一家で川内村に移住。大学同期と共にクラフトジンづくりに挑む

- 出身地と現在のお住まい
栃木県佐野市→福島県・山形県の各地→川内村 - 現在の仕事
株式会社Kokageでクラフトジンの製造など - 移住のきっかけ
家族との時間を大切にしたい
2024年、川内村に誕生したクラフトジン「naturadistill(ナチュラディスティル)」。手間をかけた製法で日本固有植物の香りを引き出し、高い評価を集めています。その製造責任者を務めているのが株式会社Kokageの高橋海斗さんです。2024年4月に家族で川内村に移住。以来、会社代表・大島草太さんの「右腕」的存在として活躍し、現在は蒸溜所2階のレストラン開設準備にも奔走中です。移住までの経緯と今後について伺いました。
作り手のセンスを生かせるクラフトジン
――現在のお仕事を教えてください。
Kokageが川内村に開いた蒸溜所「naturadistill」に勤務し、ジンの製造のほか事務系の業務全般を担当しています。ジンとは、様々なボタニカル(草根木皮)で香りづけした、アルコール37.5%以上の蒸溜酒のこと。僕たちはカヤの実、橘、クロモジなど日本固有の植物に注目し、そうした素材をひとつひとつ浸出(アルコールに漬け込むこと)・減圧蒸溜して、クリアな味わいと繊細な香りを楽しんでいただくことにこだわっています。

昨年(2024年)11月に発売した初回ロットは、おかげさまで好評です。世界に通用するクラフトジンを目指し、今後は定番商品に加えて季節ごとの商品も充実させたいと考えています。また、今年中には、蒸溜所の2階にクラフトジンとのペアリングコース料理をお出しするレストランバーを開業予定です。僕がシェフとして調理を担当する予定なので、その準備も進めているところです。
――もともと酒販や飲食関係のお仕事だったのですか?
いえ、大学ではスポーツ科学を学び、卒業後は通信関係の会社に勤めていました。ただ、大学時代からお酒と料理は大好き。特に料理は自分でいろいろ「実験」したり創作したりするのが好きで、友人との飲み会でもよく料理を作っていたんです。だから、いつか「食べて喜んでもらえる仕事」をやりたいという気持ちは心のどこかにずっとありました。
酒造りに関しては、ここですべてやりながら学んでいます。長い修業が必要というより、気軽にいろいろな作り方を楽しめるのがジンというお酒の特徴かもしれません。ジンの定義は緩く、また原材料の生産をしていない僕たちの場合は製造期間も約1ヵ月と短いため、これがダメならこうしてみようと自由に試すことができるのです。

もちろん、いろいろな専門家の方の協力も仰ぎます。村のワイナリーの方に技術顧問として参画いただいているほか、ボタニカルを1種類ずつ浸出・蒸溜したものをブレンドする際は、郡山市のマスターブレンダーの方に最終調整をお願いしています。
子どもの誕生を機に働く環境を考え直した
――Kokage代表の大島草太さんとのご関係と、川内村移住までの経緯を教えてください。
大島とは福島大学の同期で、当時からよく一緒に飲みに行っていました。卒業後も最低半年に一度くらいは会っていたでしょうか。だから、彼が在学中に川内村に関わり始め、キッチンカー事業やフルーツハーブティー事業を立ち上げたことも知っていました。実は最初の頃、「一緒にやらないか」と声をかけてもらったこともあるんです。今から4年ほど前でした。
でもそれは、ちょうど僕が勤め先で支店長に昇格し、県外支店への転勤が決まったとき。そのタイミングでの転職は考えられませんでした。ただ、その後、結婚して妻が妊娠したのを機に迷い始めたのです。当時の仕事は休みでも緊急対応が多く、妻も働いていましたから、これで子どもが生まれたらやっていけるんだろうかと。そのころたまたま、久しぶりに大島と会い、川内村でクラフトジン造りを始めるという話を聞きました。
僕はもともと人が多い都会は苦手。川内村のような自然に囲まれた場所で、もっと家族との時間を大事にしつつ、大好きなお酒や料理の仕事ができたら……。次第にその思いが募り、今度は自分から大島に「一緒にやらせてほしい」と伝えました。お互いの準備に1年近くかかりましたが、2024年4月、まだ生後3ヵ月だった長女を連れて川内村に引っ越して現在に至ります。

――移住に関してご家族の理解はすぐに得られましたか?
妊娠中の妻に相談したら、「(やりたいことを)やるなら今やって」と言われました(笑)。子どもが大きくなってからだと移動しづらくなるからと。妻は図書館司書をしており、司書の資格があればどこへ行っても仕事はあるだろうという判断もしてくれました。彼女のそういう柔軟さには本当に助けられています。
実際、社会に出てから夢を実現したのは妻の方が先なんですよ。妻も一般企業に勤めていましたが、昔からなりたかったという司書に転身して、とても楽しそうにしている姿を見て、僕のほうが刺激された面もあります。あいにく今の川内村に図書館はありませんが、妻は「川内村未来デザイン会議」という村づくりの会議体で、図書環境整備プロジェクトに参加するなどして活動しています。
――とはいえ、乳児を連れての移住に不安はありませんでしたか?
村に保育園はあっても大きな病院がないことはわかっていたので、正直その不安はありました。だから、事前に周囲の環境をよく調べ、ここにこういう医療施設がある、こういう場合はここ、とシミュレーションを重ねて、これなら大丈夫と判断できたということです。ただ、フタを開ければこの1年間、娘は風邪ひとつひかず元気でいてくれて、とても助かっています。
総じて子育て環境はとても恵まれていますね。村内どこでも、子どもを連れて行くと周囲のみなさんが気にかけてくださるし、二人ともどうしても手が離せないときに子どもを預かってくださる方もいる。だから、以前の環境よりもむしろ安心して生活できています。

――住まいや買い物についてはいかがですか?
住まいは、村営住宅にちょうど空きが出たということで入居させてもらいました。村内には賃貸住宅が少なく、なかなか空かないのでラッキーだったと思います。もともと転勤が多かったので、引越し自体は慣れたもの。村のお試し住宅なども利用していません。
買い物は、ネット通販なら翌日届くので問題なし。まとめて買い出しのときは、車で30分ほどの小野町のスーパーに行くことが多いですね。ただ、村内の小売店はいちばん遅いところも22時で閉まるので、そのあと急にお酒や食材が買いたくなっても我慢しなければならないのが玉にキズかな(笑)。
大事なのは「つながること」とコミュニケーション
――今後の抱負をお聞かせください。
いま開業準備を進めているレストランバーは、予約のお客様だけを対象に、川内村までわざわざ足を運んでいただく価値のある、特別な食の体験を提供するのがコンセプト。懇意にしていただいている郡山のフレンチシェフをはじめ、専門家にご指導いただきつつ、大島とともに詳細を詰めているところです。
調理担当の僕が意識しているのは、ジンと料理とを合わせて五味(甘味・塩味・酸味・苦味・うま味)を完成させることです。まさにペアリングの腕の見せ所と言えますね。高いレベルのものを提供できるよう、日々練習を重ねています。

大島は会社の「顔」として全国を飛び回り、僕は基本、毎日この蒸溜所にいてバックオフィスを守る、という経営スタイル。もちろん、ときには意見がぶつかることもありますよ。でも、それはお互いが真剣にこの仕事に向き合っているからこそ。これからも試行錯誤を繰り返しながら、よいものを作っていきたいです。
――川内村への移住を考えている人へメッセージをお願いします。
やはり周囲とのコミュニケーションがいちばん大事でしょう。何かあったとき相談したり助けを求めたりできる関係を築けるかどうか。僕の場合は、大島が村のキーパーソンたちを紹介してくれたことでとても助かりましたが、もちろん自分からつながる努力も大切です。同時に、これからは僕も村の一事業者として、「つなげる」役割を果たしていけたらと思っています。
川内村に限らず、地方に移住して新たな挑戦を考えている人は、迷っているなら絶対にやってみたほうがいい。「やってみたもの勝ち」です。都会では大勢の中の名もない一人でも、地方に来れば「○○村の○○さん」という存在になれる。地方のほうがむしろ挑戦しやすいと言われることがありますが、理由のひとつはそこにあるのかもしれません。

高橋海斗 さん
1996年、栃木県佐野市生まれ。福島大学在学中、後に株式会社Kokageを創業する大島草太氏と出会う。一般企業に5年間勤務した後、退職してKokageに合流。2024年4月、家族で川内村に移住しクラフトジン蒸溜所「naturadistill」の立ち上げから関わる。開業予定のレストランではシェフも務めるべく準備中。
※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:中島悠二