移住者インタビュー

難しい、でも諦めない。「エムケーファーム」が企業として飯舘村で農業を営む意味とは

2025年1月31日
飯舘村

福島県浜通りの北部にある飯舘村。標高は500メートル前後で年間の平均気温は約10度と、高原地帯独特の冷涼な気候ですが、春にはさまざまな植物が芽吹き、鳥が心地よさそうにさえずる美しい風景が広がります。

「夜空も本当に美しくて、満天の星がきれいですよ」と語るのは、飯舘村で農業を始めて5年目になる「株式会社エムケーファーム」代表取締役の菊野里絵(きくの・りえ)さん。長閑な里山の風景が残る飯舘村は、もともと養分が少ない花崗岩質の土壌であることに加え、福島第一原発事故後の除染作業によって表土が削り取られてしまっています。土壌の状態が良くないなかで、農業法人として事業を成り立たせることは容易ではなかったと言います。

それでも、法人として飯館村で農業を続ける理由は何なのか、お話を聞きました。

福島の桃を食べて育った幼少期

エムケーファーム代表取締役の菊野里絵さん

飯舘村臼石(うすいし)地区にある旧臼石小学校。ここを拠点に活動しているのが、福島市と飯舘村で農業を営む「株式会社エムケーファーム」代表取締役の菊野さんです。

菊野さん 「私たちは、福島市を拠点に、地域活性化を目指して多角的に事業展開しているグループ企業です。その中で私が預かっているのが、飯舘村で農業事業を行なう株式会社エムケーファーム、地域課題の解決について研究し、旧臼石小学校の運営をする株式会社地域創造研究所、建設業の株式会社リファーという3つの会社です」

福島第一原発事故によって発生した放射性物質による汚染の影響で全村避難になった飯館村。廃校になった小学校跡地は、現在4つの企業が事務所として活用している

東京生まれ、東京育ちの菊野さんですが、母方の祖父母は福島市内の果樹農家だったため、幼少期から頻繁に福島を訪れていました。

菊野さん 「父方の祖母も福島出身だったので、私の中には4分の3ほど福島県人の血が流れているんです。子どもの頃は学校が休みに入ると福島の祖父母の家に行き、果樹畑で遊んだり、傷ものの桃をもらって食べたりしていました」

その後、就職、結婚を経て、子育てをしながら会社員として働いていた菊野さん。忙しい毎日を過ごしながらも、脳裏にはいつも幼少期の福島での楽しい思い出があったと言います。その体験をもう一度味わいたいと感じていた菊野さんは、2007年に一念発起。「周囲からはびっくりされた」そうですが、会社を辞め、福島県に移住しました。

農家として被災し、農業と再び出会うまで

幼少期に慣れ親しんだ果樹園の風景や食べさせてもらっていたおいしい桃の記憶もあり、移住した菊野さんが目指したのは桃農家でした。ご縁があった伊達市の桃農家で研修を始めます。

会社員とはうって変わって農家の仕事は肉体労働。それでも、大変ななかに面白さややりがいを感じながら働いていたと振り返ります。

ところが、就農5年目の春、ようやく生産が軌道に乗り始めた矢先に、福島第一原発事故が発生。菊野さんは別の地域への避難を余儀なくされました。

菊野さん 「避難によって農業はできなくなってしまいました。もともと農家と並行して学習塾をやっていたので、避難先でも学習塾は続けながら、他にもいろいろな仕事をやっていましたね」

そこで出会ったのが、現在、菊野さんが所属するグループ企業でした。

菊野さん 「ご縁があって『うちで働いてみないか』と声をかけられて。最初は事務の業務を担当していたのですが、そのうちに、飯舘村で農業をやろうという話が持ち上がったんです」

自身も農家だったからこそ、農業の大変さが身にしみてわかっていた菊野さん。この話を聞いた当初は、積極的に関わろうという気持ちになれなかったと言います。

菊野さん 「でも、農業に従事していた私への期待に応えることができればと、2019年から飯舘村での営農プロジェクトに携わることになりました」

村での農業はゼロどころかマイナスからの挑戦

とはいえ、法人として農業をやるのは初めて。飯舘村で農地を見つけるところからのスタートでした。村役場に問い合わせ、前の持ち主の帰村が叶わず耕作放棄地となってしまった畑を紹介してもらいました。それが、現在エムケーファームとして農業を営む2.4ヘクタールほどの圃場です。

2017年には避難指示が解除された飯舘村。病院やスーパーなど、生活基盤の整備が進んでいないところもあるが、移住者も徐々に増えている

しかし、飯舘村での農業は一筋縄ではいきませんでした。冷涼な気候と中山間地域の山あいの地形である上に、放射性物質の除染作業により、農地の表土は5〜10センチメートルほど除去されてしまっていたからです。

菊野さん 「肝心の土は、本当にひどい状態でした。営農再開の支援事業で堆肥を入れたのですが、いくら入れても土壌改良が進まなくて。もともと飯舘村の土壌は花崗岩質の土壌で養分が少ないんです。それを村の人たちが、長年かけて耕作して土を肥やしてきたのですが、その表土のもっとも栄養がある部分が除染によって削り取られてしまったので、始めた当初は本当に苦労しました」

桃農家だった頃、野菜も育てていた菊野さんは、その時培った知識や経験を頼りにいろいろと試してみたものの、何をやってもうまくいかない日々が数年間に渡って続きました。

菊野さん 「以前私がいた伊達市は飯舘村に隣接した地域でした。でも飯舘村と比べると標高は200メートルほど低く、比較的暖かかったんですね。飯舘村では夏場でもヤマセ(6月から8月ごろに吹く北東の冷たい湿った風)が吹いたりして、同じスケジュールでやってもうまくいかない。とにかくやること、なすこと、すべてがうまくいかなかったんです」

ブロッコリーやサヤインゲン、ビーツなどさまざまな品種を植えては適した作物を探したり、IT技術を駆使したスマート農業が活用できないか検討したり、飯舘村に合うやり方がないか、あらゆる方向性を模索してきたという菊野さん。試行錯誤の末、ようやく活路が見えてきたのは、飯館村で農業を始めて4年が経過した2023年のことでした。

試行錯誤の日々から見出した、この村ならではの農業の形

菊野さん 「だんだんとこの地域の気候と上手に付き合えるようになってきました。それと、助成金を活用してビニールハウスを一棟建てたところ、現在の土壌であってもある程度いい作物がつくれることが見えたんです。施設で環境を管理して栽培すれば、ある程度の収益が見込めると思いました」

厳しい環境でも育つ強い作物として知られるミニトマトは、空気中の水分も吸収できるように茎からも根が伸びる

最終的に辿り着いた作物はミニトマト。管理している9棟のビニールハウスでは現在4トン程度の収量があるのだそう。取引先はレストランチェーンや県内の大手スーパーなどです。

ミニトマトを栽培しているビニールハウス。10月中旬でもハウス内部は暖かい

徐々に自分たちの農業ができつつあるという菊野さんですが、事業として安定するにはまだ時間がかかる状態だといいます。

菊野さん 「収支は初年度に比べればずいぶんよくなってきましたが、まだ黒字にはなっていないんですね。というのも、やっぱり気候の関係で、飯館村の農家は冬場の仕事がないんです。個人の農家さんにどうしているか聞いたら『冬は仕事しないで遊んでいればいいんだよ』っておっしゃるのですが、会社でやっているのでそういうわけにもいかなくて(笑)。ですから、次の課題は冬の仕事をどうつくるかですね」

この課題を解決するために現在取り組もうとしているのが、きのこの栽培です。

保温効果があるハウスをつくることで、農業用のエアコンで最低限の加温をすればきのこが栽培できる

菊野さん 「全国的にきのこ農家の数は減少傾向にあります。なぜかというと、燃料費がすごく高騰しているから。冬場のきのこ栽培では大量の燃料を使う場合が多いので、燃料代が高騰すると、その費用を賄えなくなって辞める方も多いようです。うちでは、燃料をできる限り使わない方法で栽培できるように計画を進めています。これが形になれば、きのこは周年で収穫できるので、ある程度収支は安定するのかなと考えています」

最新のテクノロジーを駆使しながらも、飯舘村特有の気候や土質をきちんと捉え、最適な農業のあり方を模索していく。菊野さんは、今後も試行錯誤を続けていくと言います。

企業活動を通して生み出す地域へのインパクト

一度は諦めた農業に、今度はいち企業人として再び取り組んでいる菊野さん。今もなお、飯館村で農業を事業として成り立たせていくことは簡単なことではありません。それでもなぜここまで挑戦を続けているのでしょうか。

菊野さんは「自分が食べておいしいと思ったり、お客さんからいいねと言ってもらえたり、大変だけどやりがいもたくさんあるのが農業だ」と語る

菊野さん 「もうやるしかない、と思っていて。使命感とまでは言えませんが、やり始めたからには投げ出せないなと。だって今、私がこれをやめてしまったら『地域の人からお預かりした畑はどうなってしまうだろう』とか『会社で頑張って働いてくれている人たちはどうなってしまうんだろう』って考えるんですよね。

都会であれば私が道を歩いていたって誰も気にしないし、ただすれ違っていくだけ。でも、ここではみなさん知り合いです。

地域のマルシェに行けば、みなさんが『菊野さん』って声をかけてくださる。地域の方との距離がすごく近いんです。それが居心地がいいんだと思いますし、そういう人たちとの関係性を大事にしたい。あと、ここで辞めて帰ってしまって『やっぱりだめだったか』と周囲の人たちに思われたくないというのもあります」

きのこ栽培は2025年春に開始。順調にいけば、ハウスの数も増やしていくそうです。また、ミニトマトをさらに安定的に生産できるようになることも目指します。敷地にはまだゆとりがあるので、他の作物も育てながら加工品の生産も手掛けるなど、6次化も目指していきたいと考えています。

現在、飯舘村の畑を管理しているのは若手スタッフ2名。移住(Iターン、Uターン)がきっかけでエムケーファームで働くことになったという

飯館村で農業に従事する活路が見出され、安定的な収入を生み出すことができるようになれば、ここで農業をやりたいという人も増えていく可能性があります。事業の収益の安定化は、雇用の創出や新たな人材の流動を生み出し、ひいては村の農業の持続化にもつながっていくかもしれない。それは美しい村の風景を守っていくことにもなるはずです。

企業として、地域に貢献するとはどういったことなのか。菊野さんたちが行なう事業のあり方やそこから生まれるインパクトが、それに対する答えになっているのではないでしょうか。

取材・文:岩井美咲 撮影: 本田健太郎  編集:平川友紀