移住者インタビュー

新しい人生へのヒントがきっと見つかります

2021年11月15日
田村市
  • Uターン
  • チャレンジする人
  • 地域おこし協力隊
  • 移住支援金
  • 転職

 

  • Uターンしてよかったこと
    • 地域の人とのかかわりが自然に広がっていく楽しさを感じることができる
  • やってみたいこと
    • 古民家を再生し地域の子供や学生が集まる場を作りたい
  • Uターン希望者へメッセージ
    • 人生の転機にある人、リスタートしたい人へのヒントがきっとあります。

田村市でまちづくり事業を展開する一般社団法人Switchのスタッフとして、また2021年7月からは田村市地域おこし協力隊として、地域の空き家の活用事業に取り組む佐久間朱妙さん。地元に抱えていたコンプレックスから都会に憧れ、東京での就職を選びましたが、高齢になった両親と共に暮らしたいという思いが高まり、Uターンを決めました。

Switchが入居するテラス石森は、実は佐久間さんの母校を再利用した建物。廃校後にリノベーションされ、木のぬくもりを感じるあたたかな雰囲気の複合型テレワークセンターとして生まれ変わりました。地元で暮らし、地域の人と関わることで、それまで当たり前にあった文化の価値を再発見できたと佐久間さんはいいます。

その姿の美しさから「田村富士」とも呼ばれる片曽根山が見守るテラス石森で、故郷へ「移住」したことで感じた変化や田村市での生活について聞きました。

「田舎生まれ」のコンプレックスから東京へ

――田村市へのUターンを決めたきっかけは何だったのでしょうか?

母が高齢になって病気がちになったり通院することが多くなったりしたことがすごく気がかりでした。大学卒業後は東京や上海で看護師として働いていましたが、帰省して寝て起きるたびにそうした母の変化を感じるようになり、一緒に暮らそうと考え、地元に戻ることを決意しました。

――地元に対し、かつてはコンプレックスを抱いていたとか。

私の母校であり、現在「テラス石森」として活用されている旧石森小は当時、全校児童50人ほどの小さな学校でした。「田舎だ」とほかの学校からからかわれることが多かったこともあってか、郡山市の高校に進学したい、東京で就職したいと、都会に対する憧れを強く持っていました。でも今振り返ると、田舎で育ったことへのコンプレックスを乗り越えたいという思いが、就職してからも自分のキャリアに対する貪欲さにつながっていたように感じます。

しかし、地元に戻り、さまざまな新しい出会いがある中で、都会では得られなかった人のあたたかさや子供の頃には感じなかった故郷の景色の美しさを感じるようになりました。今では自分の地元に誇りを持っています。

――地域おこし協力隊に就任したきっかけを教えてください。

地元で熱中できて、かつ自分にしかできないものを生み出したいという思いでお仕事を探す中、自分の母校がシェアオフィスに生まれ変わっていることを知りました。すぐに運営会社の一般社団法人Switchに問い合わせたところ、空き家の相談業務や移住支援を行う地域おこし協力隊の仕事を紹介してもらうことができました。これまで田村市の空き家対策は、市とSwitchの2者が並行して行っていますが、今後はマッチング率を上げるためにさらに両者の連携を強める調整役として活動していきます。

――実際に古民家を購入された移住者からお話を聞くことも多いかと思います。佐久間さんが感じる古民家暮らしの魅力はどんなところにありますか?

最近関東から移住されたある方は、前の住人が手入れしていた木が今も庭に残る古民家を購入され、その木があることで四季を体感できると気に入っていました。古民家は状態によってリノベーションが必要となることもありますが、都会にはない自然を感じることができたり、庭で野菜を育てられたりすることは大きな魅力です。

調査する立場としても、広い縁側や廊下、畳の間を見て「あぁいいなぁ」と思うことがたくさんあります。経済的にも、賃貸で月々5~6万円、年間70万円ほどかかると考えると、仮に5年間住むなら空き家を購入した方がいいと考える相談者の方もいらっしゃいます。

子供や学生が集まれる学びの場を作りたい

――地元に戻ってからご自身にどんな変化がありましたか?

今何がしたいのか、時間の過ごし方について自分の気持ちと真剣に向き合えるようになりました。東京には多くの情報があってショッピングやカフェなど行きたい場所があふれていた一方、地元には娯楽は決して多くはありません。映画を観に行くにも郡山まで行かなければいけない。でも、そういうハードルがあるからこそ選択する自由を感じますね。

仕事では、地域の人や親戚と自然に関係が広がっていくことが楽しいです。仕事のイベントで必要になり叔母の軽トラックを貸してもらいに行った時、叔母は「私も役に立ちたいばい!」と快く協力してくれました。人に遠慮して何かをお願いすることにためらいを感じていたので、そう言ってもらえてすごくうれしく思いました。これまで私が東京で過ごしてきた感覚も間違っていたというわけではないと思いますが、人との関係を見直すきっかけになりました。

両親と暮らせるという日々は本当に心穏やかです。どんなに仕事が大変でも、家に帰ると家族のためなら頑張れるという気持ちに切り替えることができます。

――この地域で暮らしていく中で、目指していることはありますか。

空き家対策に関わる身ですが、私の家も空き家を所有しています。茅葺きのトタン屋根で、囲炉裏があったことで柱も黒く黒ずんでいるような、「あんな家、古くてダサくて」と言われるような古民家です。でも私はそんな家にこれまでの文化や伝統が染みついているような魅力を感じていて、そこをリノベーションして子供や学生が集まれる学びの場を作る夢というか、使命を感じています。この地域はかつて葉タバコの生産が盛んでしたが、時代の流れとともに衰退し、私の親戚も今年で生産をやめる決断をしました。そういった伝統文化を伝える場にもできるといいですね。

私が幼少期に「石森なんて」と思っていたのと同じように、福島に、地元にコンプレックスを抱えて県外に出て行ってしまった人たちは少なくないと感じます。そういった方がまた福島に戻ってきて、地元を見つめ直したいと思ってもらえるような活動をしていきたいです。

原点での生活には新しい人生を見つけるヒントがある

――Uターンするに当たり、利用した自治体の支援制度はありましたか。

「福島県12市町村移住支援金」があることをSwitchのスタッフから教えてもらって知りました。また、田村市が首都圏からのUターン引越し費用を補助する「田村市ふるさとUターン定住化促進事業補助金」も県に問い合わせて知りました。(10月下旬時点で)2つとも申請中で、実際にお金を受け取るのは少し先になるかと思うのですが、仕事に役立てられるような自己投資に使いたいと思っています。

――最後に、Uターンを検討している方へメッセージをお願いします。

まだ地元に帰ってきて1年足らずですが、母の手料理を食べて土地の水を飲むという幼少期と同じ生活をしていると、自分の原点に立ち返る気持ちになります。今の生活をリスタートしたいと思っている方や、人生のタイミングに悩んでいる方にとっては、新しい自分の人生を見つけるヒントになるのではないのでしょうか。

佐久間 朱妙(さくま あけみ) さん

福島県立医科大学看護学部を卒業後、虎の門病院に勤務。その後上海へ渡航し3年間駐在。日本人の健康管理に携わる。日本へ帰国後、一般社団法人和ハーブ協会に入社。和ハーブの掘り起こしや次世代への伝承活動に従事。2021年、地元田村市にUターン。一般社団法人Switchに勤務のかたわら地域おこし協力隊員として空き家活用事業を担当。

一般社団法人Switch

https://switch-or.jp/

※所属や内容、支援制度は取材当時のものです。最新の支援制度については各自治体のホームページをご確認いただくか移住相談窓口にお問い合わせください。
文:五十嵐秋音 写真:佐久間正人