移住者インタビュー

東北を歩き、移住を決意。福島を訪れるきっかけのひとつになりたい。

2022年6月29日
楢葉町
  • 単身
  • 移住支援金

「地方へ移住するなんて今まで考えたこともなかったんです」

こう話すのは、2021年9月に福島県楢葉町へIターンをした中島悠二さん。長年、新宿近郊の都心で暮らしてきた写真家です。

この日、取材のためにご自宅へ向かうと、家の周りはのどかな畑の風景が。「都会で暮らしてきた人にとって、不自由はないだろうか?」と少し心配になりますが、中島さんは「不便さは感じないし、楽しいですよ」と穏やかに笑います。

「東京が好き」という中島さんが、福島沿岸部にある小さな町へ移住しようと決意するまでには、どのようなきっかけや心の変化があったのでしょうか。静かに暮らす居心地のよい部屋で、これまでのこと、移住して感じる変化、これから楢葉町でしていきたいことについて伺いました。

1000キロの道のりで、東北に想いを重ねる

カメラマンとしてさまざまな風景を切り取ってきた中島さんが東北と関わるようになったきっかけは「みちのく潮風トレイル」。青森県八戸市と福島県相馬市の沿岸被災地をつなぐ全長1,025kmの長距離自然歩道です。

みちのく潮風トレイルにて中島さん撮影の写真

雄大な太平洋沿岸にそって歩く「みちのく潮風トレイル」は、海と森の恵み、土地の暮らしや歴史を感じることができる豊かな道。東日本大震災からの東北の復興を願い、復興の記憶を伝えることを目的に2012年から整備され、2019年6月に全線開通となりました。

現在では、素晴らしい景観と地域の魅力に触れられる道として、国内や海外のハイカーにも注目されています。

カメラ片手に、アメリカ・カリフォルニアの「ジョン・ミューア・トレイル」を1ヶ月かけて歩いた経験を持つ中島さんは、もともと趣味でロングトレイルに親しんできたそうです。

そんな中島さんは、トレイル仲間を通じて「みちのく潮風トレイル」の存在を知ることになり、2018年からパンフレット撮影などでカメラマンとして仕事で関わるようになったといいます。

撮影のために東京と東北を行き来しながら、時間をかけて現地の自然や文化、地域の人たちと出会いを重ねていきました。

知ることで、地域への思い入れが育っていった

「みちのく潮風トレイル」の終着点は福島県相馬市。ですが、震災から10年が経ち、いよいよその先、原発で被災した浜通り沿岸にも道を伸ばそうという構想が持ち上がります。

中島さんはその計画に合わせ、はじめて福島の帰還困難区域を訪れました。

目の前に広がるフレコンバッグの黒い山々。テレビの映像で見て、知っているはずの景色でしたが、自分の目で見てみると大きなショックを受けたといいます。

「震災から10年経っても、まだまだ現在進行形の課題があることに衝撃を受けました。それと同時に、ここで起きた出来事にもっときちんと向き合いたいと思うようになりました」

被災地に関心はあっても、きちんと考えることをしてこなかったかもしれない。そうして手に取ったのが「新復興論」。いわき市在住のローカルアクティビスト・小松理虔氏による、福島の復興とその課題を問うノンフィクション本です。

中島さんは、この本を通して福島で震災後に起きた出来事を知るだけでなく、地域に関わる魅力に引き込まれたといいます。

「原発事故が起きて、この地で何があったのかを勉強していくうちに、地域への思い入れみたいなものが育っていったような気がするんですよね」

中島さんは、「もっと福島のことを知ってもらう機会をつくりたい」と、東京に住む父と叔父を連れ出し、太平洋沿岸部を案内する旅を決行。「新復興論」をガイド本にしながら、国道6号線沿いの被災地を案内して回りました。

ひととおり旅を終え、東京へ戻ったその日、ふと「移住しようかな」と頭に浮かんだそうです。

「それはもう本当に直感です。東京が好きだから、それまで地方へ移住するなんて思ってもみなかったんです。でも、コロナ禍もあって都会で暮らしていくことに息苦しさを感じていたし、福島だったら移住してもいいかなって思えたんですよね」

周りの後押しで、移住を実現

「福島に移住しようと思う」

周りの友人たちに恐る恐る告白をすると、予想以上に前向きな反応ばかり。興味を持って話を聞いてもらえたことで、背中を押してもらえたそうです。

移住に向けて現地とのつながりを作るためには、福島県沿岸の浜通りにトレイルをつくる事業のモニターツアーにカメラマンとして参加。名刺を配りながら『移住したい』と伝えると、皆『本当ですか!?』と驚いた顔をしながらも、喜んでもらえることが新鮮だったと話します。

しかし、調べてみるとアパートなどの借家はもともとの物件数が少ないため、高騰していて理想とする条件が見つかりません。そんなとき、モニターツアーで知り合った人づてに現在住む物件を紹介してもらえたのだそうです。

「物件を見てまずいいなと思ったのは、十分な広さがあることでした。ここだったら、東京の友人やいろいろな人を呼べるなって思ったんです。被災地に縁がないというだけで、訪れたことがない人ってたくさんいるんですよね。僕が被災地に出入りをしているうちに少しづつ地域に馴染んでいったように、僕をきっかけに誰かが訪れる場になれたらいいなと思い、この家に決めました」
ひと目で気に入った中島さんは、物件の契約を即決。楢葉町での暮らしをスタートさせました。

少しずつ地域と関係性を育む時間を

移住に際しては、福島県からの移住支援金を活用したそうです。中島さんは、移住支援金があったことで「時間を与えてもらえた」といいます。

「僕としては、移住をしてすぐに焦って仕事を始めるより、まずは地域との関係性を作るために時間を使いたかったんです。なので、時間を与えてもらえたことで、生活の基盤を整えられたことがありがたかったですね」

積極的に動くことが苦手という中島さんですが、役場の人に紹介をしてもらったり、商工会青年部の方と会ったりするうちに、少しずつ人とのつながりができていったそうです。

都会でのコミュニケーションと違い、地方では人に出会うとそこからどんどん誰かとつながり、広がっていく。そこに面白さを感じつつも、いまだに人との距離感は手探りだと話します。

「自己紹介が苦手なんです。自分のことをわかってもらおうと前に出過ぎて、『あぁ、しまった!』みたいなことを繰り返しています。(笑)そこはトライ&エラーをしながら、少しずつ地域に馴染んでいければいいかなと思っています」

魚を買って料理するのが最高に楽しい!

ところで、東京都心から移り住んで、生活スタイルのギャップに戸惑うことはないのだろうか?

そんな問いに「もともとフリーランスなので、時間の使い方に大きな変化はないんですよ」と穏やかに応える中島さん。
「むしろ外食をしなくなったので、暮らしが充実しているかもしれません。東京のスーパーでは魚を買うことなんてなかったけど、こっちのスーパーには新鮮な魚が並んでいるんですよ。料理本を見ながら魚の捌き方を練習したり、魚料理に挑戦する時間が最高に楽しいです」と笑います。

中島さんが捌いて料理したアジフライ

また、仕事はといえば、福島と東京を行き来しながら行っているのだそう。

東京には拠点がないため、現在は友人宅に泊まらせてもらうことが多いのだとか。そうしているうちに、東京の感覚や友人たちとの関係も変化したといいます。

「東京に行くのが新鮮になりました。すっかり地方の人間として東京に行くので、もはや観光客気分で楽しんでいます。久しぶりに会う友人とは、お酒を飲みながら地方暮らしについて話すのがすごく楽しくて、東京の友人たちとの関係も深くなったような気がしています」

この町は移住の初心者向きかもしれない

移住して9ヶ月。「移住ハイが抜けて、やっと首が座ってきた感じ」と自身を分析する中島さんですが、楢葉町は移住したい人にとって初心者向きかもしれないと教えてくれました。

「原発事故を経験したこの町は本当に特殊な場所で、いろいろな人がジャンルを問わずに行き来するし、ほかの地域に比べて移住者に対して免疫があります。準備が整うのを待っていたらなかなか踏み切れないけど、ここへ来る意味を感じることができたらジャンプしやすいんじゃないかな」

これから、福島県沿岸の被災地域にロングトレイルの道ができる計画です。中島さんは、「海外からもハイカーが訪れる魅力ある道になるはず」と目を輝かせます。

また、楢葉町では、新しく喫茶店を始めようとしたり、ゲストハウスを始めようとしたり、面白い動きをしている人が多いといいます。中島さんは、そういう人たちに関わっていくことも楽しみの一つだそうです。

「家を民泊のようにして、泊まってもらえる環境を整えられたら面白いなと思います。それから、写真を通して文化的な活動にも力を入れていきたいです。この地にいろいろな人が訪れるきっかけになれたらうれしいですね」

今後、中島さんを起点にゆっくりと新しい出会いがつながっていくかもしれません。中島さんの穏やかな笑顔に、そんな希望を感じました。

中島 悠二(なかじま ゆうじ) さん

1981年 神奈川県川崎市生まれ。写真学校を卒業後、建築の教育現場のスタッフとして5年働き、その後フリーカメラマンに。2014年 アメリカカリフォルニアのジョン・ミューア・トレイルを歩き、2018年よりみちのく潮風トレイルの撮影に参加。ウェブマガジン「TRAILS」で旅のエッセイを連載中。

※所属や内容、支援制度は取材当時のものです。最新の支援制度については各自治体のホームページをご確認いただくか移住相談窓口にお問い合わせください。
取材・文:奥村サヤ 撮影:鈴木宇宙