移住者インタビュー

コミュニティハウスで南相馬市小高区を人が集まる地方創生のロールモデルにしたい

2022年3月28日
南相馬市
  • チャレンジする人
  • 単身
  • 転職
  • 南相馬市へ移住したきっかけは?
    若者の起業を支援するプログラムに参加してできたつながりから転職したこと
  • どんな活動をしているの?
    福島県の魅力を若者に発信し、地元に関わり続けられる仕組みづくり
  • 今後の活動の予定は?
    南相馬市小高区にコミュニティハウスを開業する

「福島を変革する男」と自らを名乗る郡山市出身の大川翔さん。学生時代から福島県の魅力を発信し、若者が地元に関わり続けられる仕組みづくりを続けています。2021年10月にそれまで未知だったという浜通りの南相馬市小高区へ移住し、人と人をつなげるコミュニティハウスの開業準備を進めています。

宿泊できるコワーキングスペースとして起業や新たな活動を志す若者が集う「小高パイオニアヴィレッジ」にお邪魔して、今後のビジョンをお聞きしました。

福島の若者に地元の魅力を発信したい

――移住のきっかけを教えてください。

大学卒業後、東京の人材系ベンチャー企業に就職したのと同時に、知人の勧めで一般社団法人パイオニズムが南相馬市小高区で行っている、震災当時10代の若者の起業を支援する「NA→SAプロジェクト」に参加しています。その関わりの中でお誘いいただいた会社への転職を機に移住しました。南相馬市小高区役所から依頼を受けて、移住促進につなげるワーケーションプログラムのツアーガイドをしています。

僕は大学時代から、福島県の魅力を発信する活動を通して地元の若者が福島にもっと関わり続けられるようにしたいという思いを持ってさまざまな活動をしています。SNSなどでは「福島を変革する男」を名乗っていますが、これまで浜通りには縁がなく、自分のキャリアとしても面白くなると感じ、誘いを受けてすぐに移住を決めました。

――どんな学生時代を過ごされたんですか。

大学に進学するまで福島に対する思いは特になくて、高校時代はサッカーに打ち込んでいました。大学に入って出身地の話になると、だいたい「震災は大丈夫だったの?」とか「原発事故で避難したの?」と訊ねられるんです。当時は震災から5年が経っていて郡山市では目に見える影響は残っていなかったため「福島県=震災」という見られ方をしていることに違和感を覚えました。

――福島の魅力を伝える活動をするようになったきっかけは何だったのでしょうか。

大きく2つありました。まずは首都圏の大学生を集めて福島をめぐるツアーなどを行うNPO法人「きたまる」を立ち上げたことですね。中通りや会津地域で農業体験をしたり、廃校をイルミネーションで飾ったりするプロジェクトに関わるうちに、福島59市町村それぞれ特色があって、面白い人がたくさんいるということにすごく魅力を感じたんです。

首都圏の駅構内でマルシェをするなど福島県産品の販路拡大事業をしている父の影響も大きかったです。父の手伝いをする中で県産品をほめてもらえたり、直接「ありがとう」と言ってもらえることがすごく嬉しかった。そこから福島のことを広めることはすごく意義があるし、楽しいし、いいなと感じるようになっていきました。

そうして福島に関わるようになった時、成人式で集まった同級生から「福島では就職しない」という話題が出てきました。確かに県外に進学すれば福島と関わる機会も減るし、当然だと感じました。そういった環境を変えたいという思いが今の活動につながっています。

学生が福島で活動するプラットフォームを構築

――現在代表をしている「SFF」の活動についてお聞かせください。

学生時代に福島の人とのつながりを増やしたくて人に会いに行く中で、お聞きした話を自分だけにとどめておくのはもったいないと思いました。SFFは「Spread From Fukushima」の頭文字を取ったもので、Instagramで福島の魅力的な人を紹介する活動として大学4年生だった2020年に立ち上げました。それをきっかけに、郡山市の高校生からSNSを通して「こういうことをやりたい」という活動の相談を受けるようになったんです。大学の学生団体のように高校生が学校の枠を超えて「飲食店総選挙」をやってみたり、北塩原村のペンションをお借りして宿泊プランを考えるワークショップをしてみたりと、進学した県外の大学生なども含めて現在約50人で小さなプロジェクトを複数立ち上げています。

思いがけない形で広がっているSFFの活動ですが、これは学生が福島と主体的に関わり続けやすくなるプラットフォームになっていると感じています。今後は地域や企業、行政とうまく連携することで、若者が生まれ育った福島に魅力を感じ、県内で働くというイメージがつかみやすくなるような活動になっていくのではないかと考えています。僕の役割はプロデュースやコンサルティングではなく、ただ学生のやりたいことを聞いて伴走しているイメージです。「種まき人」という言葉がしっくりきますね。

課題は、お金を生み出せていないことです。企業と連携してお金を生むことができるようになると、持続的な活動になってくると思います。

――NA→SAプロジェクトの支援を受けて起業する予定とのことですが、詳しく教えてください。

まず人が集まる仕組みがないと、地域は持続可能にはならないと考えています。SFFの活動はほとんどがSNSを通じて出会ったメンバーで構成されています。この活動からオンライン上の関係をオフラインにつなげていく仕組みが構築できれば、どの地域でも展開できる地域創生のロールモデルになれると考えています。一度人口がゼロになった小高区では、関係人口の変化が見えやすいとも考えました。

そうした場の拠点として、2022年6月に古民家を借りてコミュニティハウスを設立する予定です。観光客や若者、家を取り壊してしまった元住民の方や地域の方もつなげられる「家」のような場所にしていきたいです。移住者も含め、その地域に住み続けるためには、地域の中で暮らす人同士でいかに関わりを深くできるかが大事だと思っています。地元を発信する機能を持たせつつ、利用者同士でまちづくりを考えながら、何かしらの企画ができるような余白のある場にしたいですね。

まちの人と仲良くなり、心が動いたら移住すればいい

――移住後の生活はいかがですか。

これまで南相馬には足を踏み入れたこともありませんでしたし、双葉郡については知らないことばかりでした。「10年経ったし復興しているでしょ」と思っていたのですが、双葉町にはまだ住めないことや、思うように復興が進んでいない地域があることも知りませんでした。復興の現状をちゃんと知らないといけないということを突き付けられました。

小高区で暮らす人は前向きな人が多く、チャレンジングな若い移住者もいて、面白い地域になっていく可能性を感じています。移住や起業にも大きな支援があり、新しい事業を興しやすい環境があります。そういったことはまだ県内でも知らない人が多いはず。伝えていくことも僕の役割だと感じます。

――住まいの確保はどうされましたか?

移住者向けに1年間安価で市営住宅を借りられる市の支援制度を利用しています。このあたりの家賃相場は4万5,000円くらいで、多摩市に住んでいた時と同じぐらいです。間取りも一人暮らしには広い物件が多くて、僕のような単身者には向いていません。これは課題のひとつで、コミュニティスペースではシェアハウスで移住者が住める機能も持たせたいと思っています。

――移住を希望する方へメッセージをお願いします。

まずは一度、移住を希望する地域を訪ねることをおすすめします。ワーケーションプログラムのツアーを企画する中、移住の壁となるのは仕事と住まいとコミュニティだと感じます。最も重要なのはコミュニティで、誰かしらまちの人と仲良くなることが大きな後押しになると感じています。移住したいと思っている地域があれば町を案内してもらって、心が動いたり、わくわくできれば移住するのがいいのではないでしょうか。小高区に興味を持っていただけたら、そのときは僕が案内しますし、小高を好きになってもらうことができると思います。

大川 翔(おおかわ かける) さん

1998年、福島県郡山市生まれ。中央大学経済学部在学中の2020年に「SFF│福島人が営む集会所」を設立。SNS運営などを経て、郡山市の高校生などを中心に福島県の魅力を発信するプラットフォームを運営している。2021年10月に株式会社Huber.への転職を機に南相馬市小高区へ移住。福島県の学生の人財育成を担う「Fukushimafrogs」代表も務める。

※内容は取材当時のものです。
取材・文:五十嵐秋音 写真:中村幸稚