何もないからこそチャンスがある。13年ぶりに戻った「陶芸の里」で新たな大堀相馬焼の創造に挑む陶吉郎窯

浪江町の中心部から約5km南西に位置する大堀(おおぼり)地区。ここは、江戸時代中期から続く歴史ある陶芸の里です。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難指示が出され、当時20数軒あった窯元は町外に避難。それぞれが新たな土地で作陶を続けていますが、2024年6月、1軒の窯元が帰還を果たし、大堀での作品作りを再開しました。現在の当主・近藤学(こんどう まなぶ)さんで9代目となる「陶吉郎窯(とうきちろうがま)」です。
陶吉郎窯では現在、2人の後継者が、大堀相馬焼の伝統を受け継ごうと技術を磨いています。近藤さんと、近藤さんに師事する伊藤礼香(いとう れいか)さん、青木映真(あおき えま)さんの2人に話を聞きました。
13年3ヵ月ぶりに「陶芸の里」での作陶を再開
江戸時代、諸藩では、藩の財政を担う産業として陶磁器の製造に力を入れる動きがありました。大堀地区を治めていた相馬藩もそのひとつ。大堀地区では焼き物に適した土や釉薬(ゆうやく、うわぐすり)の原料となる砥山石(とやまいし)が豊富に採れたことから、江戸時代中期以降、藩の奨励のもと多くの窯元が創業しました。大堀相馬焼協同組合のホームページによれば、江戸末期には100戸を超える窯元があったといわれています。
陶吉郎窯のルーツとなるのは、近藤平吉(1736~1818)という京焼・楽焼の名工です。その腕を高く買われて、今の福島県にあった会津藩に焼き物の師範として召し抱えられ、その後、同じく今の福島県にあった各藩で技術を伝えます。白河藩の要望で地元の瓦職人に陶器の技術を伝授し白河焼を興したほか、三春藩でも多くの弟子を育てました。その後、平吉の技術を受け継ぎ父譲りの技術をもっていた息子の近藤陶吉郎(1789-1857)が相馬藩に召し抱えられ、さまざまな技術を大堀の職人に伝えたことで、今日まで続く大堀相馬焼の伝統が確立されました。このことから、陶吉郎は大堀相馬焼の「中興の功労者」とも呼ばれています。

大堀相馬焼はその後、明治大正期に一度衰退しますが、昭和に入り復興。東日本大震災発生時には20数軒の窯元がありました。しかし、震災後の避難指示によりすべての窯元が町外へ避難を余儀なくされ、近藤さんもいわき市へ避難。長引く避難生活に一度は帰還をあきらめ、2018年にはいわき市四倉町に新しい工房を構えました。
2021年、近藤さんは、大堀地区のうち窯元の敷地に限り避難指示を解除する動きがあることを知ります。いわき市の工房を開いてわずか3年ほどで飛び込んだ知らせに近藤さんは戸惑いますが、熟考のすえ大堀での工房再建を決断します。2023年3月に避難指示が解除になるとすぐ以前の建物を解体し、新工房の建設を開始。2024年6月、13年3ヵ月ぶりに大堀地区での作陶が再開されました。
作品は真似できても土地は真似ができない

近藤さんが悩みながらも大堀地区に帰還した背景にあるのはただひとつ。「本当の大堀相馬焼を残したい」という想いです。20数軒あった窯元は今、各地でそれぞれに大堀相馬焼のアイデンティティを受け継いだ作品を作り続けています。大堀地区で切磋琢磨した仲間としてそのことに誇りを感じながらも、次の世代、またその次の世代と残る窯がどれだけあるかと考えるうちに、「やはり大堀でなければ」の想いが強まったと言います。
「有田焼で使う土や釉薬を大堀に持ってきて焼き物を作ったとき、それを有田焼と呼べるかといったら、呼べないでしょう。有田焼は有田で焼くから有田焼なんです。大堀相馬焼も大堀で焼くから大堀相馬焼だと言える。作品は真似ができても、土地は真似ができません。どんなに長い伝統があっても、この場所でやらなかったら、いずれ消えてなくなってしまいます。後世に残すためにはここでやるしかないと考えたんです」

しかし、2026年3月現在、大堀地区に戻って作陶を再開したのは陶吉郎窯ただ一軒。震災から15年が経ち、ぞれぞれの窯元が避難先で新たに根を張るなか、大堀に戻ることが決して簡単な決断ではないことは、近藤さん自身がよくわかっています。
そこで近藤さんは、大堀の地で新たに陶芸の世界に挑戦しようという若者を育成すべく、福島県が県内の伝統工芸品や地場産業に携わる後継者を確保するために立ち上げた「福島県クリエイター育成インターンシップ事業」に参加。約30名もの応募のなかから、近藤さん自ら面接をして選んだ2人の女性を弟子として受け入れました。一人は福島県郡山市出身の伊藤礼香さん、もう一人は神奈川県平塚市出身の青木映真さんです。2人とも、陶吉郎窯への入門をきっかけに2025年4月に浪江町に移住しました。
帰還の想いに共感し伝統を学ぶ2人の移住者
伊藤さんは大学で彫刻を学び、卒業後はその学びを活かして何かを作る仕事に就きたいと考えるなか、福島県のインターンシップ事業で大堀相馬焼に出会いました。ほかの産地で経験を積むことも候補にあったなか、陶吉郎窯を選んだのは、大堀の地で焼き物を復活させようという近藤さんの想いに共感したからだと言います。
「窯元の建物以外、周りにまだ何もない場所なので、正直に言えば不安がなかったわけではありません。でも、そこから自分で新しい何かを作っていけるという前向きな気持ちのほうが強かったです」

青木さんも、伊藤さんと同じく県のインターン事業への参加を経てやってきました。高校で陶芸部に所属。大学時代には彫刻に取り組み、作ることへの興味を深めるなか、大堀相馬焼にたどり着きました。
「窯元の技術は代々受け継がれていくものですから、普通だったらよそ者は入りづらいですし、学びたくても学べないことのほうが多いはずです。だから、この環境で学べること自体がすごくありがたいことだと思っています」

2人は今、近藤さんのもとで作陶を基礎から学んでいます。その学びについて伊藤さんはこう語ります。
「商品として買っていただけるようなものを早く作りたいですが、それを目指すだけでは駄目だということもわかっています。いつかは、伝統的な大堀相馬焼に自分だけの表現をプラスした新しいものを作らなければいけません。そこが一番難しいんじゃないかなと思っています」(伊藤さん)
浪江町に来て1年。ふたりとも慣れない田舎暮らしであるうえ、町はまだまだ復興の途上です。それでも、それぞれに町の暮らしを楽しんでいるようです。
「町の中心部はコンパクトにまとまっているので、自転車があればだいたいどこへでも行けて便利です。町内にもスーパーやコンビニもありますが、しいて言えばドラッグストアが欲しいかな。薬が欲しいときは隣の南相馬市まで車で行きます」(伊藤さん)
「周辺の町も含めてイベントがとても多く、にぎやかな地域だなと感じています。普段は静かですけど、イベントのたびに“こんなに人がいたんだ”ってびっくりします(笑)。最近は浪江町役場の方もメンバーになっているバドミントンサークルに参加していて、町のことをさらに知る機会が増えてきました」(青木さん)
5年間で10人の陶工を育て、やがて全員を窯元に
伊藤さんも青木さんも、将来の夢はただひとつ、大堀で自分の窯を持つこと。師匠の近藤さんは、2人を含め、2025年からの向こう5年間で10人の陶工を育て、さらにその5年後には10人全員がそれぞれに大堀の地で自分の窯を持つことを目指しています。「本気で作陶に没頭しようという意欲があれば移住者でも関係ない」と近藤さん。中途半端な気持ちでは一人前になれない世界ですが、だからこそ、受け入れる側も覚悟と責任を持ち、必ず一人前に育て上げたいと言います。
「伝統をつないでいくために何が必要か。私のなかにはふたつの大きな柱があります。ひとつは確かな技術。もうひとつは、その技術をもとに自立できるだけの発想力です。物を作れるようになったからといって、それだけで生活できるほど甘い世界ではありません。普通のものは世のなかにあふれかえっていますからね。だからこそ、技術だけでなく、工夫やアイディア、発想を身につけなければならない。そこが難しいわけですが、大堀ならできるかもしれないとも思います。何もなくなってしまった場所ですが、そのぶんライバルもいませんから。これからの大堀相馬焼に注目してくれる企業も少なくありません。実はチャンスがたくさんある場所なんです」

2025年末から2026年2月にかけてはクラウドファンディングによって後継者育成の資金を募るなど、チャレンジを続ける近藤さん。「自分が作陶する時間がぜんぜん取れなくて。それが今の一番の悩みです」と笑いますが、その目には、大堀相馬焼の本当の復活を夢見る希望に満ちあふれています。そして、その背中を追う2人の後継者の目にもまた、夢を追いかける希望の光が宿っていました。
■大堀相馬焼 陶吉郎窯
所在地:〒979-1544 福島県双葉郡浪江町大堀字後畑98-1
TEL:090-2604-9890
営業時間:10:00~18:00
定休日:毎週火曜日 ※ご来店の際は一度ご連絡ください。
HP:https://www.toukichirougama.com/
※所属や内容は取材当時のものです。
文・写真:髙橋晃浩