移住者インタビュー

木造仮設住宅を再利用し「シェアプレイス」をつくった建築家。自分なりの「浪江らしさ」を求めて

2024年10月17日

東日本大震災の当時、木造の仮設住宅が開発されたのを覚えているでしょうか。その被害の大きさから7万戸が必要とされた仮設住宅は、従来のプレハブのものだけでは足らず、地元の建設業者による木造仮設住宅でそれを補うことになりました。

浪江町出身の渡部昌治(わたなべ・まさはる)さんは、震災後に建築家を志し、建築事務所「Fimstudio」を立ち上げて、木造仮設住宅を再利用した事務所を浪江町につくりました。

浪江町は東日本大震災の際、地震や津波の被害に加え、福島第一原子力発電所の事故の影響で2万人以上の全町民が避難しました。2017年3月31日に一部地域の避難指示が解除されて復興が始まり、現在は約2200人が暮らしています。

渡部さんが手掛ける仮設住宅の再利用とはどのようなものなのでしょうか。そして、建築を通して浪江町をこれからどうしていきたいと考えているのでしょうか。

木造仮設住宅を浪江で再生させる

東日本大震災が起きた時は、青森で原発関係のエンジニアをしていたという渡部さん。震災をきっかけに建築の道を志し、大学に進学して建築をいちから学んだといいます。なぜ、そのタイミングで仕事を辞め、建築家を志したのでしょうか。

渡部さん 「もともと建築には興味がありました。テレビを観ていたら、ある建築家が設計した半球形のパピリオンについて説明するときに、「軽く手を握ったときにできる空洞の形と同じ」と話していて、それに感動したのがきっかけでした。自分の体と建築物がリンクするのが面白くて。

そんなことを思っていたら震災があって、家族も避難することになった。その中で、浪江町の復興に僕自身はどう関わっていけるだろうと考えたら、建築かなと思ったんです。とはいえ“建築でまちを復興するぞ!”という熱い思いがあったわけではなく、“興味のあった建築の世界に飛び込むなら今かな”というきっかけをもらった感じでした」

Fimstudioの渡部昌治さん

福島県内の日本大学工学部から大学院まで建築を学んだ渡部さんは、そこで木造仮設住宅の再利用の研究を始めたといいます。

渡部さん 「大学で所属した浦部智義研究室は、福島県の木造仮設住宅建設の公募に応じた南会津町の建築設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」とともに、その建設計画に参加していました。それもあって、僕は大学院で木造仮設住宅の再利用の研究をしました。プレハブの仮設住宅はリースですが、木造の仮設住宅はつくったものを県が買い取り、県の所有物として提供していたので、最終的には県が処分しなければいけません。その処分費用もかかるので、最初から再利用が可能なものを積極的に採用していたんですね。

ただ、木造仮設住宅は、無償譲渡といって、現場で解体して持っていってくれれば無償であげますよという形で再利用が図られていました。建物自体は無償でも解体と運搬にコストがかかるのでハードルが高く、実際に再利用された例は残念ながらそれほど多くありません」

修士を終えた渡部さんは、こちらの「はりゅうウッドスタジオ」に就職します。

渡部さん 「めちゃくちゃ山奥にあるちょっと変わった建築設計事務所なんです。自分たちで木造仮設住宅の建築をしたこともあって、再利用にも取り組んでいました。例えば、浪江町の「いこいの村なみえ」という宿泊施設の設計も行なっています」

そこで3年ほど修行した渡部さんは浪江町へ戻り、木造仮設住宅を再利用して自身の事務所をつくります。仮設住宅だった当時の棟番号を使って、建物は「STUDIO B-6」と名付けました。

STUDIO B-6/Fimstudio

渡部さん 「独立して浪江町に戻ってなにか始めようと考えたときに、仮設住宅の再利用を自分でやりたいと思いました。そこで本宮市で、浪江の人たちが実際に使っていた仮設住宅を譲り受け、自分の事務所につくり替えました。それを浪江町にもってきてずっと残し続けるのは意味があるのではないかなと思って」

実際に事務所に伺うと、しっかりした作りの建物で、10年近く経った“仮設”の住宅を再利用したものとはとても思えません。

渡部さん 「これはログハウス工法といって、木材自体が構造と外壁と断熱を兼ねていて、木の溝を組み合わせることで柱がなくても安定した建物をつくることができます。断熱も申し分なく、ある程度気温高くても、朝入ってくるとひんやりしていますね。

仮設住宅として利用していたときは、2DK、4区画に分かれていましたが、壁を取っ払って半分をひと続きの空間にしました」

厚さ11センチメートルほどの木材の上下につくられた凹凸をはめ込んで1枚の壁にしていく
組み立て前の木材。溝が木材中央にある

このように、立派な建物に再生できる木造仮設住宅ですが、実は渡部さんが再利用した事例はもう一つだけ。知人だった「haccoba」の佐藤太亮さんに頼まれて浪江町に「haccoba浪江醸造所」をつくりました。しかし、避難解除が進むにつれて仮設住宅は撤去され、資材が手に入らなくなっているため、これ以上はやりたくてもできないそうです。木造仮設住宅の再利用という目標を一応達成した渡部さんは、これから浪江町で何を実現しようとしているのでしょうか。

haccoba浪江醸造所 Ⓒ早川記録

自分なりの「浪江らしさ」を見つけていく

STUDIO B-6の中にある古書店「コウド舎

渡部さんは、一人では広すぎる事務所を「シェアプレイス」として運営しています。シェアプレイスとは聞きなじみが薄い言葉ですが、何をする場所なのでしょうか。

渡部さん 「建てたときから、一人では手に余ることがわかっていたので、なにかに使おうとは思っていました。今は本屋さんに入ってもらっていて、読書会やZINEをつくる会、DJイベントなどを定期的にやっています。

シェアスペースはよく聞くけど、シェアプレイスという言葉はあまり聞いたことがないと思いませんか。謎の言葉でなんかいいなと思って。謎の言葉だからこそ、使う人の自由に解釈してもらって、自由に使ってもらえればいい。それがコミュニティづくりにつながればいいと思っています。

残り半分のスペースも活用しようと整備しているところです。カウンターをつくって、昼はカフェ、夜はバーが営業できる感じにして、店舗を持つまではいかないけどなにか始めたいっていう地元の人が日替わりでお店がやれる空間になったらいいですね。今はSTUDIO B-6の利用者は自分の交友関係やその延長に限られていますが、飲食店をやると全然関係ない人たちも来ると思うので、そうやって広がっていくといいなと」

現在、使っていなかった建物の半分を渡部さん自ら改装中

震災前の1割程度の人口しかない浪江町。渡部さんも「僕ぐらいの年代で、結婚して子どもがいる人たちはほとんど戻ってきていない」と言います。実際に足を運んでみるとそれほど寂れた印象はなく、これから賑やかになっていきそうな感じもしますが、渡部さんは建築家としてまちづくりにどのように関わっていこうとしているのでしょうか。

渡部さん 「いま多く手掛けているのは古い建物の改修で、新しいものをつくる機会はそれほどありません。でも、完全に新しいものをつくるのでもなく、単純に古いものを残すだけでもなく、震災前のなにかしらのエッセンスを残しながらつくっていきたいと思っているので、楽しさはあります。

浪江町で有名な大堀相馬焼は、土や釉薬といった自然の環境が生み出すものです。だから浪江町でないとつくれないものなんだと思います。建築において、そういう浪江らしさを自分なりに見つけていくことが課題であり目標なのかもしれません。これまでの浪江をつくってきた過去からの連続性を意識しながら、新しく浪江らしさを出していくもの。仮設住宅もある意味では浪江の連続性を示すもので、それを再利用して残すことには意味があると思っています。

建築はできることの幅がかなり広く、設計はもちろんですが、リサーチもしますし、デザインみたいなものも入ってくるし、今シェアプレイスでやろうとしているような空間のプロデュースもあります。やってみて実感するのは、建築は設計者が一人でつくれるものではなくて、職人さんが実際に手を動かして建てるものだということです。そうやっていろいろな人とモノをつくったりつなげたりしながら、僕にしか見つけられない浪江らしさを見つけていきたいです」

渡部さんは、建築家として現場で仕事をしながら、建築とは何か、浪江らしさとは何かを模索し続けています。建築というと建物を建てるだけと考えがちですが、建物を建てるということは、その周囲の環境を設計することであり、店舗や公共施設であればそれを使う人との関係を設計することでもあります。渡部さんは建築を通して浪江というまちがこれからどうなっていったらいいのか、過去との連続性の中でどう変化していくべきなのかを考え続けていました。

そして、建築とはまったく関係なさそうなこともしています。

渡部さん 「ちょっと冗談みたいな話になるんですけど、ステッカーをつくっているんですよ。今年、浪江町にはじめてクマが出て、「Be careful of bear.」という、熊出没注意みたいなステッカーをつくりました。そしてもう一つ「Be careful of people.」という、クマに対して人々に注意しろというステッカーもつくりました」

「これも建築ですか?」という問いに笑いながら「これも建築です」と答えた渡部さん。クマ向けにもステッカーをつくったというのがユニークです。渡部さんにとってはクマも浪江町に新しく加わった仲間なのかもしれません。まだまだ復興が始まったばかりの浪江町には、地域づくりを引っ張っていく人材が必要です。しかし、渡部さんのように地域に根ざして小さなコミュニティをつくり、地固めのようなことをする人もまた必要です。場をつくり、人々と交流していくなかで、渡部さんなりの「浪江らしさ」が見つかっていき、その活動が、魅力的なまちづくりの一部になることは間違いなさそうです。

取材・文:石村 研二 撮影:中村幸稚 編集:平川友紀