富岡町で起業。町民と移住者が繋がる場にもしていきたい。
福島県浜通り地方の中央に位置する富岡町。太平洋と阿武隈高地の間に広がる自然豊かなこの町は、東日本大震災及び原子力災害により、全町避難を経験しました。2017年の避難指示解除以降、食品スーパーやドラッグストアなどが入る複合商業施設をオープンし、町内の学校を再開するなどゼロからまちづくりに取り組んでいます。
その町に、東京から4年前にUターンし、現在は、地域おこし協力隊として活動する遠藤真耶さんがいます。この日お会いした場所は、夜ノ森駅前の待合室。遠藤さんが高校生の時、平日は毎日利用していた思い出の地でもあります。「上京するとき、二度と戻ってくるもんかって誓って出て行ったんです」と冗談めかしながら当時の気持ちを話す遠藤さん。
今回は、「戻ってこない」と決めていた状況から一転してUターンした理由や地域おこし協力隊着任への経緯、これからの富岡町での暮らしについて伺いました。
遠藤さんは、生まれてから高校を卒業するまで富岡町に住んでいた生粋の富岡っ子。地域おこし協力隊には2020年5月から着任しており、町の情報発信を目的としたインタビューや動画制作を担っています。
インタビュー取材では、移住定住ポータルサイトで町民や移住者への取材を行い、執筆・発信を行い、動画制作では、遠藤さん自身の生活をベースに、町内移住までの歩みや町の現状、暮らしについてリアルな視点で制作をし、配信しています。
新しい富岡町を知ってもらうために情報発信に尽力している遠藤さん。学生時代は、うわさがすぐに広まってしまう田舎のコミュニティの強さに息苦しさを感じていたそうです。
「どこで誰が聞いてるかわからないみたいな状況だったり、母親たちがなぜか私の同級生の話を知っていたり。そういうのが苦手で町を離れました。でも結局は戻ってきちゃった」と幸せそうに笑う遠藤さん。
ずっと東京で暮らしていようと思っていた
高校卒業後に上京した遠藤さんは、専門学校と大学への進学を経て、2008年に出版社へ就職。美容師向けの業界誌を担当していました。編集のノウハウを教えてくれる先輩がいないなど、厳しい環境下で取材や撮影をこなす日々を送っていた最中、故郷への気持ちをゆるがす東日本大震災が起きました。
「震災のときは東京にいました。『地元には帰らない』と思っていたんですけど、やっぱり震災がきっかけで故郷への思いに気付かされましたね。『自分にもあったんだ?!』って驚きもありましたけど、まさか、(故郷に)入れなくなるだなんて思いもしなかったですしね」。
それから編集長や雑誌のリニューアルなどの経験を経た後、2017年にフリーランスへ転身。震災時の思いをどこかに抱きながらも、東京で骨を埋めるつもりで働いていたとき、現在の旦那さんと出会い、翌年に結婚。そして、いわき市へ移住とかなり急な展開で戻ってくることになったそうです。
「私は『ずっと独身でいよう』『ずっと東京で暮らしていよう』と思っていたんです。でもある日、高校の後輩から紹介されて出会った人が、いわき在住の人だったんです。何の気なしに一度会ったら、その瞬間にこの人と結婚するってなぜか思って。本当に結婚しましたね。」
そんな出会いから結婚までを「本当にあっという間で不思議なご縁。私にとっては、町に呼び戻された感じがするんですよ」と話す遠藤さん。
とはいいながらも、戻ることに多少なりとも躊躇はあったといいます。ただ、フリーランスへの転身で、全ての仕事が自宅で完結できていたこともあり、東京にいなくても良いだろうなとも思えたタイミングの良さも後押しになったそうです。
「本当にあんまり計画性がないんですけど、人生なんとかなるで生きているんです。一度きりの人生、一回くらい結婚してもいいかなって。だめだったら東京に戻ればいいかなって思って来ました。」
しかしこの時点では、地域おこし協力隊のことはまだ考えてもいなかったそう。行動を起こす転機となったのは、2019年の台風19号。自宅近くの川が氾濫し、周辺一帯は浸水。自家用車は廃車となり、恐ろしい経験をした遠藤さん。そのとき、「なにが人生に起きるかわからない。やりたいことを今のうちにやっておかなきゃ」という気持ちが沸き起こり、震災以降、どこか心の隅にあった「富岡町に関わりたい」という思いがはっきりとした意思として芽生えました。
そして、町役場へ相談した後、地域おこし協力隊へ着任。現在はいわき市から富岡町へ月に数回ほど通いながら、出版業の仕事を活かした町の情報発信を担っています。
編集の仕事をしていきたい
2023年3月に控える卒業に向けて、着々と富岡町での起業を準備している遠藤さん。同時にいわき市から富岡町の新居へ移る予定だそうです。今夏から着工する自宅兼事務所の予定地は、小学生まで暮らしていた富岡町の祖父母の自宅跡地。富岡町の中心から少し離れ、田舎の風景が広がる山側にあります。この場所は、「自分たちの好きなように、周りの目を気にせずに暮らして生きたい」と旦那さんと話して決めたと話します。
事務所には、編集プロダクションを立ち上げる予定の遠藤さん。地域のライターやデザイナーなどクリエイターと一緒に仕事をしていきたいと話します。
「東京から離れてこっちで仕事してみると、今までとはやり方が違ったり、戸惑うこともあります。フリーランスのときは、起業に対して『なんてリスキーな!』って思っていたけど、会社として私が間に入って、そういった状況を円滑に整えていきたいと思うようになりました」と富岡町の仕事をする内に徐々に考えが変わっていったといいます。
「あと、やっぱり編集の仕事をしていきたいんですよね。『あの人とあの人を合わせればこういうことができる!』とか考えるほうが好きなので、そういうディレクションという立場になりたい。東京でお世話になった方たちともまた一緒に仕事ができるようになると嬉しいです。」
移住者の人を町に繋げられるコミュニティの場にもしていく
休日には、耕作放棄地の場所で畑を耕して、近所の人に育てた野菜を使った料理を振る舞ったりして過ごしたいといいます。
「人目を気にせず暮らしたいとも思っているんですけど、たまには集まってコミュニティの場にもしていきたいんです。山側は代々暮らしてきた年配の町民の方が多いので、味噌作りとか受け継いできたものを教えてもらいたいし、地域の方たちと移住者をを繋げられる場にしたいです。」
元々は町特有の結びつきが苦手で町を出た遠藤さんですが、田舎と都会のどちらの暮らしも経験したからこそ、今はコミュニティの必要性や良し悪しを理解している遠藤さん。
「ゼロからスタートしている地域だから新しいことを町全体で応援してくれるムードがあると思います。でも、やっぱり最初は『誰だあれ』って見られてしまうこともあると思うんですよね。」
よそ者として見られてしまうことに、「最初は意外と東京より気を張ることもあるかも」と話します。
「でもこの町には、20〜30代の先輩移住者もいますし、何かにチャレンジしたい人が多いから、仲間が見つかると思います。ライバルの飲食店や企業が少ないので、都会に比べたら事業を立ち上げるハードルは低いですし、チャレンジしたい人には良い町。町もバックアップしてくれるし、みんな応援してくれます。お試し住宅とかもあるし、一回来て、富岡町を実際に体感してもらうのがいいと思う」と最後に、先輩移住者としてアドバイスをくれました。
遠藤 真耶(えんどう まや) さん
フリーランス編集者兼ライター。美容業界誌を発行している東京の出版社で約8年勤務。編集長として2誌のリニューアルを敢行。その後、2017年に独立し、フリーランスの編集者兼ライターに。結婚を機に、猫と共に故郷福島県へUターン。2020年より故郷・富岡町の起業型地域おこし協力隊に着任。現在、富岡町内で編集プロダクションの設立を目指し活動中。
※内容は取材当時のものです。
取材・文:草野 菜央 撮影:中村 幸稚