移住者インタビュー

「村の子」として、川内村と外、伝統と今と未来をつなぐ媒介に

2022年8月8日
川内村
  • 里山暮らし
  • まちづくり
  • Uターン
  • 単身

「コーヒーを淹れるので、撮影中動いても大丈夫ですか?」

陶芸家の父がつくったという、やさしい色合いのカップにコーヒーを注ぐ志賀風夏さん。その所作はとても自然で、志賀さんとその家によく馴染んでいました。

志賀さんは、福島県双葉郡の中でも山あいに位置する、川内村に生まれ育ちました。緑が濃い山々に囲まれ、近くを清流が流れる自宅の敷地は、志賀さんの両親が古民家を移築するために選んだ土地。
その古民家には、志賀さんが子どもの頃から両親の友人や陶芸仲間などさまざまな人が訪れ、両親が企画するイベントや村の自然を楽しんでいました。

「毎回母を手伝ってすごい量の料理をつくっていたし、自然とおもてなしの気持ちも身についていたんだと思います」と志賀さん。
志賀さんは今、その古民家を、村の人と外の人をつなぎ、村の伝統や食材を提供する場所とするため、カフェとして運用しようとしています。

川内村を好きになる「英才教育」

陶芸家である志賀さんの両親は、同じ福島県浜通りの出身ではありますが、川内村出身ではありません。とあるいわき市の古民家を紹介された志賀さんの両親は「どうしても保存しなくては」と強く感じ、古民家を移築できる土地を探して、川内村に移住したと言います。

志賀さんの両親や村を訪れる人たちは、折に触れて「川内村はいいところだ」と話していたそうです。志賀さんはそんな、村への愛情をきちんと口にする両親のもとで育ちました。

「『村の英才教育』っていうか、小さいころから自分の暮らしているところはいいところだって聞かされて、私自身も家や村で過ごすことが本当に好きだったので、今ここに居るという感じです」と志賀さんは笑顔を見せました。

「ただ、両親が移住者なので、私は『雑種』だと思っています。村で生まれ育ったけど、本当の意味で『村の子』とは言えない気がしていて。なので、ことさら『村のことが好き』と声に出して言っているのかもしれません」とも話す志賀さん。
村社会の中で「移住者」である両親が、時には肩身の狭い思いをする場面を見てきたこともあり、そう感じているのかもしれません。

「田舎での暮らしは、自分で決めて、自分で暮らしやすくする必要があると思っているんです。排他的で(物理的に)不自由なこともあるけれど、それが『都会化』していないということ。田舎にあこがれを持つ人には、村を訪れたり、暮らしたりしながら、そういう部分にも気づいてもらえたらいいなと思います」

志賀さんの自宅の庭に産卵した、川内村のシンボルであるモリアオガエルの卵

村の変化を見逃したくない

川内村には高校がないため、志賀さんは高校進学時に村を出て、相馬市の祖母の家から高校に通いました。大学では美術を学ぶため福島市に進学しましたが、東日本大震災後の村の動きに関心を持ち、2017年にUターン。

「大学生活や勉強に馴染めずにいたところ、村に面白そうな求人が出ていたんです。このまま大学を卒業するのは難しそうだし、機会を逃したくないと思い、大学を中退して村に戻ってきました」

その仕事というのが、震災後初めて村内にオープンしたカフェ「Cafe Amazon(カフェ アメィゾン)」のスタッフと、カエルの詩人として知られる草野心平ゆかりの「かわうち草野心平記念館『天山文庫』」(以下、天山文庫)の管理人でした。

自身を「オタク気質」という志賀さんは、カフェのこと、コーヒーのこと、そして草野心平さんのことを調べまくったと言います。
「詩集や参考文献は片っ端から読みました。それから村には、心平先生と直接交流を持った人たちがいます。そんな人たちが生きているうちに、たくさん話を聞きたいと思って活動しています」と志賀さんの言葉に力が入ります。

あえて古民家カフェをやる理由

カフェのスタッフと天山文庫の管理人、震災後に開催されるようになったマラソン大会のメダルづくりなどの陶芸、と既に手に職のある志賀さんが、自宅敷地内にある古民家をカフェにしたいと思ったのには理由があります。

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で、川内村も一時全村避難になりました。志賀さんの友人の多くは、実家ごと村外に避難し、かつて住んでいた家はもう村にはありません。
「それでも友人たちは、『村に帰りたいなぁ』って思う時があると思うんです。その時のために、私は村でお留守番をしているつもり。そういう時に、帰るきっかけの場所をつくれたら」と志賀さん。

また、志賀さんの祖母や父が亡くなったことも大きかったと言います。
「もっと、お父さんやおばあちゃんに教えてもらいたいことがたくさんあったなって。古民家も震災後使わなくなって荒れ放題になってしまいました。父が遺してくれた古民家を再生して、また人の集まる場所にしたいと思ったんです」

志賀さん一家は、川内村が2012年1月に帰村宣言してすぐに元の家に戻って暮らし始めました。しかし近隣の市町村は未だ避難が続いており、震災前のように自宅でイベントを開催出来るような状況ではなかったことから、両親の友人たちも村を訪れることが難しくなり、古民家は使われないまま10年以上が経過していたそうです。

古民家改修で、技術と伝統と人を「つなぐ」

改修するなら昔ながらの工法で、古民家らしさを残したいと考えた志賀さん。幸いにも、両親が古民家を移築した際に工事してくれた大工の息子さんがまだ村にいたこと、昔ながらの工具を貸してくれる村の人がいたことなどで、古民家の改修は志賀さんの目指す方向に進んでいます。

「伝統技術を持った人が生きている、今のうちにやらなきゃと思いました」と話す志賀さん。震災の影響で伝統や郷土文化が10年近く断絶してしまったことで、継承や存続の危機を、身をもって感じていました。

志賀さんの後ろの建物を古民家カフェとして活用する

また創業するタイミングとして、20代という年代だと支援や補助を多く活用できることも志賀さんを後押ししました。 
志賀さんは、カフェの経営と補助金申請などの勉強のために「田村市産業人材育成塾」に通い、古民家カフェ事業は、福島県浜通りで起業する若者を支援する一般社団法人HAMADOORI13の補助事業に採択されたのです。

「若者だから支援してもらえる。そして、引き継がなければ途絶えてしまう技術や文化がある。その両方のタイミングが合ったので、動き始めることにしました。たくさんの人に応援いただいて、本当に感謝しています。今、信頼できる職人さんに改修をお願いできて、古民家を長く使い続けられるようになるのはとてもありがたいです」

古民家の改修には、職人だけでなく、地元の子どもたちや県内の大学生、志賀さんの友人・知人などにも協力してもらっています。もちろん「手が足りない」という理由もありますが、ただ手伝ってもらうのではなく、「この部分は自分がつくった」という体験をしてもらうことで、古民家や村の職人たちを身近に感じてもらいたいという志賀さんの思いなのです。

川内村の良さを伝えるための「古民家カフェ」

志賀さんが運営する古民家カフェは「川内村の良さを伝えるための場所」を目指しています。カフェという形態にしたのも、村を訪れるハードルを低くするため。

「潜在的に田舎に関心のある人は、一定程度いるんじゃないかと思っています。飲食がメインの古民家カフェにすることで、そういう人たちが気軽に足を運ぶきっかけになれば」と志賀さんは話します。

「川内村に行ってみたい」という人はもちろん、単純に「田舎の古民家を体験したい」という「外の人」を受け入れる場所に。志賀さん自身がおいしい、みんなに伝えたいと思う村の食材や料理を提供して、「つくる人」と「訪れる人」との出会いの場所に。
村の人たちが作る、郷土料理や田舎の知恵を「伝える」場所に。

「川内村が好き」、「私が素敵だと思っている川内村の人・ことを伝えたい」、そしてなによりも「川内村に来て欲しい」……。

そんな思いを持った「村の子」志賀さんは、人と人、伝統と今と未来をつなぐ存在であり、古民家カフェは「つなぐ」舞台になっていくのだろうなと感じました。

志賀 風夏(しが ふうか) さん

1994年、双葉郡川内村生まれ。陶芸家の両親のもと、中学校卒業まで川内村に暮らす。村に高校がないため、高校は祖母の暮らす相馬市、大学は福島市で美術系の学部に進学。2017年、Uターン。現在は、かわうち草野心平記念館「天山文庫」管理人、村内のカフェスタッフ、陶芸やグラフィックデザインなどの仕事をしながら、自宅敷地内の古民家をカフェとしてオープンすべく準備中。(2022年秋オープン予定)

※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文:山根麻衣子 撮影:鈴木宇宙