移住者インタビュー

子供たちが当たり前にエンターテインメントに触れる文化を南相馬でつくりたい

2021年11月30日
南相馬市
  • チャレンジする人
  • 子育て

  • 移住を決めたきっかけ
    被災地の人々が音楽家としての自分の役割に気付かせてくれた
  • これからの目標
    南相馬からエンターテインメントに触れる子どもたちを増やしたい
  • 移住を希望している人へのメッセージ
    人があったかい南相馬にぜひ住んで。移住者を受け止めてくれる地域性があります

シンガー・ソングライターとして活動する一方、人気アーティストに多くの楽曲を提供するなど、音楽シーンの第一線で活躍していた狩野菜穂さん。お子さんが東京・杉並区で所属していた少年野球チームが南相馬市のチームと交流があったことから震災後に南相馬に通うようになりました。2013年に南相馬市と杉並区の子どもたちが合同でミュージカルを作る「トモダチプロジェクト」を立ち上げ活動を続ける中、南相馬の魅力に気づき、2016年に南相馬市への移住を決断しました。

南相馬市で生活するようになってから音楽との向き合い方が変化したという狩野さん。現在はスタジオを兼ねた音楽事務所を立ち上げ、本格的に子どもたちにダンスと歌を教える準備を進めています。そんな狩野さんに、南相馬市での生活や移住を決めた頃の思いを聞きました。

「歌は心の栓を抜く」。音楽家としての役割に気づかせてくれた

――南相馬市とのご縁のきっかけを教えてください。

息子が所属していた杉並区の少年野球の選抜チームが毎年南相馬市のチームと交流大会をしていたのがそもそものきっかけです。東日本大震災直後、支援物資として南相馬市の野球チームに野球道具を贈ろうということになったのですが、私が間違えて1本3万円もする大人用のバッドを4本も送ってしまいました。大人用のバットを返していただき子ども用のバッドをあらためて送るため、南相馬の少年野球チームの事務局だった送り先のパルティ―ルというパン屋さんに「取りに行きます」と伝えたのですが、当時はボランティアも手続きをしないと南相馬には入れない状況で、伺うことができませんでした。

結局バットは送り返してもらったのですが、お手間をおかけしてしまったことが申し訳なくて、何かできることはないかとパルティ―ルさんに相談したところ、「お店の歌を作って欲しい」とご要望をいただき、オリジナルの曲を作りました。そしたらすごく喜んでくださって、「こういう歌が欲しかったんだよ、ありがとう」と泣きながら電話をもらいました。今でも店ではその曲が流れています。

――その後、初めて南相馬に行かれたのはいつ頃でしたか?

震災の年の夏前ごろ、パン屋さんから「あなたの歌で子どもたちがぴょんぴょん踊っているよ」と電話をもらいました。「じゃあライブしに行きます」と言ったら受け入れの準備を整えてくださって、11月に初めて南相馬の地を踏みました。パン屋さんは「杉並の野球のお母さんが来てパンの歌を歌うらしい」と呼び掛けてくれて、私のことを一切知らない人たちが70人も来てくれました。旅館の宴会場で大宴会をして、「歌うまいね」なんて言われながら、あれもこれもとリクエストされては歌いました。最後はみんなでステージに上がり、パンの歌を歌いながら踊りました。

終わった後、ある女性が来て泣きながら「ありがとね、やっと泣けた」と言ってくださいました。そのとき、一瞬で鳥肌が立って、たまらない気持ちになりました。人はあまりにも辛い状況に直面すると泣いたり笑ったり喜んだりという感情を全部閉じてしまうんですね。でも、歌はその栓を抜くことができる。自分が音楽家として歌を作る役割に気づいたように思えました。

――その経験が狩野さんを南相馬から離れられなくしたのですね。

はい。帰ってからもすぐに旅館のオーナーから電話がかかってきて、「来月は俺の誕生日だから歌いに来い」と呼んでいただいたり、その次には市役所からも呼んでいただいたりという感じで、気づけば毎月のように南相馬で歌うようになっていました。

大好きな場所でやりたいことをする、他には何もいらなかった

――南相馬に通っていた時期、東京での仕事はどうされていたのでしょうか。

もともとCMやアイドルの曲を書いていたのですが、南相馬に通っていたので時間がないし、流行りの歌の仕事に頭が向かなくなってしまいました。もちろん、自分の作った曲を人気アーティストが歌ってくれたり、それに合わせてお客さんがサイリウムを振ったりしているのを関係者席から見るのはとてもうれしいことですが、私が音楽家として喜びを感じる瞬間はそこではなくなってしまったんです。

そうしているうちに、所属していた事務所の社長に呼び出され、こう言われました。

「これから音楽は変わるし、子どもを育てるということがより大切な時代になる。あなたがやろうとしていることは、今一番先端にあるはず。福島で起業しなさい」

そんなふうに背中を押してもらえたことで南相馬に移住する決心がつきました。

――南相馬での生活に不安はありませんでしたか?

南相馬で自分がやりたいことをやるためなら他には何もいらないという気持ちが大きかったですね。福島で暮らす人生なんて、かつては思いもしないことでしたが、自分で描いた人生のシナリオを歩いているというよりは、何か誰かが書いたどこかにあるシナリオの上を歩いているような感覚を楽しんでいます。

南相馬は「何もないけど全部ある場所」

――どんなところに南相馬の魅力を感じますか。

一番はご飯がおいしいことですね。おすそ分けをたくさんいただいたりもします。それと、人のつながりが面白いですね。誰かの話をするとすぐ友達や親戚へとつながっていきます。人間関係が面倒になることもあるかもしれませんけれど、私はそこには入りたくても入れないので客観的に見て楽しんでいます。

「トモダチプロジェクト」で杉並から南相馬に来る小学生の中には、「何もないけど全部ある場所」と言って南相馬を気に入り、東京に帰りたくないと言う子もいます。何もないから不便という感覚より「何もないからいい」という感覚なのかもしれませんね。都会にいると何でもありすぎて、逆にいろいろいらなくなるのかな。不思議ですよね。

――これからの南相馬の生活での目標を教えてください。

今後、スタジオの環境を整えてダンスや歌を本格的に教える場所を作っていく予定です。「トモダチプロジェクト」はボランティアのような形でやってきましたが、事業として展開し、子供たちが当たり前にエンターテインメントに触れる文化を南相馬につくりたい。今は息子や東京から移住して私の活動を手伝ってくれるスタッフたちと奮闘しています。

――移住を考えている方にメッセージをお願いします。

人があったかい町なのでぜひ住んでいただきたいです! 私の周りの人たちは南相馬に来るとなぜか故郷に帰ってきたような感覚を抱くと言います。昔、飢饉があった時にたくさんの移民を受け入れて耕作が広がったという歴史が南相馬にはあるそうで、そのせいか私のように県外から来た人でもあたたかく受け入れてくださいました。スタジオで音を出していて近所迷惑かなと心配しても、「何やってんだい?私にも歌教えてくれんのかい?」と声を掛けてくれる。東京では考えられないことで、びっくりしてしまいます。

ぜひ、そんな南相馬で1週間でも、数日でもいいから過ごしてみて欲しい。そして人間の当たり前の生活の中で自分を見つけてほしいと思います。そうしてここが好きになったらぜひ住んでいただきたいですし、子どもが好きな方ならうちの仕事を手伝ってもらえるととても助かります(笑)。

狩野 菜穂(かの なほ) さん

山口県出身。ビクター・エンタテインメントのFlying Dogレーベルから音楽ユニット「Taja」としてデビューし機動戦士ガンダムシリーズの主題歌、挿入歌などを手掛ける他、AAA、King&Prince、ワルキューレなどへ楽曲を提供。2013年に南相馬市と杉並区の子どもたちがミュージカルや公演を行う「南相馬&杉並トモダチプロジェクト」を設立。

トモダチプロジェクト

https://www.tomopro37nouta.com/

※内容は取材当時のものです。
文:五十嵐秋音 写真:佐久間正人