移住者インタビュー

モノがあふれる時代に問い直す。石井美優さんが大熊町で重ねる小さな実験

2026年9月24日

グラフィックデザイナー、空間デザイナー、廃材を使った家具制作、ときどきアイスキャンディ屋さん。

2023年に福島県大熊町へ移住したmamagoto architectsの石井美優(いしい・みゆ)さんは、ひとつの肩書きには収まらない働き方をしながら暮らしています。

一見すると、ばらばらに見える石井さんの活動ですが、それらをたどっていくと、石井さんが社会や暮らしのなかで感じてきた、小さな違和感につながっていました。 なぜ彼女は大熊町に移住し、自分の手で暮らしをつくる実験を重ねているのでしょう。復興が進むエリアのど真ん中に立つ一軒家のアトリエを訪ね、お話を聞きました。

モノが溢れる時代に、モノを生み出したい気持ちを満たすには?

石井さんが暮らす福島県大熊町は、東京電力福島第一原子力発電所の事故により全町民が避難を余儀なくされた町です。2019年には一部地域で避難指示が解除され、少しずつ日常の風景が戻り始めています。

石井さんは、町内に設けたアトリエで、廃材を使った家具制作、空間デザインやグラフィックデザインなど、ジャンルにとらわれない活動を展開しています。

アトリエの中には、家具の材料となる木材や廃材、使い道の分からない道具などが積み上げられ、足の踏み場もないほど。ここから生み出されるのは、家具のようであり、アートのようでもある作品です。

石井さんの作品の数々。長靴をかたどった石膏の上に座面を載せた椅子やお椀と樽を組み合わせた椅子など、不用品や廃材が家具に生まれ変わっている

石井さん 長靴は海で拾ったもので、お椀は解体されるお宅からいただいてきました。大熊町に来てから、解体される家をたくさん目にしましたし、能登へ行く機会もあって、災害ゴミの多さに驚いたんです。モノって、世の中にめちゃくちゃ溢れてるなんだなって。

それなのに、自分の中には「新しく何かを生み出したい」という矛盾した気持ちもあって。お金もなかったので、「捨てられてしまうものを使えば、いくらでもものづくりができるんじゃないか」と思い、廃材を使った家具をつくるようになりました。

新しい材料を買わず、「そこにあるもの」からつくる石井さんの家具は、どれもユニーク。最近では、より実用的な家具の制作も手がけており、取材時はオーダーを受けた折りたたみ机を制作している途中でした

立命館大学大学院で建築設計や意匠を専攻していた石井さんは、学びを深めるなかで、「人が安全に暮らすとはどういうことか」という問いをもつようになりました。

石井さんにとって建築とは、人が安心して過ごせる温かな居場所をつくるためのもの。しかし、大学では「美しいデザインとは何か」「面白い建築とは何か」が語られることが多く、自分が思い描いていた建築との間に、少しずつ齟齬が生まれていきました。

石井さん 今思うと、それも大事なことだなって思うんですけど、当時は建築物がサービスや商品のように扱われることに違和感がありました。生活から建築というものが切り離されている気がして。自然災害の多い日本では、建築というものがもっと身近にあることが安全な暮らしにつながるのではと考えていました。

その問いがより切実となったのは、大学院2年生の夏。課外プロジェクトで初めて大熊町を訪れたのがきっかけでした。

石井さん 商店街の建物は窓ガラスが割れたまま残されていましたし、歩いている人は一人もいませんでした。その風景がすごく衝撃的で。私は三重県出身ですが、三重から見ていた震災は津波の印象が強く、それまで原発事故による被災について意識したことがなかったんです。だから、こんな場所が本当にあるのかって驚きました。

ただ、その日の午後に役場のほうへ移動すると、たまたまウォーキングツアーが開かれていて、今度はたくさんの人がいたんです。「この人たち、どこから来たの!?」ってびっくりして。午前中に見た町の風景とのギャップが不思議で、そこから大熊町のことが気になり始めました。

「社会のなかで自分がどう生きるのか」を考え続けたい

石井さんは修士論文の対象地を大熊町に。大熊町では、さまざまな交流の場に足を運び、住民との関係を築きながら聞き取りを重ねていきました。

「うちに泊まってヒアリング調査をしたらいいよ」と声をかけてくれる人がいたり、ヒアリング対象者を一緒に考え、アポイントまで取ってくれる人がいたり。町の人たちの温かさにも惹かれました。

さらに、「地域の活動マップ」も制作。ずっと続いてきた慣わしから、震災後に新しく生まれた取り組みまで、さまざまな活動を地図上に落とし込んでいきました。

すると、目に見えることだけでは捉えられない町の姿が、見えてきたと言います。一方で、住民と向き合うほど、自分の経験だけでは理解できないことにもたくさん出会いました。

石井さん それまで私は、人の気持ちが分かるほうだと思っていたんです。でも大熊町では、自分のボキャブラリーでは到底語れないような思いをもつ人たちにたくさん出会いました。

例えば、このアトリエを紹介してくださった方は、避難先から毎週、大熊町に通って自宅を掃除しているんです。屋根が朽ちて、なかはもう住めない状態なのに、毎週掃除をして、お茶を飲んで帰っていく。最初は、「もう住めないのに、どうして掃除をするんだろう」って理解できませんでした。でも、関わるうちに、故郷や家への未練のようなものを感じたし、通うこと自体が暮らしの一部になっているのかなと思いました。

卒業が近づき、周囲は就職活動の真っ只中。石井さんも建築設計事務所でインターンをし、進むべき道を模索します。

しかし、「ここで働きたい」と思える会社には出会えず、むしろ建築が商品として消費されていくことへの違和感は、強くなったと言います。それよりも「社会のなかで自分がどう生きるのか」をもっと考え続けたいという思いが膨らんでいきました。

石井さん その頃は、社会のなかに一人で放り出されたいという気持ちが強くて(笑)。私は計画を立てることが苦手なので、先のことを決めてから動くより、まずは動いてみたいと思いました。何もない状態から、自分がどうやって生活を成り立たせていくのか試したかったんです。

何も決まっていないのに「移住します!」と宣言

こうして自身の今後について考えるなかで、「大熊町で暮らしてみたい」という思いが芽生えていった石井さん。しかし、なかなか一歩を踏み出せずにいました。

ある日、大熊町を訪れた際、知人にその迷いを打ち明けると「悩んでいるなら、『移住します!』って宣言しちゃえばいいんだよ」と背中を押されます。

石井さん それで、移住者と住民との交流会の場で「石井美優です。家も仕事も決まってないんですけど、 4月に移住します!!」って宣言しちゃったんです(笑)。

ミラクルなことに、その場にいた方が「10日間くらいならうちを貸せるよ」と声をかけてくれて、そこに滞在しながら仕事と住む場所を探せることに。さらに、その家を出る期限があと2日に迫ったある日、浪江町で昼食をとっていると、お店の人との何気ない会話から「うちの2階があるから住んでもいいよ」と提案されるという思いがけない展開になりました。

こうして、まずは住む場所が決まった石井さん。ハイエースを借りて、当時暮らしていた滋賀県のアパートから荷物をすべて運び出し、引っ越しを完了。約3カ月間、割烹料理屋の2階で暮らしました。2023年7月には大熊町の公営住宅へ移ることができ、いよいよ大熊町での暮らしをスタートさせます。

得意を生かして生活を営む

移住後は、UR都市機構の地域活動拠点「KUMA・PRE(クマプレ)」でアルバイトを始め、イベントのチラシ制作などを担当。個人としては大学で学んだ建築の知識をもとに、町内や浜通りの建築、空間づくりのプロジェクトにも携わりました。

その一つが、『読書屋「息つぎ」』です。大熊町生まれの店主・武内優さんが営む「息つぎ」は、日が沈むと開店する屋外の本屋。屋根も壁もなく、あるのはビニールハウスの骨組みだけ。廃材を組み合わせてつくった本棚には、小説や詩集、エッセイなど100冊を超える本が並びます。

石井さんは、どんな場所にしたいのか、武内さんが思い描く本屋とはどんなものなのか、対話を重ねながらこの空間を設計しました。

石井さん 普通は、設計者が完成形を提案すると思うんですが、私は、使う人自身がつくるプロセスに関わることを大切にしたくて。店主が何をやりたいのか、どんな場所にしたいのかを引き出して、それを一緒に形にしていきました。自分でつくれば構造が理解できるし、壊れたときには自分で直すこともできます。だから、自分の手で原始的につくるということはめちゃくちゃ意識していました。

また、「浜通りスモールステッププロジェクト」に参加し、アイスキャンディの移動販売をしたことも。自転車にアイスキャンディを詰めた木箱をくくりつけ、昔ながらの行商のように町をめぐりながら販売しました。

2024年には、県外からの転入者を対象とした福島県12市町村起業支援金に採択され、廃棄物を使った家具制作やイベント会場の空間設計を手がける「mamagoto architects」として起業。クライアントワークも手がけ、いくつもの仕事を掛け合わせて生活しています。屋号の「mamagoto」には、建築やものづくりを「ままごと」のように、もっと自由に、工作の延長で楽しみたいという思いが込められているそうです。

最近の仕事だけでも、コーヒー屋さんのフリーペーパーをつくったり、店舗の壁を塗ったり、ビジョンマップのイメージ図を描いたり……。石井さんの職業は「何屋さん」とひとくくりにはできないほど、多岐にわたります。その仕事の多くは、人とのつながりから生まれたもの。誰に頼んだらいいかわからないような、ちょっと変わった相談が、石井さんのもとに持ち込まれることも少なくありません。

石井さん 「なんでこんなに大事なことを私に任せてくれるんだろう」と思うくらい、今の自分の技術より、ちょっと上のことをお願いされます。そのたびに挑戦して、練習させてもらっているというか。毎日が修行みたいな感じです(笑)。

自分のできることと、周囲の人々がやってほしいこと、町に必要なことをすり合わせていくなかで、あれもこれもと仕事が生まれる。起業というと、人生を賭けた大きな挑戦のように感じますが、石井さんのように、自身の生き方を追求した「小さな起業」の形もあるのです。

自分の手で、暮らしをつくる

大熊町に移住して3年。町では新しい建物が次々とつくられ、風景も大きく変わり続けています。風景があまりにも速いスピードで変わっていくことに、石井さんは戸惑った時期もあったと言います。そのなかで、「自分にとって心地よい暮らしとは何だろう」「町の中にどんな風景があったら面白いだろう」と考えることが増えていきました。

石井さん 大きな施設ができたり、イベントが開かれたりするだけじゃなくて、もっと暮らしの中に溶け込んだ賑わいのカタチがあってもいいんじゃないかと思っていて。読書屋「息つぎ」やアイスの移動販売のアイデアも、そういう思いから生まれたものです。

消費に対する違和感が、廃材を使った家具づくりにつながっているのも同じです。まだ使えるものがたくさん捨てられていく一方で、新しいものが次々につくられていく。その違和感をなかったことにするんじゃなくて、自分のなかでちゃんと受け止めておきたいんです。

大熊町には、そうした違和感を一緒に紐解いてくれる刺激的な人たちがいます。どんなときでも目を背けることなく「本当にこれでいいのかな」と自分なりに考えて、一つひとつを咀嚼しながら、できることを試していきたいです。

モノが壊れたら新しく買ったり、屋根が傷んだら修理業者を呼んだり。商品化や工業化が進み、つくることを誰かに委ねたことで、「便利になる一方、自分でできることを手放しているのではないか?」と石井さんは考えています。

石井さん ものづくりが暮らしの延長線上にあれば、暮らしを自分でつくる力になるし、壊れたときには自分で直すこともできる。もっと自由に生きられるし、町だって面白くなっていくはずです。

石井さんは、その仮説をまるで「ママゴト」をするかのように実験しています。 さまざまな仕事を積み重ねてきた石井さんは、自分のなかに生まれた小さな違和感を見過ごさず、この町で暮らしづくりの実験を重ねています。

取材・文:奥村サヤ 撮影: 中村幸稚 編集:平川友紀