちらはシェットランド種。セーターに使われる羊毛が有名

それでも、建物内で羊の飼育を続けていた2018年ごろ、かねてから「一緒にやろうよ」と誘い続けていた睦美さんのご主人が正式に経営に参画することになりました。牧場を始めてからの2年間、ご主人はよき相談相手ではありましたが、基本的には睦美さんがひとりで羊と鶏の世話をしていました。

睦美さん 「夫はイベント好きで、人を楽しませて自分も楽しみたい人。だから『単なる生産牧場はつまらない』と言うんですね。私は生産をしたい、夫はエンタメをやりたい。それで何年も喧嘩したんですけどね(笑)」

ご主人が独自に企画して始めたのが「ふれあい動物園」でした。羊はもちろん、ウサギやヤギといったたくさんの動物を連れて、保育園や商業施設に出張するのです。

柵から逃げ出したふれあい動物園のウサギ。近くをウロウロしているが、すばしっこくて捕まえられない。野生動物に襲われることもなく生きている

また同年、東京のアースデイに出店した際に知り合った女の子とともに、うつしの森でフェスも開催。もともとイベントがやりたかったご主人はもちろん大賛成。お金がない中、かき集めた資材で即席のステージをつくり、重機で斜面を削って平地を増やすなど、大規模な会場整備も行ないました。当日は地元の方々も100名ほど参加したそうです。

2018年8月5日に開催した音楽フェス「BEM(Barter Festival by Manpower)。たくさんの人で賑わった

これをきっかけに「アニマルフォレストうつしの森」は、イベント会場としてのスペースレンタルやキャンプ場として利用されることが増えていきました。山奥の気持ちのいい空間で音が出せて、常設のステージがあって機材もひととおり揃っている、しかも泊まれるということが口コミで広がり、今では大小さまざまなイベントやパーティが開催されています。

常設のステージや音響設備一式、屋根のついたバーベキューサイトもあるイベントスペース。キャンプをする際は、事前に予約しておけば、購入した羊肉をその場で焼いて食べることもできる
上空から見た「アニマルフォレストうつしの森」。中央がイベントスペース、左下の点在する四角形がテントサイト(きになるキャンプ場)。とにかく広い

睦美さん 「私は当初、羊牧場以外の事業について、乗り気ではなかったんです。生産能力が低いのにキャンプ場だのイベントだの、余計なことやってられるかと思っていました。でも、みんなWEBサイトやSNSを見てくれていて、ここにきた人から『羊肉はありますか?』と聞かれることが非常に多いのです。お肉が売れるきっかけにもなるし、羊肉が好きな方がわざわざここまで遊びに来てくれたりもする。出かけていかなくても、こういう場所があると向こうから人が来てくれて、肉が売れるんだってことに気がついて。

羊の生産は真ん中にあるけれども、売り上げを伸ばすためには、サービス業を絡めて裾野を広げていったほうがいいと、最近になってようやく理解できました」

旭川の牧場を購入

「アニマルフォレストうつしの森」の周辺は山々に囲まれている

こうして、ご主人のやりたいことも合わさって事業はさまざまな方向に広がりました。5頭から始めた羊牧場は、とうとう100頭を超え、2019年ごろからは、自社のオンラインストアや産直通販「ポケットマルシェ」で、冷凍やチルドの羊肉をコンスタントに販売できるようになりました。

最近は羊の生産が軌道に乗ってきたので、養鶏はきっぱりやめたそうです。200羽も飼っていたというからもったいない気がしますが「あくまで本業は羊飼いなので」と、何の未練もないそうです。睦美さんがやりたいのは羊飼い。さまざまな事業を手掛けつつも、その芯がぶれることはありませんでした。

だからこそ「放牧ができない」という現実は、重くのしかかっていました。

睦美さん 「放牧ができないから餌は購入するしかなく、餌代がものすごくかかるんですね。福島県には屠畜数の制限もあり、頭数を増やすことにも限界がありました。だからどれだけ売れても赤字のまま。それはもう、自力で何とかできるものではないんですね。このままだとさすがにやっていけないなと考え始めていたとき、最初に羊を購入した北海道の農家さんから連絡があって『旭川の牧場を買ってくれる後継者を探しているのだけれど、誰かいないかな?』と相談されたのです」

これが大きな転機になりました。

睦美さん 「私たちに継いでほしいという話ではなかったんですけど、買った羊を取りにいくついでに、その牧場を見せてもらったんですね。そうしたらすごく広くて『うわぁ、いいなぁ!』って。私も思いましたけど、私以上に気に入ったのが夫なんです。

夫は昔から北海道に強い憧れがあって、北海道で馬と暮らすのが夢でした。それは前から聞いていたので、夫のほうが気に入って『あの牧場さぁ、買っちゃおうかなぁ』って言うんですね。それはもう『買っちゃえばいいんじゃないですか!』って言いましたよね(笑)。

そうした』夫の夢も叶うし、私も羊に好きなだけ草を食べさせてあげられる。旭川だったら大きなトラクターを動かす軽油代と刈った草を乾かしてロールにするネットさえあればいいから、経費はめちゃくちゃ安くなる。旭川なら羊に草食わせ放題だ!と」

こうして購入された牧場は「アニマルフォレストカムイの丘」と名付けられました。羊の生育についてはそちらで行なうことになり、2021年5月ごろから少しずつ羊を移動させていきました。

アニマルフォレストカムイの丘

羊を育てるのは旭川、加工と流通は福島

キャプション:大人の羊で6頭、子羊なら10頭は乗るという1トントラック。これで福島と北海道を往復している

睦美さん 「義憤に駆られて、福島の羊肉の生産を再興するんだと言って始めたわけですが、結局コストには勝てませんでした。やっぱり思いやストーリーだけでは食べていけないのが現実なんですね。

羊は、草をどんどん食べさせて大きくしていく生き物です。だから、旭川に移して草食べ放題になったら、成長スピードが格段に早くなりましたし、味も露骨に変わったんです。旨みの幅が増えて、すごくおいしくなりました。お肉がずっと売れるためには、また食べたいと思えるおいしい肉かどうかが重要です。それこそが羊飼いの本筋なんですよね。

ただ、育てるのは旭川になったけど、加工と流通は福島で、ルーツも福島です。うちは福島がベースの会社で、うつしの森がプロデュースしている羊肉という形でやっていこうと思っています。草のあるところに行って羊を育て、連れて帰ってきて福島で加工する。行ったり来たり、私は遊牧民かっていう、『ザ・羊飼い』な生活になっています(笑)」

しかし、牧場そのものを移転したとなると、旭川に完全移住してもよかったような気もします。あくまで福島の会社として羊肉を販売していくことにしたのはなぜなのでしょうか。

睦美さん 「福島だけで羊飼いとして食べていくのは、コストがかかりすぎて難しかった。でも、拠点を旭川だけにしてしまうと、羊肉1パック3,000円に対して送料が2,000円もかかるんです。輸送能力が大幅に落ちる2024年問題もありますし、現時点での送料がこれでは、どれだけいい羊肉を生産しても、お客さんは買ってくれないだろうと思いました。でも、トラックで羊を生きたまま福島まで運び、こっちで加工して発送すれば、送料は900円で済みます」

睦美さん自身がドライバーとなれば人件費はかからず、フェリーで往復する費用を加味しても、十分なコスト減につながります。福島の羊飼いの歴史を途絶えさせないという当初の目的も果たしつつ、現実的な諸問題もクリアする方法が、福島と北海道の二地域間を移動する遊牧民スタイルだったのです。

うつしの森は「人間放牧場」

睦美さんのご主人。屋根付きの常設ステージもつくった

実は現在、旭川の牧場に常駐して羊の世話をしているのは、生産牧場には興味がないと言っていたご主人です。

睦美さん 「彼はとうとうこの間、北海道で馬と暮らすという夢を実現しちゃったんです。ふれあい動物園のポニーたちに、冬の間は旭川にいてもらおうということになって先日運んだんですね。そうしたら、ポニーを柵に入れた瞬間に夫がぐっと静止したんです。『どうしたの?』って聞いたら『今、俺の夢が叶った…』って。その瞬間、彼の長年の夢が、完全に叶ったんです」

土木会社の経営者だったご主人の人生が激変していった様子を見て、睦美さんはうつしの森のもうひとつの可能性を感じ始めています。

睦美さん 「長年、経営者をやってきて、あれこれ考える性格の夫にうつしの森で自由にしてもらったら、重機を持ち出してイベント会場をつくるわ、旭川に牧場を買って夢を叶えるわ、すごいことになったわけです。普通だったらここまでやらない!これは面白いと。

人間が解放されるとすごいことが起きる。それを、私は実際に目撃してきました。『羊は放牧できないけど、人間がここでどれだけ自由に過ごしても、畜産課からは何も言われない!』と(笑)。というわけで、今、ここは人間を放牧する場所なんです。人間放牧場です。普段は仕事で忙しくしている人も、ここに来たら全力で自由に遊んでもらう、誰かの居場所というか、自分を解放するサードプレイスみたいな場所になっていったらいいなと思っているんです」

商品開発も始めている。第一弾は「羊飼いを支えた鶏たち」。養鶏をやめた際、飼っていた会津地鶏のモモ肉をたっぷり使って製造したチキンカレー。内容量200g中、なんと180gが肉という、嘘偽りない、肉ゴロゴロカレーだ。うつしの森で買えるほか、オンラインショップでも購入可能

努力すれば商売の勝率は変えられる

「君大きいな。おいしそうだな!」と言いながら羊を愛でる睦美さん

「福島の羊産業の歴史をつなぐ」という壮大なミッションから畜産の世界に飛び込み、羊の居場所だけでなく、人の居場所までもつくりあげてきた睦美さん。苦労の中に感じるのは、夫婦ともども、その大変さすらバネにして、楽しみながら人生を送っているということでした。

睦美さん 「羊飼いという職業は、日本ではせいぜい150年の歴史しかありません。牛や豚のように枝肉市場(屠畜後、骨がついたままの肉の競売を行なう市場)というものがなく、羊飼いは精肉(すぐ料理に使用できる状態まで処理した食用の肉)​​に加工して流通させるところまで、自分でやらないといけないんですね。だから覚悟して、肉に真剣に向き合わないと収入も上がらない。

普通だったら人は、そういう手間のかかることを嫌うわけです。だから羊飼いに憧れても、結局は大変でやめてしまう。でも私と夫に関しては、脳みそが半分筋肉みたいになっているので、努力すれば何とかなる!努力によって商売というギャンブルの勝率は変えられる!と思っている節があります。つまりそれって、成功するまでやめなければいいっていうことなんですよね」

人生は予期せぬことの繰り返しです。しかし、苦労も困難も、福島が置かれた状況に対する義憤すらも、次の一歩に変えて楽しみながら突破していこうとする力強さが、睦美さん夫妻の今のあり方に体現されています。その都度よりよい形へ、柔軟に発展していくであろうその先には、楽しく、面白い未来が待っていそうです。福島の羊飼いの新たな歴史が、睦美さんの手で刻まれています。

取材・文:平川友紀 撮影: 馬場大治  編集:増村江利子

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