移住者インタビュー

美容室「nen.」を開業。浪江町の旧商店街を、回遊できる集いの場にしたい

2024年6月12日

  • 出身地と現在のお住まい
    浪江町出身。ベトナムからUターン
  • 現在の仕事
    美容室「nen.」の経営
  • 移住・開業して良かったと思うこと
    時間をゆったり取ってお客さんと向き合えるようになった

2023年7月に浪江町に美容室「nen.」を開業した田中将太(たなか しょうた)さん。ベトナムでの美容室開業に向け、準備を進めていた最中の新型コロナウイルスの感染拡大。思いがけず叶った“一時的な帰郷”から、ふるさとでやりたいことが膨らんでいったといいます。開業から約1年が経った田中さんの現在地を伺いました。

浪江で店をやるなんて考えてもいなかった

――Uターンの経緯を教えてください。

会津若松市で美容業を展開している企業からの出向で、日本の美容技術をベトナムに輸出するプロジェクトに参加して現地の美容室で働いていました。ベトナムで自分の店を開業しようと準備を進めていたタイミングで、新型コロナウイルスのロックダウンに。現地でできることがなかったので、そんなに長引かないだろうと思いながら2021年2月に一時帰国しました。震災後から横浜に住んでいた母のところにいたのですが、ベトナムへ戻るための飛行機が全然飛ばなくて…。

そんな最中、もともと浪江で小さなスナックを経営していた母が、浪江で仕事を再開することになって。ベトナムに戻るまで手伝おうと思い、一緒に戻ってきました。その時点では、まさか自分の店を浪江で持つなんて考えてもいませんでした。

――浪江で開業した決め手は何だったのですか?

浪江に戻ってきてからは、店に立ったり、お客さんの送迎をしたりと母の店を手伝っていました。店に飲みに来てくれる浪江町役場の方や、作業員の方に話を聞いていると、仕事終わりに髪を切りたいのにそれができる場所がないと、よく聞くようになったんです。美容師としての腕を地元に還元したいと思い、ベトナムに戻るまで訪問美容をやろうかとも考えていたのですが、ビジネスとしては微妙。いっそ店舗を出せば需要はあるんじゃないか、と考えるようになったのです。浪江に戻って半年後には地元への愛着も出てきて、ベトナムの出店をやめて、浪江で開業することを決心しました。

――実際にお店を開いてみて、いかがでしたか?

オープン前は、町で見かけることが多い、男性や高齢のお客さんが多いだろうと見込んでいました。でも、いざ店を始めてみると、ほとんどが若い女性。町内だけではなく、隣の南相馬市や双葉町、大熊町からも来てくださるんです。ベトナムではブリーチをする機会が多く、腕には自信があります。Instagramの投稿をきっかけに「田舎でブリーチができる店があるなんて」と喜んでくれる方もいらっしゃいます。

カットだけではなくカラーやパーマをしてくれるので、男性より女性のほうが単価は高い。これは全然想像していなかった流れで、うれしい誤算でしたね。男性からは、僕が一人でやっているから入りやすいと言ってもらえることも多いです。

夜の営業に需要があると踏んでいたので、営業時間は20時まで。予約があれば、それ以降も受け付けています。お客さんの中には、平日は浪江で仕事をして、週末は住まいがあるいわき市や郡山市に帰るという方もいるのですが、休日に地元の美容室を予約しようとしても混んでいるから助かるという声もあります。逆に、うちの店は休日のほうが予約を取りやすかったりするんですよ。それは浪江町で美容室をする特性かもしれないです。

かつてのメインストリートで開業した理由

――お店の場所を選んだ理由を教えてください。

ここは浪江駅から徒歩10分ほどの場所で、震災前は浪江町のメインストリートでした。僕、震災直後から2021年まで10年ぐらい浪江には戻っていなかったんです。その間に解体された建物も多いのですが、壊れた建物がそのままで震災前の名残があった頃のほうが浪江だったなと思うんですよね。

浪江の町をもう一度作りたい。そんな思いから、このあたりをショッピングモールのように人が集まって回遊できるようなフローのある場所にしたいと考えました。土地は、奥行き20~30メートル、幅5メートルしかない細長い土地。このあたりの土地は、そうした区画が多いんです。そこに、パートナーである栃本あゆみさんのおむすび「えん」と横並びで建てました。

ヘアカットしながらおむすびをオーダーしてくれたり、おむすびを食べに来た知り合いが外から手を振ってくれたり…。そのやり取りは、今まで働いている中ではなかった経験でめちゃくちゃ面白いし、うれしい光景なんですよね。おむすび屋さんのほうがお客さんが来る頻度も認知度も高いので、ちょっと悔しくなる時もありますが(笑)。おむすびをきっかけに、うちを知ってくれるお客さんもいるのでありがたいですね。僕たちが開業した後も、周りにお店が増えてきているのでこれからが楽しみです。

いつかは移住のきっかけに

――移住して良かったと思うのはどんな時ですか?

一人で施術も片付けもしているため、お客様一人当たりの時間を多めに取っています。そのぶん、お客さんと向き合える時間も多くて。今まで美容室の経営は、数をこなさないとお金にならないという印象がありましたが、こういう仕事の仕方もいいなと思えたのは新たな発見でした。浪江に戻ってこないと繋がれなかった人や、聞けなかった話も多くて、それは地元でサロンをやる醍醐味だと感じますね。

――お店で印象に残っているエピソードを教えてください。

知人から、おじいさんが介護施設に入る前に髪を切ってあげてほしいというご依頼を受けた時です。お宅にお邪魔して髪を切ったのですが、施設に入ってすぐに亡くなってしまいました。僕が整えた髪のまま亡くなられたと聞いて、人生の最期に携われて良かったと感じました。開業前のように美容室でスタッフとして勤務していたらできない仕事だったと思います。

――これからどんなことにチャレンジしてみたいですか?

町の子どもたちがこの店を見て、僕と携わることで美容師になる夢を持ってくれたらめちゃくちゃうれしいし、ここで働きたいなんて子どもがでてきてくれたら最高ですよね。イベントでヘアメイクしてあげたりとか、編み込みを教えてあげたりして、子どもたちともっと触れ合う機会ができると良いですね。

それと、移住してくる方には、美容室がちゃんとあると安心してもらいたいですね。この店が、移住したいと考えている美容師の受け皿になれるといいなとも考えています。今はまだ一人で経営を軌道に乗せる段階ですが、お客さんの席は3つ用意してありますし、シャンプー台も壁を外せば増設できる造りになっています。既にだいぶ予約がきつくなっていて、これ以上忙しくなったら一緒に働いてくれる人を探したいと思っています。

もともと海外で美容師として働くことに憧れていたので、ベトナム出店の夢は正直、まだ捨てられてはいません。ベトナムでは日本人のヘアサロンがブランド化していて、日本円に換算するとカットに1,000円払えば高級といわれる市場で、だいたい5,000円いただける。ベトナムでは美容師免許がなく、素人でもすぐ美容師として働けるのですが、リクルートに困らない分、技術力に課題があります。日本の技術をベトナム人に提供して、日本人並みのサービスができる店を経営するビジョンを持っていたので、それをかなえたい。この店をいつか誰かに任せられるまで成長させられたら、またチャレンジしたいです。

田中 将太(たなか しょうた) さん

1987年、浪江町出身。日本美容専門学校卒。県内の美容室などで勤務し、2011年に株式会社リンクサプライに入社。経産省クールジャパン機構に採択されたJapan Beauty Associationに出向し、JBA Vietnam勤務。グループ総店長を経験した後、2021年4月に浪江町へUターンし美容室「nen.」を開業。

https://www.instagram.com/nen._hair/

※所属や内容は公開当時のものです
文・写真:五十嵐秋音