移住者インタビュー

転職せずに浪江町へ移住。ここでの学びや気づきは「すべて自己投資」

2023年2月6日

 「移住」というと、住所が変わるだけでなく転職や起業など仕事も変わる、というイメージが強いのではないでしょうか。しかし、今回お話を聞いた千頭ちかみ数也さんは、勤務先も職務内容も変わらないまま、2022年10月、神奈川県から浪江町へ引っ越しました。「正月に帰省している間も早く浪江へ戻りたかった」というほど浪江ライフを楽しみつつ、「課題山積の地で得られる学びや気づきはすべて自己投資」と明言します。完全リモートワーク環境を実現して移住するまでの経緯を伺いました。 

 ずっと頭の隅にあった東日本大震災被災地への思い

 「勤め先の会社に完全リモート勤務の制度はなかったんです。でも、会社に相談する前に浪江町のアパートの仮契約を済ませてしまって(笑)」 

こともなげにそう言う千頭さんは、昔から浪江町に縁があったわけではありません。きっかけは2019年秋、千頭さんが10年来「推し活」をしているアイドルグループ「ももいろクローバーZ」の一人が、新たに浪江町のご当地アイドル「浪江女子発組合」をプロデュースしたこと。友人に誘われて2020年の初め、その現地イベントに参加したのが浪江町の初訪問でした。 

*推し活:自分にとってイチオシ(推し)の人やキャラクターをさまざまな形で応援する活動のこと。

千頭さんも「組合員」になっているご当地アイドル「浪江女子発組合」(写真=千頭さん提供) 

といっても、このとき既に千頭さんは、アイドルよりも浪江町に対する興味のほうが大きかったそうです。双葉郡の状況はよく知らなかったものの、頭の中には震災の記憶がずっと残っていたからです。 

「震災が起きたのは就職2年目でした。当時、僕は飲食チェーンを全国展開する会社の京都本社で人事の仕事をしていて、直後は東北地方の社員の安否確認に追われました。もちろんそれは大事な業務でしたが、現地があんなことになっているのに自分にできるのはこれだけか…と、ふがいなさを感じたのも事実です。2011年の夏、会社の採用の仕事で宮城県沿岸部の学校を訪問したとき、自分の目で被災地の状況を見て、いつかはこの地域のためになることをしたいと思いました」 

その思いをずっと胸に抱えつつ、千頭さんはその後2回の転職を経験。飲食からITにキャリアを変え、2018年から現在まで東京都内のSaaSサース関連会社に勤務しています。「もともとコンサルティング業から出発したベンチャー企業で、社長は南相馬市出身。『地方経済に貢献するビジネス』という理念に引かれたのも入社の大きな理由だった」といいます。 

*SaaS(Software as a Service):サービス提供事業者(サーバー)側で稼働しているソフトウエ アを、インターネットなどのネットワークを経由して、ユーザーが利用できるサービスのこと。

アイドル推しから「浪江推し」へ

2020年1月、ご当地アイドルのイベントを機に初めてJR浪江駅に降りたった千頭さん。会場となった町役場までの道中、空き地が目立つ町内を歩き、「何にもないなとは思いましたが、ネガティブな印象は全然なかった」と振り返ります。そして、会場でイベント来場者を温かく出迎える地元の人たちと触れ合ったことが、千頭さんの浪江愛のスタートとなりました。 

「とても親切でやさしい人たちばかりでした。それ以降、たびたび浪江を訪問して町の人と交流しましたが、『複合災害に見舞われた場所』という僕の先入観を覆すように、みなさん話のトーンが明るくて前向き。自分たちだけで閉じない、誰でもウエルカムな雰囲気に、都会にはない居心地のよさを感じたんです。それで僕の推し活対象はアイドルから浪江へと変わっていきました(笑)」 

2022年4月、イベント参加で浪江町に2泊し、夜の居酒屋でじっくりと地元の人の思いや志に触れた頃には「ここに住めば、長らく望んできた地域貢献ができるのではないか」と考え始めたと言います。 

「貢献といっても具体的に何をしたらいいのか、まずは住んでみないとわからないですからね」 

同年10月に引っ越すまで、その半年間の千頭さんの思考と行動は、転職を伴わない移住の道を模索する人にとって少なからず参考になるかもしれません。 

「イチかバチか」の裏にあった準備計画

実は千頭さん、移住を決意した時点では会社を辞めるつもりだったそうです。 

「最初はIT系のフリーランスで自立するため、必要な自己研鑽を始めようとしたんです。でも、現実には仕事との両立が難しかったですし、会社の業務自体、すぐ引き継げる状態にするのは難しくて。好きな会社を退職せずになんとか移住する方法はないかと考えました」 

そこで千頭さんいわく、「イチかバチかで会社に相談したところ承認してもらえました」とのこと。 

しかし、よくお話を聞くと、そこに至るまでには当然ながら相当の努力と準備があったようです。 

道の駅なみえで地元産野菜を品定め。料理はお手のもの(写真=千頭さん提供) 

そもそも千頭さんは、持ち前の提案力でベンチャーならではのさまざまな事業を発案・実行してきたことで、経営陣と密接に連絡をとりつつ仕事をする立場にあったと言います。そうやって築いてきた会社での信頼関係が、完全リモート交渉成立のベースになったことは間違いないでしょう。 

2020年春にコロナ禍が始まると、千頭さんの会社でも在宅勤務は可能になりました。とはいえ、移住してフルリモートというケースはゼロ。千頭さん自身は担当業務の性質上、毎日出社していたそうです。しかし、移住を計画してからは、このままではいつまでも実行に移せないと、リモート不可能な仕事を少しずつ他の人へ移管していき、逆に完全リモートでも実施可能なプロジェクトを立ち上げていったのでした。 

「自分の担当業務がほとんどリモート可能なものになった段階で、会社に相談しました。もし、あのときにOKがもらえなかったとしても、半年くらい様子を見てもう一度交渉したと思います」 

千頭さんの浪江への強い思いを受け取った経営陣は、フルリモート勤務を快く承認。むしろ積極的に移住生活をフォローしてくれたそうで、千頭さんは「会社にはとても感謝している」と話します。 

仕事も地域貢献も。やりたいことが多すぎるくらい

地方での暮らしは、移動手段として自動車が必須というイメージがありますが、なんと千頭さんは車なしの生活なのだとか。 

「朝は5時半に起きて請戸川沿いを散歩します。とにかく歩くのが好きなんです。歩いていると地元の人に遭遇して会話できるのが楽しくて。それでいろいろなことを教えていただいたり、催しに呼んでいただいたりして交流が広がっています。僕は歴史が好きなので、町のあちこちにある史跡を発見するのもすごくおもしろいですね」 

そんな生活がほんとうに楽しくてしかたないという様子で話す千頭さんですが、もちろん仕事はフルタイム。原則毎朝、会社とビデオ会議をしているそうです。千頭さんはこれを「雑談」と表現しますが、リモートワークでは、それがもっとも大切な情報共有の時間かもしれません。 

「毎日、僕から浪江の生活について積極的に話すようにしています。みんな興味を持ってくれるし、お互いの認識が共通すれば心の距離も縮まりますから。リモートで懸念されることはチーム感の低下ですが、そうした工夫のおかげでコミュニケーションにはまったく問題を感じていません。それから、ときどき浪江のお酒を勝手に送りつけています(笑)」 

千頭さんがほれ込んだという鈴木酒造の「磐城壽(いわきことぶき)」(写真=千頭さん提供) 

一方、念願だった地域貢献のほうは、実際に住むことで具体的な課題が見えてきたと語ります。 

「いま何とかしたい課題は、ファミリー向けの賃貸物件が非常に少ないこと。これでは避難先から戻りたい人がいてもなかなか戻れません。それから、震災後に途絶えてしまった『裸参り』という伝統行事をなんとか復活させたいですね。あとは、(帰還困難区域にある景勝地の)高瀬川渓谷の美しい景色をなんとか伝える方法はないものか。ドローンを飛ばして撮影できたりしないかな…と思ったり」 

千頭さんは「やりたいことが多すぎて」と笑いつつ、こうした課題に向き合って気づきや学びを得ることは「自分への投資」だと明言します。そして「フルタイムの仕事があるからこそ、経済的な心配なく課題解決に向けた活動に参加できる」という点にも言及。そうやって多様な経験を積んで人間力を磨いた社員の存在は、会社にとってもメリットのはずです。移住を考えつつも、会社を辞めることを躊躇している人には、「相談する前から諦めず、とにかく一度会社と話してみたら」と助言してくれました。 

「浪江は課題が山積する一方、最先端の研究施設などができて、ものすごくダイナミックに変わろうとしている。そこに、よそにはない魅力を感じます」 

一方で、町に同年代(30代)が少ないことがちょっぴり寂しい、という千頭さん。東京の仕事仲間、アイドル推し活仲間に加えて、これから地域の仲間がどんどん増えていくことを願います。 

千頭 数也(ちかみ かずや) さん

1988年、東京都生まれ。大学卒業後、関西の飲食系企業に就職し京都で暮らす。その後、IT業界に転職し、東京都内のSaaS(Software as a Service)関連会社に勤めるように。2020年、浪江町のご当地アイドルのイベント参加がきっかけで浪江町に通い始め、2022年10月には、現職のまま神奈川県川崎市から浪江町に移住。フルタイム・フルリモート勤務で、顧客への提供サービスのセキュリティ業務などを担当しつつ、地域の課題解決につながる活動も模索中。 

※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美 撮影:及川裕喜