マーケターとして独立できる道を切り開き、楢葉町へUターン
- Uターンのきっかけ
やりたい仕事を見つけ、マーケターとして独立したこと - 現在の仕事
新卒入社した企業を含む首都圏の2社との業務委託 - Uターン後に感じる楢葉町の魅力
やりたいことがある時に背中を押してくれる人がたくさんいる
2021年11月に、生まれ育った楢葉町に東京からUターンした宇佐見采花さん。地元のために働きたい、でも地元でやりたい仕事がない…という葛藤は、マーケティングの仕事との出会いとフリーランス転身によって切り開かれました。独立した経緯や、入居している「kashiwayaシェアハウスと食堂」での暮らしについてお聞きしました。
新卒入社した会社と交渉して業務委託契約に
――お仕事内容を教えてください。
企業のマーケティングの仕事をしています。独立して2年目になりました。現在は、新卒で入ったリノベーション会社と、全国各地に点在する生活拠点を利用できる住まいのサブスクサービスを提供している会社の2社と業務委託契約を結んでいます。
――マーケティングの仕事と出会ったきっかけはどんなものでしたか?
震災があったのは、高校1年生の時でした。その後、大学進学で上京し、卒業後は東京で就職して4年間社会人生活をしていましたが、地元のために何かしたい気持ちがずっとあって。でも、戻ったところで何ができるかわからないし、そもそもやりたい仕事がなかったんです。
新卒で入ったリノベーション会社では、1年目は営業をやっていました。でも、土日も含めていつでも電話に出なきゃいけないし、仕事とプライベートの時間がうまく区切れないことがストレスで、転職を考えていました。そんなタイミングで、社内にマーケティング部門の立ち上げが決まったんです。挑戦してみようと手を挙げて、異動することになりました。
――どのタイミングでフリーランスに転身したのでしょうか?
マーケティング担当になって2年後ぐらいから、新型コロナウイルスの影響で出社とテレワークが半々になりました。家に一人でこもって仕事するのは辛いし、仕事自体もすごく忙しくて。そんな時に、今お仕事をいただいている住まいのサブスクサービスの会社に出会ったんです。完全リモートワークができると聞き、魅力に感じました。それにこのサービスを楢葉でも提供できれば、外から人を呼び込める。自分のマーケティングのスキルを活かして、地元のために何かできるんじゃないかと思ったんです。
それで転職しようと思ったのですが、退職を引き留められてしまって。でも諦められなくて、上司と何度も話し合いを重ね、いったんは、柔軟な働き方ができるサブスクサービスの会社で週2日働いて、もとの会社では正社員からパートに切り替えて週3日はオフィスに出社するという、「複業」の形をとることにしました。
そうして半年ぐらい経ったころ、もう思い切ってフリーランスになり、フルリモートで働いて楢葉に戻ろうと、もとの会社に業務委託契約を結べないかと相談しました。社内では前例のないことだったので、上司も戸惑ったと思います。求人サイトに出ている同じような職種の募集を参考にしながら条件を提示して、ようやく理解を得られました。ずっと福島に帰りたいという話はしていたので、応援してくれる人も多かったです。
時間と場所に縛られない働き方を叶えられた
――フリーランスになって2年。お仕事はいかがですか?
週4日はサブスクサービスの会社の仕事をして、週1日はもとの会社の仕事をするようにしています。もとの会社では、社員時代にマーケティングを担当していた3つのブランドのうち、1つに専念させてもらっています。サブスクサービスの会社では、物件登録者の集客に関わるマーケティングや登録までのサポートを担当していて、Webサイトの管理や問い合わせ対応、SNS周りの運用も行っています。楢葉町内で登録できる物件も探している最中です。
時間と場所に縛られない働き方をするっていう、私が目指していたことが叶えられているので、努力してよかったなって思ってます。友達もフリーランスが多いので、今朝もコンロや食材を持ち出して外で朝ご飯を作って一緒に食べてから仕事したり。そういう生活がすごく気に入っています。
――いま、お仕事で悩んでいることはありますか。
楢葉や浜通りの企業の力になりたいなと思うんですけど、あまり出会うきっかけがないというか。自分からもっと提案や営業をしなきゃいけないと思うんですけど、なかなかできていないですね。
それと、フリーランスだと契約が急に打ち切られるかもしれない怖さはあります。不安になって突発的に転職サイトに登録しだしたりすることも…(笑)。「成果を出せているか」は私も会社側もすごく気にしていて、成果を残しつつ良い提案をしていかないといけないという緊張感は、会社員時代とは全然違いますね。
まちとのつながりはシェアハウスから
――現在は、町内にある「kashiwayaシェアハウスと食堂(以下、kashiwaya)」にお住まいとのこと。実家を離れ、ここで暮らすようになったのはどうしてですか?
最初の3ヵ月ぐらいは実家に住んでたんですけど、仲のいい地元の友達は関東にいるので本当に家族としか会話しない生活だったんです。仕事は完全テレワークだし、地元のために何かしたいと考えて帰ってきたのに何もできていない。それがすごくつらくて。どうしようかと思ってた時に、ここがオープンすることをFacebookで知って、つながりほしさに入りました。帰ってきてから地域で知り合った人は、ほとんどがここでつながった人だし、いろんなイベントにも呼んでもらえるし、下の食堂では新しい人にもどんどん会える。地域とつながりを作るには、これ以上なく良い環境だと思います。ここに入ってなかったら、東京に戻っていたかもしれないです。
――kashiwayaを拠点にいろんなつながりができているんですね。
kashiwayaで暮らすようになってから移住者がこんなにいることを知って、びっくりしましたね。震災前とはまた違って、いろんな人がいるから居心地がすごくいいんです。
――いろんな人がいるから居心地がいい?
そうですね、自分の居場所が見つかるっていう意味で。町内でも私が知らないコミュニティがほかにあると思いますが、今私がいるこのkashiwayaを中心としたコミュニティはすごく居心地が良くて、すごく楽しいんです。ここを起点に、町内だけじゃなく浜通り全体で知り合いがたくさんできて、いろんなところに居場所ができたとも感じます。東京で暮らしていた時も、3ヵ月に1回ぐらいはこっちに帰ってきていましたが、こんなにたくさんの人がいろんなことを地域でしてくれていたなんて知りませんでした。
――いまの楢葉町の魅力って、どんなところだと思いますか?
何かをやりたいって声を上げると、背中を押してくれる人がたくさんいることですね。「こうやろうか」とか「あの人につなげてあげるよ」とか、すぐ始まるんですよ。周りがいろんなことをやってるから、自分も何かしてみたいなって、引っ張られる感じもありますね。いま、近所の畑を貸してもらって野菜を作ってるんです。それもkashiwayaのみんなが協力してくれて、始められたこと。多分、東京にいたら自発的に何かするとかあんまりなかったと思うんですよね。
――移住を考えているフリーランスの方にメッセージをお願いします。
浜通りには無料で使えるコワーキングスペースが多いですし、フリーランスの人をつなげる動きも活発です。たとえば、大熊インキュベーションセンターが毎月開いているランチ会や、各市町村の移住支援センターが開催しているイベント、kashiwayaに夜ごはんを食べに来るのもいいですね。自分から動けば、いくらでも人とのつながりは作れます。だから安心して移住してきてほしいです。
宇佐見 采花(うさみ あやか) さん
1995年、楢葉町出身。高校1年生の時に東日本大震災を経験し、いわき市などに避難。大学進学で上京し、首都圏で就職する。2021年11月に楢葉町にUターンしフリーランスに。現在は新卒で入社した企業を含む2社から業務委託を受け、フリーランスのマーケターとして活動している。最近はひとりロングトレイルにはまっていて、「みちのく潮風トレイル」や「ふくしま浜街道トレイル」を歩いているそう。
※所属や内容は取材当時のものです。
文・写真:五十嵐秋音