移住者インタビュー

移住、そして就職。兵庫の経営者が「最高」と語る浪江町の暮らし

2023年3月16日

 福島県双葉郡浪江町に2020年、兵庫県から一家で移住してきた舟ヶ崎晶功ふながさきあきのりさん。生まれ育った兵庫県で会社を経営していた舟ヶ崎さんは、家族のため、そして自身が理想とするライフスタイルを実現するため、それまでゆかりのなかった浪江町へと移住しました。 

「兵庫を離れることに未練はありませんでした。今はとても充実しています」と笑顔で話す舟ヶ崎さん。浪江町に移り住むまでの経緯と現在の暮らし、仕事についてお話を伺いました。 

出張の滞在期間中に、浜通りの家を購入 

笑顔で移住当時を振り返る舟ヶ崎さん 

東日本大震災と原発事故によって全町避難を経験した浪江町。2017年3月には一部地域の避難が解除されて住民の帰還が始まり、まちは少しずつかつての活気を取り戻しています。 

「浪江町なら、理想の生活が送れるかもしれない」 

兵庫県尼崎市で会社経営をしていた舟ヶ崎さんがそう感じたのは、2019年、福島県の浜通りへ出張に来ていた時だったといいます。かねてから「いつかは落ち着いたまちでのんびりと暮らしたいね」と、将来について妻と語り合っていたこと、当時中学生だった娘さんが不登校になっていて、環境を変えたいと思っていたことが重なって、移住という発想に結びついたのです。 

出張中、浪江町にも学校があると知った舟ヶ崎さんは2018年に開校した「なみえ創成小学校・中学校」へ直接足を運び、詳しい話を聞くことに。同校では小学1年生から中学3年生までが同じ校舎で学んでおり、2019年当時の全校生徒数は20人程度でした。 

娘さんの中学校卒業式での家族ショット

舟ヶ崎さんが学校に娘さんのことを相談すると、「娘さんと同じ学年の生徒は1名ですが、生徒数が少ない分、先生とマンツーマンで勉強できます。娘さんのペースに合わせた生活が送れますよ」という答えが返ってきました。 

その言葉で移住の決意を固めた舟ヶ崎さんは、半年の出張期間中に家を探して購入。そこから住居を移すまでの期間は、2ヶ月ほどだったそうです。 

舟ヶ崎さんは母、妻、子ども4人の7人家族。突然の移住の話に対して家族から反対意見が出ることはなく、また、娘さんも「新しい学校でなら頑張れるかも」と言ってくれたことから計画は順調に進み、一家は2020年2月に浪江町に移り住みました。 

アウトドアレジャーを楽しみ、夜の静けさを味わう「最高の環境」 

浪江町の請戸漁港で釣りを楽しんでいる舟ヶ崎さん 

舟ヶ崎さんが浪江町を移住先に選んだ決め手は「人の少なさ」でした。娘さんが落ち着いて暮らし、学ぶことのできる環境をもっとも重視したといいます。移住から3年経った今、娘さんは無事に中学校を卒業して、高校に通っています。 

休日は家族で買い物に出掛けたり、キャンプやスノーボードといったアウトドアレジャーを楽しんだり。舟ヶ崎さんもバイクでツーリングに行くなど、アクティブに過ごしています。 

「以前は、窓を開けると隣の家の壁に手が届くような場所に住んでいました。その頃に比べると、今の環境は最高ですね」 

落ち着いた環境でありながら、近所にはスーパーもコンビニもあり、駅も徒歩圏内。日常生活に支障はないといいます。 

「都会に住んでいると、必要もないのに、ちょこちょこ買い物に出掛けたりするんですよね。繁華街が近いために、以前は時間を無駄使いしてたような気がします。浪江に来てからそれがなくなって、効率よく時間を使えるようになりました」 

「いずれは静かなところで暮らしたい」と語っていた妻も、夜の静けさや家の中にいながら外の風を感じられる暮らしがとてもうれしいと話しているそうです。 

充実した移住定住支援制度を活用 

勤務する東北工業建設株式会社の前にて 

浪江町では移住後の住まいに関する支援金の交付や子ども医療費助成など、さまざまな移住定住支援制度を実施しています。家探しで訪れた不動産会社でたまたま移住定住支援制度について聞いたという舟ヶ崎さんは、「支援が手厚く、すごいと思いましたし、いくつか活用することができたので助かりました」と振り返ります。続けて、「こうした制度があることが、移住の第一歩になることもあります。まずは自分がどんな制度を利用できるのか、行政の窓口に問い合わせてみるといいと思います」と、経験者の立場からアドバイスしてくれました。 

建設現場をチェックする舟ヶ崎さん 

移住後、浪江町に本社を置く東北工業建設株式会社に勤めることになった舟ヶ崎さん。現在は主に、建築と土木の施工管理を担当しています。 

舟ヶ崎さんは10代の頃から建築設備の会社で給排水の配管工事などに従事し、その後は独立して起業。経営者としても順調にキャリアを築いていました。 

「赤字を出すこともなかったし、妻や息子は私の会社で働いていて、従業員もいました。経営上の問題は何もなかったけれど、移住に対して迷いや葛藤はありませんでしたね。もともと、新しいことにチャレンジするのが好きな性格なので」 

一度きりの人生なのだから、「やりたい」と思ったことにはチャレンジしたいと語る舟ヶ崎さん。どうせ新しい土地で新しい生活を始めるのだから新しい仕事をしたいと、移住の準備と並行して就職活動を進めました。 

「浪江町には知人がいなかったので、就職先を紹介してもらう伝手(つて)がなかった」という舟ヶ崎さんは、インターネットをフル活用。求人サイトの中から、希望に合った企業を探し出したといいます。 

舟ヶ崎さんが経営する会社で事務職に就いていた妻も、移住後は浪江町の別の建築会社に就職。以前の経験とスキルを生かして、事務の仕事をしています。舟ヶ崎さんは自身の経験を通して、「浪江町には、特にものづくり・まちづくり関連の求人が多いですね。建築や建設系の業種であれば、かなり選べる仕事の選択肢は多いのでは?」と話してくれました。 

まちが変わっていく様子が、目で見てわかる 

東北工業建設の同僚はもともと浪江町で暮らしていて、今は中通りから通う社員が多いそう 

前職のスキルを生かせる一方、「新しい職場で新しいことを吸収できるのが楽しい」と語る舟ヶ崎さんに、今後の暮らしについて伺いました。 

「プライベートでは、アクティブに過ごせていることが一番ですし、この先も変わらず楽しみながら暮らしていきたいですね。仕事では、はやく出世したいなと思います(笑)」 

兵庫県から移住してきて3年。浪江のまちも、どんどん変化してきています。舟ヶ崎さんは、それを目の当たりにしてきました。 

「移住してきた3年前は、夜になると道には人も車も通らないような状態でした。でも少しずつ、新しいお店ができて、人の流れができてきています。まちが変わろうとしているのが、目で見てわかるんです。浪江町は、これからますます栄えていくだろうという気配を、心から感じます」

■東北工業建設株式会社の求人情報 
https://arwrk.net/recruit/tohokukogyo-k

取材・文:岩崎 尚美 撮影:中村 幸稚

舟ヶ崎晶功(ふながさき あきのり) さん

兵庫県出身。17歳で給排水の配管工事を請け負う会社に入社し、10年後に独立。16年間会社経営に携わる。2019年に福島県の浜通りへ出張したのをきっかけに浪江町を知り、興味を持つ。家族に「好奇心の塊」と呼ばれるほど、新しいことにチャレンジすることが好きな性格も相まって、出張中に家の契約を済ませ、その後、2ヶ月ほどで兵庫から浪江町へ移住。浪江町に本社を置く東北工業建設株式会社に勤務。