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アートの力で、復興を次のステージへ。「ふくしま浜通り国際芸術祭」

2022年12月27日

    福島12市町村の復興や地域活性化の担い手は、現地に暮らす人たちだけではありません。

    首都圏等にいながら地域とさまざまな形で関わる「関係人口」も、地域再生に重要な役割を果たしています。東京を拠点に「ふくしま浜通り国際芸術祭」の実行委員会準備室・代表として奮闘する、フリーライターの堀川静さんもそのひとり。

    被災地を舞台に国際芸術祭を開催する意義や、ふるさとへの思いについて伺いました。

    ふるさとを、子どもに誇れる場所にしたい

    堀川さんは、桜の名所として知られる、富岡町夜の森(よのもり)地区出身。高校卒業後に上京し、ファッション・ライフスタイル関連の雑誌の記事執筆や、自治体の地方創生に関わるコンテンツ制作を通してキャリアを積み、今も都内で暮らしながら、仕事と子育てに忙しい日々を送っています。

    「『こんな田舎に用はない』と、18歳で上京しました(笑)。それくらい、文化に枯渇していたんですよね」と堀川さん。しかし、フリーランスのライターとして実績と経験を重ねていくうちに「自分のふるさとに、何かできることはないか」と、地域貢献への意識が芽生えるようになったのだといいます。

    そんな時に起きたのが、震災と原発事故でした。事故の影響を受けて夜の森地区も帰還困難区域に指定され、堀川さんの実家は取り壊されることに。

    「解体される前、最後に一度、現地に足を運びました。夏だったので、家の周りに生い茂った草木の生命力が言葉を失うほどに壮烈で、それはそれは美しくて。人間が勝手なことをして、除染しないと住めない土地にしてしまったことに『申し訳ない』という気持ちになりました。

    私自身が子どもを産み、母になったことも大きいのかもしれません。地域に貢献したいという気持に加え『ふるさとをこの子に誇れる場所にしたい』という、責任にも近いような思いを抱くようになっていったんです」

    アートの力で浜通りのイメージをプラスに

    芸術祭実行委員の1人、アートディレクターの吉井仁実さんが手掛けた作品「コロナ禍におけるテントの在り方」

    堀川さんがその手段のひとつとして企画したのが、福島県浜通り(太平洋沿岸地域)を舞台にした「ふくしま浜通り国際芸術祭」でした。

    「国際芸術祭」とは、国内外の芸術家が参加する現代アートの祭典のこと。国内で開催される代表的なものとして「瀬戸内国際芸術祭」や「大地の芸術祭」などがあり、地域プロモーションや観光需要の喚起など、開催エリア一帯にさまざまなプラスの効果をもたらしています。

    「震災と原発事故で福島にはマイナスのイメージが付き、この先に続く世代に大きな課題を残すことになってしまいました。この問題を私の代でプラスに転換したい。そのために、時代や国や言語を超えて共感できるアートの力で、浜通りをワクワクさせたい。そう考えたんです」

    ふくしま浜通り国際芸術祭は、双葉郡を中心に2025年に開催予定。その後も3年おきに継続開催していくことを目指しています。2022年12月16~22日にはそのプレイベントとして、世界的に著名な写真家であるレスリー・キーさんによる浜通りでの撮り下ろし写真展を、南相馬市、浪江町、大熊町、富岡町、楢葉町の5会場で開催しました。また、2023年6月には、フレンチ料理の名店「SUGALABO」の須賀洋介シェフによる、福島県産食材を用いた屋外ダイニングイベントの開催も企画されています。
    ※双葉郡: 広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村

    一流のアートで、復興を次のステージへ

    津波の被害地域をファインダーにおさめる、写真家のレスリー・キーさん

    一連のイベント運営を担うのは「浜通り国際芸術祭実行委員会準備室」。堀川さんの呼びかけに賛同した芸術関係者や地域の生産者などが集まり、2022年3月に結成されました。

    「震災以降、福島県の出身者は何かと悲しい思いをしてきました。住んでいた土地を離れ、やっとの思いで避難した先で差別を受けたり、県産食材が風評被害の的になったり。でも、3.11から10年以上が経過して、避難していた人々も徐々に故郷に帰還され、新しい地で人生を前進させています。物質的な復興から、心の復興へ。次のステージを目指してもいい時期になってきたのではないか。そんなことを、地域の方や東京の仕事仲間に会うたびに話していきました」

    最初は「芸術?よく分からないね」と門前払いされたり、東京在住であるためによそ者扱いされたりすることも。しかし、現地に何度も足を運び、趣旨を説明するうちに自治体の職員や首長、地元の友人などから徐々に理解が広まっていったそうです。

    「この土地に新たな価値と魅力を創出するのはアートだ」という確信が、堀川さんにはありました。

    「瀬⼾内国際芸術祭は、2010年から3年に一度開催されていて、今年で5回目になります。そこでしか見られないものや体験できないアート作品があることで、高齢化と過疎化の進む瀬戸内の島々に人を呼び込み、地域の魅力を伝える大きなきっかけになりました。浜通りでも同じことが期待できますし、やらない理由は見当たりません。

    アートを軸に人と人が交わることで化学反応が起き、新しい何かが生まれるのが芸術祭の魅力です。どうせやるなら、一流のアーティストに参加してもらって、この地でしか実現し得ない一流のアートを浜通りの人とともに生み出したい。世界中からいろいろな人に遊びに来てほしいし、世界と浜通りをつなぎたい。地域に魅力的な“何か”があれば人は来るので、まずは、知ってもらうこと、興味を持ってもらうことから始めたい。その結果、住みたいと思う人もきっと出てくるはずです」。

    まずは、食と写真の力で浜通りの魅力を伝えたい

    地元住民と交流し、撮影プランを練るレスリーさん

    プレイベントに協力していただいている写真家のレスリーさんと須賀シェフは、芸術祭のコンセプトやビジョンに共感し、オファーを快諾してくれたのだと言います。

    「レスリーさんは仕事仲間を通じて知り合った友人です。情熱と愛のある人で、今はニューヨークを拠点に世界中を飛び回っていますが、2022年8月に来日した際に、多忙な撮影の合間に1日がかりで浜通りまで来てくれて、浜通りで頑張っている人、離れてしまったけれど浜通りを思っている人、出身者ではなくとも当事者意識を持って浜通りのことを考えてくれている人などを撮影してくれました」

    福島県内にある牧場を訪ねた須賀シェフ

    「須賀シェフは、今年8月から福島県内の生産者の下を20軒以上訪問し、県産食材の活かし方を一緒に考えてくれています。福島の生産者のみなさんは『安心・安全は当たり前。圧倒的においしいものを作れば、きっと食べていただける』という熱意を持っていらっしゃいます。そうした食材を生かして、須賀シェフがどんな料理をつくられるのか、また、福島産の食材のおいしさに触れたみなさんがどのような感想を持たれるのか、私自身、とてもワクワクしています。

    アートも食も、言語のいらないコミュニケーション手段ですし、多くの人に福島の魅力とポテンシャルの高さを伝えられる可能性があると思います」

    東京に住んでいるからこそできる関わり方

    芸術祭の実現に向けて奔走する堀川さんですが、現在の住まいは東京にあります。「東京には、ライターとしての仕事の拠点もありますし、これまで家族と築いてきた暮らしもあるので、今は東京が私のベースです。でも、来年には芸術祭の運営のため、浜通りにも事務局を設置する予定です」

    ふるさとへの強い思いを持ちながらも、東京に拠点を持つことで広い視野と人脈を築いて来られたことは、堀川さんの大きな強みになっています。

    「ただ、地元で何かしようというときにはやはり現地の人とのつながりが必要不可欠です。なかなか先に進まなかった事案も、地域の人に『あの人に相談してみたらいいよ』と紹介していただくことで一気に解決に向かったりもします。今はオンラインでのコミュニケーションも取りやすくなりましたが、大切なことを伝えるときにはやはり、直接会って話したい。場や空間を共有することの重要性や価値は、昨今改めて感じていますね。

    地元に住んでいたころの同窓生や先輩、後輩の存在も大きいです。今回の写真展開催にも先輩や後輩、同級生がすごく力になってくれて、それは精神的な支えとしても今の私にとって非常に大きいです」

    居住地も出身地も異なるメンバーが活躍

    実行委員会のメンバーと地元のみなさんと開催したBBQの様子

    浜通り国際芸術祭実行委員会のメンバーには、福島の活性化に取り組む人たちが名を連ねています。

    例えば、家業の窯元の4代目として活躍する浪江町出身の松永武士さんは、伝統的産業を世界に売り出す商社の経営者でもあります。大熊町出身の元木寛さんは、いわき市で農業法人を立ち上げ、地域のトマト農家とともに農業を身近に感じる体験型テーマパークを運営中。2021年に浪江町に移住された高橋大就さんは、東北の食のプロデュースやまちおこしに取り組んでおり、富岡町出身の藤田大さんは、事業所給食や仕出し弁当の事業を通じて復旧・復興事業に携わる人々に食事を提供するほか、地域支援の連携にも積極的に貢献されています。双葉町出身の高崎丈さんは、震災後、東京で飲食店を経営しながら双葉町に「タカサキ喜画」を設立して地域に壁画アートを提供。出身地も居住地も異なるメンバーが、芸術祭の実現を目指し、それぞれの人脈や得意分野を生かして奮闘しています。

    さらに、実行委員には瀬戸内国際芸術祭の立ち上げメンバーである、アートディレクターの吉井仁実さんも合流。国際芸術祭を成功に導いた経験が、プレイベント開催にさっそく生かされています。

    「実行委員会が立ち上がってからは運営メンバーで、各自治体や団体、活動グループに向けての説明やご相談、プレゼンテーションを実施していますが、それと同時に、芸術祭実現のため、地元と東京を行き来しているうちに、私たち以外にも地元でアート関連のプロジェクトをやろうとしている人たちがたくさんいることが分かったんです。そういう人たちと連携していけないか、一緒に何かできないかと、連絡グループを作ったりもしています。

    演劇や映画など、普段は別ジャンルで活躍している人たちも『アートの力で浜通りを盛り上げたい!』という同じ思いを抱いて活動しています。そういう人たちとつながれたこと、またその存在は、芸術祭の実現に向けても、私個人にとっても、とても心強いです」

    また、須賀シェフや現地の生産者さんたちを招き、懇親会兼決起集会としてバーベキューを開催した際は、定員の30名を超える40名以上もの参加があったのだそうです。

    かつて、上京前の堀川さんが渇望していた文化的な刺激。それをもたらす国際芸術祭が、浜通りの人々に確かな活力を生んでいます。

    「私自身、この取り組みを始めて、浜通りの魅力にいくつも気付きました。当たり前だと思っていた福島の海や山の美しさ。食べ物のおいしさ。子どもを連れて行ったときは、浜通りの方々の温かさにほっとしました。シャイな方が多いので、気付きにくいのですが、私の知らないところで子どもに手を振ったり、あやしてくださっていたり。アートをきっかけにいらしたお客さまには、そうした浜通りのいいところにもぜひ触れていただきたいですね。魅力を知ったら、また来たくなるはずです」

    2025年に第1回目の開催を予定。地元の理解や協力、応援を得て、実現に向け着実に前に進んではいるものの、現在、県の関連組織への理解がなかなか得られず苦戦しているのだと言います。

    「アーティストのための祭典にするつもりはありません。やりたいのは浜通りのための芸術祭です。もはや、呼び名は芸術祭である必要もありません。デジタルも含めたアートを軸に、交流人口、関係人口、興味人口、移住人口を増やしていくこと。それによって浜通りをわくわくさせることが最大の目的です。しかし、そのためにはさらなる地元の協力と、行政の賛同がなくては叶いません。今ある、人と人とのつながりとその輪を大きくし、芸術祭の実現に向けて、一歩ずつ前に進んでいきたいです」

    「ふくしま浜通り国際芸術祭」を継続的に開催していくことで、アートを介して浜通りの魅力を広く発信し、震災の記憶を凌駕する“わくわく”を創造する。

    地域内外の人の手で、浜通りの新しい未来が色付き始めています。

    堀川 静(ほりかわしずか) さん

    1980年、富岡町夜の森生まれ。福島県立双葉高等学校卒業後上京。写真芸術について学んだのち雑誌の編集及びライターとして、取材やインタビュー、アートディレクションを中心に活動。 マガジンハウス刊『anan』『Hanako』『BRUTUS』などで連載。講談社『FRaU』、光文社『HERS』、コンデナスト社『GQ』『VOGUE girl』などで執筆。 震災以降、地方の在り方について考えるようになり、経済産業省による原発立地地域でのプロジェクトや文化庁の日本遺産、経済産業省委託事業ふくしまみらいチャレンジプロジェクトなど地方創生に携わるなかでいつか地元に寄与することを誓う。2017年、熊本地震の復興支援活動中に知り合った「竹あかり」総合プロデュースチーム「ちかけん」を誘致。 富岡町生活復興支援センターいわき平交流サロンにて竹あかりのワークショップを開催し、2017年3月31日から4月1日にかけて富岡町内の岡内東児童公園にて「富あかり」を実現。 避難指示解除後初となる「富岡町桜まつり」の点灯式では司会を務めた。

    取材・文:渡辺圭彦 撮影:渡部聡