移住者インタビュー

富岡町は図書館の持つ可能性に挑戦できる場所

2022年3月28日
富岡町
  • チャレンジする人
  • 単身
  • 移住のきっかけは?
    富岡町の図書館で、覚悟と希望をもって仕事がしたいと感じたこと
  • 移住してよかったと思うこと
    「空気感」が自分に合っていて、今までの暮らしの中で一番充実した毎日を過ごしている
  • 今後の目標
    多様な背景を持つ町の人たちと一緒に、未来の富岡町の姿を考えていきたい

2018年4月に富岡町内で業務を再開した富岡町図書館は、2022年3月現在、双葉郡唯一の公共図書館として、双葉郡8町村に暮らす人・勤務する人・住民票のある人に、広く図書館サービスを行っています。

図書館再開に合わせて2018年に富岡町に移住し司書として働く東山恵美さんは、「地域の変化は目まぐるしいけれど、一日一日は静かに流れていく富岡町での暮らしをとても気に入っています」と話してくれました。

これからの働き方を考えていた時に出会った、富岡町図書館の求人

――富岡町図書館へ就職を決めた経緯について教えてください。

大学で「図書館学」という学問に出会い、図書館の仕事を一生の仕事にできたらいいなと思いました。地元である東京都で、非正規ではありましたがフルタイムで司書として働き5年が過ぎたころ、このまま非正規で司書の仕事を続けていくのか、生きるために別の仕事を選ぶのか、今後の働き方を考える岐路に立っていました。

正規の司書の求人は全国にあったのですが、自分の中で、その土地に根をおろして働く意味を見いだせる職場にはなかなか巡り合えませんでした。そんな時、以前から気になっていた福島の図書館の求人があり、それが富岡町図書館でした。富岡町の被災状況や現状について詳しく調べたのは求人を見つけてからなのですが、避難指示解除直後(※)の富岡町で、図書館の「本来果たすべき役割」に挑戦してみたい、自分の生活環境を変える覚悟を持てる仕事だと確信して、応募を決めました。

※富岡町は2017年4月に避難指示解除(帰還困難区域を除く)。図書館の再開は翌年2018年の4月。

――なぜ、福島の図書館が気になっていたんですか?

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した時、私は大学3年生でした。私の地元である東京も大きな揺れがあり、その後実施された計画停電や、テレビで連日流れ続けるACのCMなどから「ただ事ではない」と感じてはいましたが、具体的な被災状況はよく理解できていなかったんです。

大学卒業後、私が図書館に就職して、震災発生から5年後の2016年、東北の被災地で草の根の図書室がいくつか生まれていることを知りました。本は衣食住のように生命の維持に直結するものではないため、復興の過程ではどうしても優先順位は低くなるのではと考えていました。その上で、被災地で本が求められ、市井の人たちの手でどのように場としての図書室が出来たのか……、とても関心がありました。バックパッカーのような形で、岩手・宮城の沿岸部の民間図書室や本をメインにした交流スペースなどを回りました。当時はまだ、福島で避難指示が出された地域には入れなかったんです。

避難指示解除直後の富岡町だからこそ、図書館の可能性を試すことができる

――求人に応募する前に、富岡町に足を運んだそうですね。

2017年の12月ごろに、実際に富岡町を訪れました。海から流れてくる風がすごく気持ち良くて、私ここでなら暮らせるかも、と直感的に思いました。そのころはまだ、ところどころ道もガタガタでしたし、被災した状態のまま残っている建物も多く驚きました。

でもだからこそ、この町でなら「人との交流の場」や「地域文化の共有地」として図書館が持つ可能性を試すことができるのではと感じたんです。この町で図書館にできることを知りたい、それを仕事にしたい!と強く思いました。

――実際に勤務するようになって、町や利用者の変化を感じることはありますか?

図書館の再開までと開館してしばらくは、暗中模索しながら、軌道に乗せようと一生懸命でした。まだ町内居住者が500人くらいでしたから、図書館には「日常に戻る」ことを求められていたのではないかと思います。帰還や移住で住民が少しずつ増えてくると、日常に彩りを添える「豊かさ」を求めて図書館に来る人が増えたように感じます。利用者の方との会話や求められる本の内容がどんどん多様になってきているんですね。

生活の隙間に、自転車に乗ってるおじいちゃんや子どもたちの笑い声、井戸端会議の様子などを見かけるようになったのは大きな変化ですし、そんな町の姿に癒されています。

――家探しには苦労せずに済んだと聞きました。

富岡町職員としての採用だったので、職員宿舎を提供してもらっています。町が借り上げたアパートで、家電なども付いていました。富岡町で働きたい、と応募し採用通知をもらったものの、家探しのことは何も考えてなかったんですよね。当時は町内にまだ不動産屋が無くて、車で1時間以上かかるいわき市の不動産屋が富岡町の物件も扱っているという状況だったので、住む場所を用意してもらえたのは本当に助かりました。

――富岡町のどんなところが気に入っているんですか?

初めて来たときにも感じたのですが、風がとても気持ちいいんです。大きな山や海も近いですし、図書館の窓からは夏は新緑、秋は紅葉がとてもきれいに見えます。そういった雄大な自然を見ると、自分の悩みがちっぽけなものに感じるし、朝起きて仕事に行きたくないなと思うことがあっても、ドアを開けて外に出るとさわやかな気分になれるんです。

それから、とても静かな環境も気に入っています。東京の友人が家に遊びに来たときも、「お湯を沸かす音だけが聞こえて、落ち着くね」と言ってくれました。多分、富岡の空気感が、すごく自分に合ってるんでしょうね。最近は近所においしいイタリアンのお店ができたり、お出かけスポットも増えてきて、私史上一番楽しく暮らしています。

この町に暮らす人が「望む町の姿」を一緒につくっていけたら

――町に帰還した人、仕事で移住や滞在している人など、多様な背景を持つ人が暮らす富岡町ですが、図書館で働いていて感じることはありますか?

富岡町で働いていて、学ぶことは本当にたくさんあります。移住してからの4年間、富岡町を含め、双葉郡は非常に目まぐるしく町の状況が変化しています。元々この町に暮らしていた人たちは震災前の思い出や土地の記憶を持っているけれど、移住してきた人は震災後のことしか知らない。また、移動図書館で避難先に行くと、町に戻った人、戻れない・戻らない人、個人個人で思いや考えが違うということにも日々出会います。

震災と原発事故で変わってしまったものは元には戻せないから、復旧・復興に終わりはないと思うんです。町の変化自体を寂しく思ってしまう人もいるかもしれない。だからこそ、元々暮らしていた人、移住してきた人、それぞれの立場で富岡町に関わる人が、同じ船の乗組員として、一緒に考えて望む町の姿をつくっていけたらと思っています。

――最後に、移住を考えている人にメッセージをお願いします。
移住するということ自体、とても勇気やパワーが要ることだと思います。その勢いを、そのままエネルギーに変えて、新しく始めてみたいこと・ずっとやってみたかったことにぶつけてみてほしいです。私はそうやって、いろいろ挑戦できたことがありました。

今の富岡町に暮らす人は、町に戻ってきたにしても移住してきたにしても、自分でそうすることに決めて、意志を持って町に暮らすことを選んだ人たちなので、一人ひとりに思いの強さがあると感じています。そんな富岡町なので、新しい自分を試すのにはとてもいい環境だと思います。

東山 恵美(ひがしやま めぐみ) さん

1990年生まれ。東京都羽村市出身。大学卒業後、都内2ヶ所の図書館で司書として勤務。2018年に富岡町に移住、4月から富岡町図書館で司書として働く。本の貸出・返却、レファレンスサービスといった通常業務のほか、図書館情報紙の作成、イベントの企画、避難先への移動図書館活動など、本に関わる幅広い業務を行っている。

富岡町図書館

http://www.manamori.jp/custom32.html

※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文 山根麻衣子 写真:中村幸稚