地元の福島を再解釈したい。飯舘村の起業家に聞く、不確かな時代をどう生きるか
今回お話を伺ったのは、福島県の北東部にある「飯舘村(いいたてむら)」のIターン起業家、松本奈々(まつもと・なな)さんです。
松本さんは、飯舘村での地域おこし協力隊を3年経験したのち、2021年「合同会社MARBLiNG(マーブリング)」を設立。
村内の空き施設利活用プロデュース事業をメインの活動に据え、同年11月に震災後空き家となっていた「コメリ飯舘店」を利活用し「環境づくりの秘密基地 図図倉庫(ズットソーコ)」をオープンしました。研究者やアーティスト、地域再生のための活動をおこなうNPO法人の人たちが地域の人たちと関わりを持ちながら、「これからの人と自然の共存のあり方」や「これからの地域コミュニティのあり方」を考え実験していく場として活用されています。
震災後の翌月に東京のIT企業に就職した松本さんですが、なぜまた故郷の福島県に戻り、これからの環境を考える場として「飯舘村」を選んだのでしょうか。移住のきっかけや「MARBLiNG」の活動に込める想い、そして松本さんがこれから挑戦したいことについて伺いました。
松本奈々(まつもと・なな)さん
福島県福島市出身。大学時代、復興支援活動を通じて飯舘村との関わりがスタート。卒業後、東京都内のIT企業でシステムエンジニアを経験し、2019年4月に飯舘村地域おこし協力隊に着任。2021年に矢野淳とともに「合同会社MARBLiNG」を設立し、村内の空き施設利活用プロデュース事業をメインに活動中。2022年11月に「環境づくり秘密基地 図図倉庫(ズットソーコ)」をオープン。
自然豊かな農山村「飯舘村」
松本さんが暮らすのは、阿武隈高原にある「飯舘村」。総面積の約75%を山林が占め、震災が起きる前年に「日本で最も美しい村」連合にも加盟した自然豊かな村です。
年平均気温は10°C前後、高原地帯独特の冷涼な気候が特徴で、冷害に強い畜産や、高冷地の条件をいかした高原野菜、トルコギキョウを始めとする花き、どぶろくなどが特産です。
かつては約6,500人の住民が暮らしていた飯舘村ですが、2011年4月22日に放射線量の影響により村全域が計画的避難区域に。2017年3月に飯舘村の南部にある長泥地区を除き、ようやく避難指示が解除されました。
2022年12月時点での帰還者数は震災前の2割に満たない一方、2020年から移住者が増え始め、その数は現在約100世帯にものぼります。農山村として栄えた飯舘村にある昔ながらの知恵や伝統を糧に、農的暮らしをはじめる移住者が増えてきているそうです。
「最近は同世代の移住者も増えていて、私にとってすごく住みやすい場所なんです。」
そう笑顔で話しはじめてくれた松本さん。
飯舘村に関わる若者が増える背景の一つには、移住者や二拠点生活を送る若者同士の交流の場となる「図図倉庫」の存在があります。オープン前に手伝ってくれた人が飯舘村への移住を決断したり、飯舘村の協力隊が「図図倉庫」内のカフェスタンドに立つようになったり。「図図倉庫」という場所に思い入れを抱き、足を運んでくれる仲間が増えてきているそうです。
「福島という場所を再解釈したかった」
高校時代までご実家の福島市で育った松本さんは、震災後の翌月、大学入学のために上京します。その後、システムエンジニアとして東京のIT企業に就職。3年ほど働いたのち、働き方を見直すタイミングが訪れます。
「もともと地域おこしに興味があったわけではなくて。そもそも『早く窮屈な田舎を離れたい!』くらいの気持ちで上京しました。東京の暮らしもそれなりに楽しんでいて。ただ、このままずっとSEを続けていく未来は見えないなあと漠然と感じ始めて、先のことはわからないけど、ひとまず退職を決めたんです」
その後、松本さんは「これまでやってみたかったけど先延ばしにしてきたこと」を潰していくつもりで、モラトリアム期を過ごします。その一つが、福島県南相馬市でのファームステイ体験でした。
「農村に根づく昔ながらの知恵をいかしながら、新しい農業にチャレンジする若手農家さんの姿にすごく感銘を受けました。『田舎=古い』といった偏見が崩れていく感覚があって。農村の知恵や魅力をもっと掘り起こしていきたいと思うようになりました」
ファームステイ中に出会った人たちに求職中であることを話すと、飯舘村で地域おこし協力隊の募集がはじまったことを松本さんに教えてくれたのだとか。
募集について役場に詳しく話を聞いてみると、ミッションが明確に決まっているわけではなく、自分が興味のあることやこれまでの経験をいかしてできることを提案し、採用されればトライできるという内容でした。働く場所にとらわれず、週5日働かなくていい。フリーランスのような自由な条件に惹かれ、協力隊に応募することを決意します。
「福島12市町村は特に復興の使命感を持って移住する方もいると思うのですが、私はそうではありません。3年間生活が保障された状態で、提案が通れば自分がやりたいことに挑戦できる。『おもしろそう!』って気持ちに突き動かされた部分が大きかったと思います。
協力隊の3年間ですっかり飯舘村の生活にも馴染んだし、友人と一緒に会社をつくったことで移住者同士のコミュニティも生まれていって。ここなら安心して暮らしていけるなと思えたから、任期終了後も飯舘村に定住を決めたんです」
ファームステイ体験から、協力隊着任、飯舘村で起業というステップを進み現在にたどり着いた松本さんの原動力には「やってみたい」という純粋な好奇心と、飯舘村には仲間がいるという安心感があったようです。
その一方で、東京の会社を辞めた背景には、震災の影響も少なからずあったのではないかと松本さんは振り返ります。
「上京した当初は、福島との温度感の違いに驚きました。福島ではまだ避難生活されている方や家を片付けることで必死な方がたくさんいるのに、東京ではすでに反原発デモが始まったりしていて。東京のスピードに気持ちが追いつかない状態でした。
だからといって、自分は福島代表ではないし、どんなアイデンティティでこの状況を受け入れたらいいんだろうって。一度離れてみたからこそ、地元の福島を自分なりに再解釈できるかもしれないという気持ちも、帰ってきた動機の一つにあったような気がしています」
田舎と都会、過去と未来の交差点「図図倉庫」
福島を自分なりに再解釈したいーー。
この気持ちは松本さんが設立した「MARBLiNG」のビジョンや活動内容に引き継がれていきます。社名の由来となった「マーブリング」とは、色と色が混じり合ったマーブル模様のまま絵をつくり上げていく絵画技法のこと。色と色を完全に混ぜて1色にしてしまうのではなく、いろんな色がその色らしさを残したまま共存させる描き方です。
「MARBLiNG」は、人と人、人と自然、そして都心と田舎の境界線をマーブル模様のようにゆるやかに超えていく存在でありたい。社名にはそんな願いが込められています。
「田舎といえば「自然豊か」や「のんびりした暮らし」といったイメージを浮かべる方が多いと思います。都心の未来はSF映画で散々描かれてきたけれど、田舎の未来がどんなものかを描いたものってパッと浮かばないと思うんです。「故郷」という言葉があるように、田舎はどこか時が止まっているノスタルジックなイメージがついてまわります。
でも、実際に田舎に住んでみると、「のんびりした暮らし」と言えるものではないんですよ。私がファームステイをした農家さんのように田舎で最先端のことに取り組む人たちもいるし、都会と同じような悩みを抱える人たちもいます。
本来の田舎の姿を都会に住む人たちにも知ってもらいたいし、田舎にだって田舎なりの未来を描けることを「MARBLiNG」の活動を通じて伝えていきたいと思っています」
「MARBLiNG」が目指す「田舎の未来」は、単純な都市化ではなく、その土地に根づいた知恵や文化をいかした「田舎ならではの最先端」というあり方です。
例えば、「図図倉庫」のコワーキングスペース兼「MARBLiNG」のオフィスでは、稲を収穫し脱穀した後に大量に残ってしまう籾殻(もみがら)を袋に詰めて断熱材として活用しています。
他にも、土壌改良材として再活用する方法もあります。地面に立てた煙突に籾殻を入れ、火につけ炭にする「燻炭処理」という処理をし、そこで発生した煙を冷やすことで「もみ酢液」という土壌改良材をつくることができます。家庭菜園や観葉植物用など、お家で気軽に使えるように「MARBLiNG」が商品化し、「図図倉庫」で販売しています。
籾殻は他にも、黒いものは太陽光を吸収するため積もった雪を溶かす融雪剤になったり、脱臭剤としても使うことができます。それでもなお余ってしまった籾殻は、燃料にしたり土に返す方法はないか実験を進めている最中なのだそう。
籾殻の例のように、飯舘村の農家さんが昔から当たり前にやってきたことが、都会の人たちから見ると「新しい農業」や「サステナビリティ」の最新事例として映ります。こういった「田舎ならではの最先端」を発信し、田舎のイメージを変えていくこと。それが「MARBLiNG」の目指すものであり、松本さん自身の想いでもあった、福島を再解釈する取り組みでもあるのです。
汚染された土地の再生を目指して。最先端事例を飯舘村でつくる意味
「図図倉庫」は、アムステルダムのサーキュラーエコノミー実験区といわれる「De Ceuvel(デ・クーベル)」のような場を目標につくられた場所なのだそう。もともと地域一帯が造船所だったデ・クーベルは、船から流れ出た油等で土壌が汚染されてしまった地域です。そこで建築家や植物学者、科学者など専門家がチームを組み、土地から毒素を抜く植物を植える取り組みや人間の排泄物から栄養価を最大限に引き出す処理方法の実験などがおこなわれています。ゼロから生態系をつくり出すサーキュラーエコノミーの最新事例として注目を集めています。
「デ・クーベルは造船所による汚染でしたが、一方、飯舘村は放射能被害で一度は誰も住めなくなった場所です。放射能による環境汚染は世界でも稀に見る事例ですが、原子力発電所の立地地域は飯舘村のようになる危険性を秘めています。
もちろん原発事故や環境汚染はないに越したことはありません。ただ、汚染された土地をただ捨ててしまうだけでは、人が生活できる場所がどんどん減ってしまう一方です。一度ゼロになった飯舘村の生態系が再生していくことは、『万が一汚染されてしまっても、その土地や風土を棄てる以外の選択肢もあるんだ』という強いメッセージになる。飯舘村で最新事例を生み出すからこそ、伝わるものがあるんじゃないかなと」
飯舘村だからこそ発信できる最先端があるし、説得力がある。「図図倉庫」を飯舘村でやることには深い意味があったのです。しかし、松本さんは「図図倉庫は、見る人によって見え方が変わるカオスな場所であってほしい」と補足してくれました。
「『サステナブルやサーキュラーエコノミーの最先端』として、企業の研修や取材など、いろんな人に飯舘村に足を運んでもらいたいと思っています。
ただ、地元の人たちにとっては、買い物をしにくる場所だったり、自分がつくった商品が売られている場所だったり、廃棄するにはなんだかもったいないなと感じるものを届けにくる場所だったり、そのくらい『図図倉庫』は身近な場所であってほしいとも思っているんです。
外からくる人にとっては最先端の実験場に見えたとしても、地域の人にとってはただコーヒー飲みに来る場所くらいでいい。人によって見え方が変わるのが『図図倉庫』のおもしろいところだと思っています」
そんな「図図倉庫」のあり方は、「MARBLiNG」という会社名に通ずるものがあります。いろんな色を混ぜ合わせて一つにするのではなく、カオスはカオスのままに。それが「MARBLiNG」が描く田舎の未来図のようです。
自分の足で立つ飯舘村での暮らし
松本さんが東京から飯舘村にやって来て約3年。改めて福島での暮らしはどんなものなのでしょうか?
「東京の便利な暮らしにすっかり慣れていたので、正直最初は不安でいっぱいでした。東京だと欲しいものはコンビニやネットですぐ手に入るけど、こっちはスーパーまで車で30分くらいかかるし、冷蔵庫が空っぽなときに、もし車が故障したら食べ物にありつくことさえできないかもしれない。
食べ物がどのくらい必要で、万が一何かがあったときは誰に連絡したらいいか、生きるために考えておかなきゃいけないことがたくさんあって。『いま私、生きてる!』という感覚が強くなりますね(笑)」
田舎の不便さを目の当たりにする一方で、東京の暮らしが当たり前ではないこと、むしろ東京の暮らしのほうが不安定であることを実感するようになったのだとか。飯舘村では、友人に農家がいればたくさんのお裾分けをしてくれるし、土地があれば自分で作物を育てることができます。しかし、東京での暮らしは自分の土地がないことはもちろん、隣に住む人の顔さえ知らないこともざらです。
「こっちの暮らしに慣れてしまうと、むしろ東京で大きな災害が起きたらどうするんだろうって。福島で暮らしていると『何かあったときに自分はどう乗り越えるか』『周りとどう助け合えるか』を考えるようになるんです」
地域の人同士、手を取り合って生きていく。関係性を築いておくことこそが、いざというときのセーフティーネットになります。人と人との距離の近さが生活する上での強みになる一方で、田舎特有のちょっとした戸惑いについても話してくれました。
「どの地域でもいわれることだとは思いますが、やっぱり田舎特有の世界観みたいなものには少しだけ戸惑いました。例えば、空き家を活用させてもらうために、誰に交渉すれば話が通りやすいかみたいなものは、ある程度この地域に住んでみないと見えてこないですよね。
『この人に言えば早いよ』って人から教えてもらうことで、『あ、この件に関して発言権が強いのはこの人なんだ』と見えてきたり。役割よりも関係性重視なところがあるので最初は戸惑いましたけど、おもしろいなって思えるくらいには成長したと思います(笑)」
人生、いつ何が起きるかわからない。だからこそ“ノリ良く”挑戦する
飯舘村で地に足のついた暮らしを送る松本さんですが、これからチャレンジしたいことを伺うと、少し意外な答えが返ってきました。
「飯舘村はすごく住みやすい場所なので拠点の一つにしつつ、多拠点生活のように、いろんなところで暮らしてみたいと思っています。一カ所にとどまると考えが偏ってしまって、かつての私が福島の魅力に気づけなかったように、その土地が持つ可能性にアンテナが反応しなくなってしまう気がするんですよね。
だから、『MARBLiNG』としても、飯舘村の『図図倉庫』がモデルとなって、ゆくゆくは他の地域や海外とも縁をつないでいけたらいいなと思っているんです」
「飯舘村に移住して起業もしたけれど、飯舘村に骨を埋めるつもりで来たわけじゃない」と松本さんは笑って話してくれました。
「福島に帰還した人たちは、『自分はこの地で生きていくんだ』と強い意志を持っている人たちばかりです。だからこそ、移住者やここで起業する若者をヒーロー扱いしてしまうこともあると思います。
でも、私としてはそういった周りの視線はあまり気にせずに、別に大きなことでなくても、自分がやりたいことにチャレンジすればいいんじゃないかなって。住む場所を決めるのはその人の自由ですから、福島だからといって、何か重たいものを背負う必要はないと思っています」
自分の興味関心分野を研究するフィールドとして飯舘村に長年通いつづける人がいたり、自分の葡萄畑の様子を見に週末だけ来る人など、その関わり方は十人十色。「自分がしたいからする」という“ノリの良さ”が松本さんが行動し続けられる理由のようです。
「震災があって、人生いつ何が起きるかわからないんだなと痛感しました。ちゃんといい大学に行って、ちゃんと就職するような安定した人生があって当たり前と昔は思っていたのですが、災害が起きて、その安定が幻だったことに気づいてしまったんです。それならいっそ、たとえ失敗したとしても自分が挑戦したいことに素直にチャレンジする人生がいいなって。
そういう“ノリ”でするチャレンジは大歓迎ですし、友だちづくりや、やりたいことの実験の場として、『図図倉庫』を活用してもらえたらうれしいなって思っています。『図図倉庫』でできることは無限大ですし、私がやりたいけどやれていないことも大量にあるので(笑)、気になる方は、まずは気軽に遊びに来てほしいです」
インタビュー中、松本さんは「それくらいの“ノリ”で」という言葉をたくさん使っていました。福島は多くの使命感をもって訪れた人たちの手によって復興を遂げてきたことも事実ですが、自分の好きなことを「やってみようくらいの“ノリ”で」来たことが、結果として継続性にもつながると教えてくれました。
そんな松本さんや「図図倉庫」に集まってくる人たちがどんなマーブル模様の未来をつくりだしていくのか、そして、取材した私たちとこの記事を読んでくれた方がその中にどんな色を加えていくのか。
松本さんや他の移住者の活動をより詳しく知りたい方は、ぜひまずは「図図倉庫」に足を運んでみてください。原発事故で一度は人が住めなくなってしまった場所で新しい未来図をつくる松本さんや、熱い思いを持った福島の人たちとの交流は、「これからの不確かな時代を自分はどう生きていくか」、自分なりの答えを探す素晴らしい機会になることでしょう。
松本奈々さんの活動をもっと知りたい方は、こちらをご覧ください。
●「合同会社MARBLiNG」のnote
https://note.com/marbling_inc/?fbclid=IwAR0eIfOqyF42vvRnUQsWyHETgunAiG-r2shu7urSx_Ux2QYtBqkbFSqoAyI
●「図図倉庫」の営業状況はInstagram・Facebookからのご確認ください。
https://www.instagram.com/zuttosoko/
https://www.facebook.com/marbling.inc
※内容は取材当時のものです。
取材・文:佐藤伶 撮影:中村幸稚 編集:増村江利子
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