起業家を支え、地域を盛り上げる。福島のビジネスをバックアップする「H.T.Coast」が描く未来

福島県浜通りの中央に位置する浪江町。海、山、川に囲まれ、豊かな暮らしがあった浪江町は、震災と津波による大きな被害に加え、その後の原発事故により町内全域に避難指示が出されました。その後、除染とインフラの復旧が進んだことで2017年には避難指示が解除に。これまでの文化に根ざしながら、これからのまちを育てる取り組みが始まりました。
なかでも注目を集めているのは、新しいビジネス創出に向けての動き。ゼロカーボンシティの実現に向けた「なみえ水素タウン構想」の推進や、創造的復興の中核拠点となる「福島国際研究教育機構(F-REI)」の発足など、先進的な企業や学術機関が集積しているのです。また、こうした動きが活発になるにしたがって移住者も増え、いまや町の人口の36%が移住者となっています*。
*福島県浪江町「浪江町の復興・再生に向けて」より
新たな土地での暮らしや、ビジネスを展開するにあたって頼りになるのが、税金や会計処理といったお金にまつわる困りごとの相談に乗ってくれるパートナーです。米国公認会計士の資格をもつ、「株式会社H.T.Coast」代表取締役の谷口秀憲さんは、これからの浪江町を動かす縁の下の力持ちになりたいと、2025年1月に移住してきました。
浪江町にどんな可能性を見出したのか、復興の先に見つめているものは何なのか。谷口さんを訪ね、お話を伺いました。
米国公認会計士資格を取得して向かったのは、福島
谷口さんは福島県郡山市出身。中学1年生のときに東日本大震災で被災し、東京に一時避難。その後、祖母の家があった猪苗代町に引っ越し、そこから郡山市の中学校に通いました。
やがて東京の大学に進学。起業に関心があったことから、会社に関わる知識を体系的に学べる会計士をめざすことに。さらに、語学力をつけるために米国公認会計士の資格取得に挑み、合格。東京の外資系監査法人に就職します。しかし、このまま東京でスキルを磨いて世界に…という未来ではなく、谷口さんが選んだのは、故郷である福島県での起業でした。
「被災地である福島の復興に携わりたいという想いを、被災した中学生の頃から抱き続けていました。東京の監査法人で働いて実務的なスキルを身につけたあとは、福島でビジネスを盛り上げたいなと」

福島といっても、故郷の郡山市ではなく浪江町を選んだのは、どうしてなのでしょうか。
「郡山は、すでに復興が一段落して元の町の姿を取り戻しつつある印象を受けたんです。そこで自分が挑戦する意味はあるのかなと。それで、どこがいいかなと見回してみたら、浪江町は、これから新しい町に生まれ変わろうという息吹に溢れていたんです。フロンティアの機運を感じたというか。ここなら、若い自分にもチャンスがある、と」
東京は規模の面で競争が激しく、生まれ育った郡山市では市場が限られている上にすでに多くの類似の企業があります。若くして起業した谷口さんにとって、浪江町はブルーオーシャンとしての可能性が感じられました。
「浜通り地域では、国と県が一体となって新しい産業基盤を構築することをめざす『福島イノベーションコースト構想』というプロジェクトが進んでいます。つまり大都市よりも、どんどん新しいベンチャーが生まれてくる可能性があるんです。私の会社もそのひとつではあるんですけど、いま起きている機運をさらに高めるお手伝いができるのではないかと思っています。起業するなら浪江町だと言われるような地域にしていきたいんです」
可能性あふれる浪江町を、同志として経営面で応援したい
谷口さんが立ち上げた会社の名前は『H.T.Coast』。ご自分の名前のイニシャルに、浜通りとのつながりを感じさせる”coast”を組み合わせたネーミングです。ところで、そもそも公認会計士というのはどういうお仕事なのでしょうか。
「会社の財務上における健康状態を示す『財務諸表』という書類があります。主に投資家が見る資料となるものですね。その財務諸表について、第三者の視点から検証して、お墨付きを与えることができるのが公認会計士です。ビジネスに信用を付与するパートナーという存在ですね」
ただ、H.T.Coastでは、会計監査には留まらない事業を構想しているそう。
「ビジネスをバックアップすることなら何でも、オールインワンで対応します。日常の経理業務や会計業務の効率化から、積極的な経営戦略立案の土台となるバックオフィスの構築、経営コンサルティングまで。私自身の経験はもちろん、培ってきたネットワークを活かしながら、経営を強くするお手伝いができます」

単に浪江町のビジネスをサポートするということであれば、東京からリモートでもできるという時代です。それでも、移住して浪江町に事務所を構えることに意義を感じているそうです。
「経営やお金の問題って、そう気安く相談できないところがあると思うんです。顔を知っていて、人柄として信頼できる人に相談したいもの。だから、浪江町のいろいろなところに顔を出して、まずはいろいろな人と交流したいと思いました。普段から付き合いがあったり顔見知りだったりして、何か相談ごとがあったり、ビジネスのアイデアが浮かんだりしたときに話を聞けるような存在でいたいんです」
H.T.Coastでは、先述のビジネス面でのバックアップはもちろん、税金などの身近なお金まわりの相談にも柔軟に応えるとのこと。
「被災地では特例として固定資産税と都市計画税が減免されていますが、時限的なものなのでいずれは減免措置もなくなります。そうなったとき、税金面で経営や暮らしをどうしていくのかといった相談にも前向きに対応していきたいです」

また、ベンチャー企業を立ち上げる若い人たちにとって、監査法人やベテランの会計士に相談を持ちかけるのはハードルが高いことなのかもしれません。同じ若手であり、かつ起業家である谷口さんになら、困ったことを気軽に話すことができるのではないでしょうか。
「同じベンチャーとして相談しやすいところはあるかもしれません。学生の頃は自分自身で事業を考えて起業することが夢だったんですけど、地域のために何ができるかを考えたときに、さまざまな事業を展開する人たちをサポートするほうが大きな仕事ができるんじゃないかと思い、会計や経営のコンサルティングをやろうと。お声がけいただける方は、クライアントというより、地域のための同志という感じで仕事を進めていければと思っています」
過去を否定せず、未来をつくる浪江町のために
現在、浪江町はエネルギーやITといった分野の企業が集積しつつありますが、谷口さんは、これからぜひ盛り上げていきたい業種があるそうです。
「研究施設や工場が増えているからだと思うのですが、いま浪江町に来ているのはビジネスに携わる大人がほとんどという印象があるんですね。子どもが遊んでいる風景が少ないのは寂しい。だから、個人的に浪江町で一緒に仕事をやっていきたいと思っているのはエンタメ関連の企業です。これから日本全体で人口が減っていくわけですから、移住者をドカンと増やすのは難しい。そんな中で町の繁栄を考えたら、若い人たちや家族連れが泊まって楽しんでいくスポットが必要なんじゃないかなと」
東京や仙台から線路1本でつながっていて、気候は穏やか。浪江町に地域としてのポテンシャルを感じている谷口さんには、経営のパートナーとして関わることはもちろん、自分でもいつかエンタメ事業にチャレンジしたいという夢があります。
「突飛なことだと思われるかもしれませんが、実は、大学の頃から、このあたりに遊園地をつくりたいという夢があるんです。津波と原発事故という未曾有の災害で悲しい歴史を背負ってしまった地域が、楽しい思い出をたくさん残す地域として生まれ変わる。そんな未来を夢見ています。私自身は、アトラクションにはそれほど関心がないんですけど(笑)、テーマパークでベンチに座って楽しそうにしている人たちを見ていると幸せな気持ちになる。こんなふうに笑顔がいっぱいの世界になればいいなぁという気持ちになるんです」

福島出身者としての想いと、個人としての願い。そこが交わる場所が、谷口さんにとっての浪江町ということなのでしょう。
「震災の記憶を引き継いでいくためにも、ここには、多くの人に来てほしい。そのために、多くの人が楽しめる体験もつくっていきたいです。エンタメ施設で楽しんだあとに、浪江町、そして福島が経験したことを学んでもらう。過去と未来が共存する町を目指したい。夢みたいですけど、結構、本気です」
真新しく、とんがったイメージの建物が並び始めた浪江町ですが、まだまだ空き地が目立ちます。しかし、谷口さんのお話を聞いたあとは、空き地も、真っ白いキャンバスのように映りました。これから浪江町で、どんな挑戦者たちが谷口さんとともに未来を切り拓いていくのか。期待せずにはいられません。
取材・文:丸原孝紀 撮影: 中村幸稚 編集:平川友紀