移住者インタビュー

浪江町の暮らしになじみつつ音楽・ラジオ制作を続けていく

2024年2月21日
浪江町
  • 移住
  • 夫婦

  • 移住したきっかけ
    東京での生活環境の変化と浪江町に両親が暮らしていたこと
  • 現在の仕事内容
    ラジオ番組制作、ライブ活動、地元ホテルでのアルバイト
  • これからの目標
    音楽で人の力になること、地域でラジオ局を立ち上げることなど

17歳で芸能界デビューして以来、主に歌やラジオの世界で活動してきた古屋かおりさん。古屋さんと共に長年ラジオや音楽の仕事に携わり、都内のライブバー経営者でもあった夫の西健志さん。お二人は2年前、担当するラジオ番組で「浪江町への移住」を発表し、多くのリスナーを驚かせました。そこにはどんなストーリーがあったのでしょうか。

仕事で多忙な生活が一変

――2022年5月に浪江に移住されるまでのご経歴を簡単に教えてください。

古屋さん 私はシンガーソングライターとしてライブやCD制作などの音楽活動をするとともに、ラジオパーソナリティやイベント司会などの仕事をしてきました。神奈川県相模原市のコミュニティラジオ、FM HOT 839(エフエムさがみ)では3本のレギュラー番組を担当。健志さんとも20年近く、番組を一緒に制作していました。リスナーからのメールが毎週100通を超える人気番組もありました。

古屋かおりさん

西さん 僕もずっと音楽業界です。いくつかの音楽事務所やレコード会社で作曲・編曲に携わり、またアレンジャーやプロデューサーとして多くのアーティストを担当しました。その中の一人がかおりさんで、デビュー3年後くらいからプロデュースをしていたんです。2000年代に入ってからは東京都町田市や福生市でライブハウスやライブバーの運営、レーベルの立ち上げ、またラジオ番組制作もしていました。多いときは週7本くらい番組を作っていましたね。

西健志さん

――そんなお二人がなぜ浪江に移住することになったのでしょう?

西さん きっかけは、僕が当時経営していた福生市のライブバーが火事で全焼してしまったことと、浪江町に住む父の体調の変化です。僕は町田市の生まれですが両親は浪江町の出身で、僕が高校のころ、僕だけ東京に残して浪江に帰っていました。東日本大震災後の避難生活を経て再び浪江に戻っていたので、僕たちもたまに様子を見に訪れていたんですが、だいぶ高齢になってきて。そろそろ近くに住んだ方がいいかと感じ始めていたところへ、火災が発生。店はもちろん楽器も機材も2階にあった住居も、ぜんぶ燃えてしまった。2021年1月のことでした。

浪江町で新たな生活のステージへ

――東京での再出発は考えませんでしたか?

西さん ちょうどコロナ禍の真っ最中でライブバーの営業はだいぶ苦しい時でした。そんな状況で、またゼロから店を立ち上げる気力はなかなか……。物件探しも条件が合わず、キッチンカーで営業したらどうかなどいろいろ考えてはみましたけどね。一方、ラジオ番組や音楽の制作は機材とインターネットさえあればどこでもできる手ごたえはあった。それなら、これを機に両親の近くへ移住するのもいいんじゃないかと考えました。

――移住と聞いて古屋さんはどう思いましたか?

古屋さん 正直、ちょっとびっくりしました。いずれは……と思っていましたが、まさかこんなに早くとは。でも、火事があったこともそうですが、私自身も2018年に子宮体がんが発見されて手術・闘病生活を経験するなど、いろいろなことが重なって、ちょうど転機だったのだと思います。たしかに移住することでライブやイベントの仕事は当面難しくなるけれど、少しゆったりペースダウンするのもいいかなと考えました。

――お住まいはどうされましたか?

西さん いま住んでいるのは、父が震災後の避難中に祖母のために建て替えた家です。僕にとっては昔、夏休みのたび遊びに来たおばあちゃん家があったところ。でも、残念ながら祖母は故郷の地を再び踏むことなく亡くなってしまい、空いていたところへ私たちが入居しました。仕事部屋は、ふとん部屋だったところを改装して使っています。

防音シートを貼った「スタジオ」からネットでライブ配信も

――浪江に住んでどんなことをしていらっしゃるのか教えてください。

西さん 二人とも、エフエムさがみの音楽番組「MUSIC VOX」のパーソナリティを続けています。かおりさんは4週目、僕は3週目を担当。自宅のスタジオで収録して送っています。相模原市のコミュニティラジオなのに最近は浪江の話ばかりですね(笑)。あとは週4日くらい、二人とも町内のホテルで清掃のアルバイトをしています。いろんな人と知り合う良い機会だし、拘束時間もそれほど長くないので、音楽の仕事とのバランスがちょうどいいんです。

古屋さん 移住して1年半になりますが、ライブの機会も徐々に増えてきています。こちらに来て最初に出演したのは2022年11月、富岡町の「さくらライブ」でした。浪江町では「新町にぎわいマーケット」でラジオ配信をさせてもらったり、クリスマスの「まちなかコンサート」で歌わせていただいたり。また、ホテルのアルバイトで知り合った方がライブの機会をくださるなど、ご縁がつながっている感じですね。長年のファンやラジオリスナーの中には、わざわざこちらでのライブに足を運んでくださる方もいてうれしい限りです。

西さん 僕は2023年1月、配信デビューアルバム「大丈夫、ぼくらには音楽がある」をリリースしました。学生時代にバンドをやっていて、ずっと自分でもアルバムを出したいと思っていたんです。東京にいた時は忙しすぎて無理でしたが、こちらに来て時間に余裕が生まれ、やっと実現できました。

音楽もラジオも地域のペースで次の挑戦を

――移住後の生活で予想と違ったことはありますか?

西さん そんなにないですね。店は少ないけれど、暮らしてみれば大抵のことはまかなえます。夜は(人家が少ないので)真っ暗ですが、そのぶん星がものすごくきれい。海も山もあって自然環境に恵まれています。「そんなのすぐ飽きるよ、それより便利な方がいいよ」と言う人は多かったけど、1年以上暮らしてみても全然飽きません。

古屋さん 私も鳥のさえずりを聞きながらボーっとしてるのが好き。ゆったりした時間の流れが自分に合っていると思います。お店の閉まる時間が早くてちょっとびっくりしましたけど、逆に生活リズムの方が自然とそれに合っていくんですよね。あと、コンサートや舞台を見に行く機会が減るかなと思ったら、逆に増えたかもしれません。

西さん そうそう、全国ツアーをやるアーティストのライブチケットが、東京ではとれなかったのに(ここから車で1時間半の)仙台では簡単にとれたりしてラッキーですよ。

――これからどんなことにチャレンジしたいですか?

古屋さん 歌う機会はもっと増やしていきたいですね。東京では私を見に来てくれる方の前でオリジナル楽曲を演奏するのがメインでしたが、ここでは私を知らない方もたくさんいます。ライブでは子どもからお年寄りまで楽しんでもらえるような選曲をして、音楽で地域を盛り上げていく力になりたいと思っています。

もちろん曲づくりも継続、現在は次のリリース曲を制作中とのこと

西さん 将来は浪江でコミュニティFM局を立ち上げたいと考えています。こういう地域だからこそ、災害時に威力を発揮する地元のラジオ局が必要なんじゃないか。僕たちは東日本大震災のとき、停電のなかエフエムさがみで災害情報を流し続け、反響が大きかった経験があります。ただ、コミュニティFM開局には免許申請や設備投資が必要なので、まずは(免許の要らない)ミニFMとネット配信で番組がつくれたらいいかなと。いずれにせよ、地域のニーズを見極めながら準備したいと思っています。

――移住を検討している方へアドバイスをお願いします。

西さん とにかく現地に来てみて。印象が変わりますから。不安なことがあったらネットで調べるだけでなく、実際に住んでいる人に直接聞いてみるといい。あっけないほど簡単に解決したりしますよ。

古屋さん ぜひ一度足を運んで、いろいろな人と直接お話ししてみてください。

古屋 かおり(ふるや かおり) さん

1978年、神奈川県藤沢市生まれ。1995年にCDと写真集でデビュー、舞台やドラマにも出演。まもなく音楽活動メインにシフト、毎月ライブ開催した時期も。2003年、神奈川県相模原市のコミュニティFMでレギュラー番組スタート。以来、ラジオパーソナリティとシンガーソングライターとして多面的に活動。2022年、西健志さんと浪江町に移住し入籍。

西 健志(にし けんじ) さん

1966年、東京都町田市生まれ。音楽プロデューサー。音楽事務所やレコード会社などで数多くの作・編曲、アーティストプロデュースを担当。2001年、町田でライブハウス開業と同時に新レーベルやラジオ番組制作を開始。2017年には福生市にライブバーをオープンするも3年後に火災で全焼。2022年、実家のある浪江町に移住し、ともに音楽や番組をつくってきた古屋かおりさんと入籍。

※所属や内容は取材当時のものです。
文:中川雅美(良文工房) 写真:五十嵐秋音