移住者インタビュー

ぜひ若いうちから田舎での生活を経験して欲しい

2021年11月15日
葛尾村
  • 夫婦
  • 起業・開業
  • 里山暮らし

 

  • 移住してよかったこと
    • 自然を肌で感じられる
  • 移住して苦労したこと
    • 寒さ。でも来てしまえばどうにかなるレベルでした
  • 移住を考える方へメッセージ
    • まずは体験だけでも若いうちにしてほしい!

葛尾村の山の中腹に建つ一軒家でカフェを営む堀江安則さん、みどりさんご夫妻。震災前に移住を決め、いよいよ本格的に葛尾での生活を始めようとしたまさにその時、震災が発生しました。

初の福島暮らしが仮設住宅での生活となったご主人の安則さん。しかし、その環境が葛尾の人々との強い信頼関係を築くことにつながり、今も村の人々がカフェを訪れるなど、自然豊かな環境の中で穏やかな交流を続けています。

お二人が営むカフェ「嵐が丘」にお邪魔し、移住の経緯や現在の暮らしなどについてお話をうかがいました。

生まれも育ちもずっと都会。田舎暮らしがしたかった

――移住されたのはいつですか?

2010年の10月にこの家が完成し、まずは家内が移住しました。私は翌年の3月で勤めていた関東の会社を退職することになっていたので、先に家内に移住してもらい、いろいろ準備を始めておいてもらったんです。

――なぜ移住を考えられたのでしょうか?

生まれも育ちもずっと都会で、仕事も真面目にハードにやりましたので、定年後はいわゆる田舎暮らしがしたいと思っていました。それで当時住んでいた神奈川県内の箱根あたりから土地を探し始め、軽井沢や房総なども見に行きましたが、どこもいわゆる別荘地で、おもしろさを感じませんでした。ゼロから整地をするような土地のほうが私の好みに合っていたんです。

そんな中、以前近所に住んでいた方で田村市の都路に移住した方がいらして、その方を経由して都路に近い阿武隈山系の土地をあちこち紹介してもらうことになりました。実は寒いところはあまり好まないので当初は東北への移住は想定していませんでした。しかし、引っ越す前に「浜通りはあったかいから」と聞いて、ここも行政区分上は浜通りに入るので大丈夫だろうと楽観視していました来てみたら、雪は降らないのですが、やっぱり冬はしっかり寒かったんですけどね(笑)。

立地や土地の広さにこだわって10ヵ所から20ヵ所、いろいろな土地を見て回りましたが、今のこの場所はそこそこの広さがあり、すぐそばに竜子山というきれいな山が見える。紹介してもらってすぐにここで暮らすことを決めました。

初めての福島暮らしが仮設住宅での生活に

――カフェを開くことは当初から想定されていたのでしょうか。

はい。実は家内は田舎暮らしに大反対だったんです。私は食事も作れないし一人で生活するのは難しい。そこで、一緒に来てもらう条件として料理教室の経験が活かせる喫茶店を開くということで納得してもらったんです。だから一階ははじめからお店を開く想定で設計しました。

――そして「もうすぐ退職して移住」という時に震災が起きたということですね。

その通りです。これから福島で第二の人生を始めるという、まさにそのタイミングで地震が来てしまった。葛尾村は全村避難になりましたから、家内は三春町の仮設住宅に移り、私も退職後に直接仮説住宅に引っ越しました。結局それから5年間、私は一度もこの家に住むことができませんでした。

――5年間も!

ほぼ今と同じ形に飾り付けも終わっていたんですけどね。幸い建物自体は大丈夫でしたが、家内が長年集めてきたカップはかなり割れてしまいました。仮設住宅を出る時には本当に待ちに待ったという感じでしたね。

――初めての福島での暮らしが仮設住宅での生活。大変なことも多かったのではないでしょうか。

そうですね。ただ、仮設住宅にいたからこそ葛尾の多くの人達と顔見知りになることができました。今、庭に建っている物置は、最初は自分一人で建てようと考えてキットを買ってきたんです。ところが、それを話した村の人が毎日一緒に仮設から通って組み立てを手伝ってくれました。他にも草刈り機の使い方をゼロから教えていただくなど、いろいろ面倒を見ていただきました。仮設時代に知り合った方の中には、お客さんとしてお店に足を運んでくださる方も多くいらっしゃいます。

ぜひ若いうちに田舎での生活を経験して欲しい

奥様のみどりさん。長年集め続けているというカップと共に。

――実際に移住し生活をしてみて困ったところや大変なところはありますか?

ここは山の中の一軒家ですのでインフラが断たれてしまうとどうしようもないんですが、それは自分でここを選んだ結果ですので、それ以外で特に困るということはないですね。ここからだって海外旅行は行けますし、インターネットを使えば都会に住んでいるのと手に入るものは変わらない。不便はあまり感じないですね。

――買い物に出られるとするとどちらまで行かれますか?

基本的には週に1回、隣の田村市の船引まで車で30分ほどかけて買い出しに出かけます。そこで欲しいものが揃わなければ車で1時間ほどかけて郡山へ。それでも揃わないものは仙台まで買い出しに行くこともあります。仙台までは車で2時間ほどです。

――寒さには慣れましたか?

やはり今でも寒いと感じますね(笑)。特にここは風の通り道らしくて、冬は寒いわ風は強いわで大変ですね。実は「嵐が丘」というカフェの名前の由来の半分はそこからきているんです。もう半分は、私たち世代には馴染み深いエミリー・ブロンデの小説のタイトルからいただきました。

でも、この辺は雪はあまり降らないですし、来てしまえばどうにかなるレベルだと思います。

――来て良かったなと思うのはどんなところでしょうか。

たくさんありますが、何より自然を肌で感じられることです。都会にいても季節の移り変わりは感じられますが、都会での感じ方とはちょっと違う。冬は確かに寒いですが、夏場はあまり暑くならず非常に快適です。のんびり暮らすという点ではおおむね理想通りの生活ができていますし、村の人達もみなさんも親切でありがたいですね。

――今実際に移住を検討されている方に対して、ぜひメッセージをお願いします。

最初は完全移住じゃなくてもいいので、ぜひ若いうちにこうした暮らしを一度経験してもらいたいです。私の田舎暮らしは60歳を過ぎてからのスタートで、しかも仮設住宅で5年を余計に過ごしてしまった。これからの人生の時間を考えれば、あと10年、欲を言えばあと20年早くこういうことができればよかったなと思っています。葛尾の人々は、私たちに対してもそうであったように、きっと移住者をあたたかく迎えてくれるはずですので、ぜひ若い人には早いうちからこういう生活を経験してほしいと思います。

堀江安則(ほりえ やすのり) さん

自動車関連のエンジニアとして長年働き、2011年に神奈川県より葛尾村に移住。2016年、自宅1階に「Cafe 嵐が丘」をオープン。奥様と二人三脚で経営しながら長年の夢だった田舎暮らしを実現。

Cafe 嵐が丘
〒979-1603 双葉郡葛尾村野川字中島234-2
Tel. 0240-25-8922

※内容は取材当時のものです。
文:髙橋晃浩 写真:佐久間正人