温め続けた思いで移住を実現。川内村で地域づくりに取り組む
- 出身地と現在のお住まい
静岡県浜松市→神奈川県→川内村 - 現在の仕事
川内村地域おこし協力隊(川内村役場総務課DX推進室) - 今後の目標
人と人がつながる場をつくりたい
学生時代に富岡町を訪れ、この地域に通うようになった岡本奈美佳さん。東京の旅行会社に就職するも、福島への思いが高じて2024年3月、川内村へ移住しました。現在は村役場所属の地域おこし協力隊員として、村内外の有志による村づくりの会議体の運営を任されています。移住決断に至る心の変遷、仕事のやりがい、そして将来の夢について伺いました。
着任1年目、まずは地域に根付くことを目標に
――地域おこし協力隊としてのお仕事を教えてください。
メインミッションは「川内村未来デザイン会議(通称ミラデザ)」の運営です。ミラデザは、過疎・高齢化が進む川内村の未来について、村民と、外部から村に関わりたい方々とが一緒に考え、共に地域づくりに取り組んでいこうという場で、昨年(2023年)にスタートしました。現在30名ほどのメンバーが、「図書環境整備」「空き家等利活用」「子育て支援」など5つのプロジェクトに取り組んでいます。
私の役割は、月1回の定例会議の進行、各プロジェクトの進捗確認、行政側の担当部署との橋渡しなど。チーム別ミーティングに参加したり、先行事例の視察に同行したりすることもあります。また、広報誌で毎月活動を報告しているほか、SNSでの情報発信も担当しています。
――ミラデザ以外ではどんな活動をしていますか?
セカンドミッションとして、自由テーマで地域を元気にする取り組みを考えるというものがあって、いくつか構想中です。例えば、子ども向けの放課後ワークショップ。学校が終わったあと、村の自然や産業を題材に体験学習ができる場をつくれないかと考え、いろいろな方と話し合いをしているところです。
そのほか、私が所属するDX推進室のワーケーション事業にも関わっており、今年(2024年)10月に開催したワーケーションフォーラムと体験イベントの運営にも携わりました。それ以外にも、川内小中学園の子どもたちと触れ合ったり、地元の女性たちの野菜勉強会に参加したり。着任1年目はまずは地域に根付くことを目標に、積極的に動いています。
あと、これは仕事ではありませんが、村のバドミントンサークルに参加して週1回練習しています。みなさんすごくうまいんですよ。
――以前から地域づくりに興味があったのですか?
いえ、大学は外国語学部で、卒業後は旅行業界で働くのが希望でした。ただ、所属していたゼミのテーマが「まちづくり」で、私の研究対象が災害大国・日本ならではの被災に備えるまちづくりだったんです。3年生のときは、水害の多い岐阜県大垣市の町並みを調査したりもしました。
4年生になってそのゼミの教授から勧められたのが、富岡町のまちづくり会社でのインターンシップ(復興庁の復興・創生インターン)です。教授いわく「水害は日本全国で起きるが、震災・津波・原発事故という複合災害は福島特有のもの。その地域の復興に向けたまちづくりを見て来なさい」と。言われるがままに応募し、2019年の夏、約1ヵ月間を富岡町で過ごすことになりました。
「浜通りラブ」が移住につながるまで
――そのときの経験が今につながるのですね。
そのひと月の間に私の意識はガラッと変わりました。震災から8年経ってもまだ人の住めない区域が残っていて、境界線の向こうは「あの日」から時が止まったままの世界……。その現実にショックを受けた一方、そういうマイナス面ばかり報道される場所の中に、地域を元気にしようと動いている人がこんなにたくさんいるんだ、と知って驚いたんです。このとき出会った方々にはものすごく影響を受けました。
その人たちにまた会いたい、町がこの先どうなっていくのか知りたい、という思いで、インターン終了後も事あるごとに富岡町を訪れるように。大学のある愛知県から夜行バスと特急ひたちを乗り継いで通いました。そのうちだんだん周囲へと行動範囲が広がり、「富岡ラブ」が「浜通りラブ」に変わっていったのです。
――いつ頃から移住を考え始めましたか?
インターン当時、すでに希望の旅行会社から内定をもらっており、その時点で移住までは考えていませんでした。予定通り就職し、東京オフィスに勤務。若手にもどんどん任せてくれる会社で、とてもやりがいを感じながら仕事に打ち込む毎日でした。ただ、責任が大きくなるにつれて多忙を極めるように。4年目になると、とにかく忙しすぎて、これって本当に自分がやりたいことだったっけ?と疑問が湧くようになってしまいました。
同時に、富岡町でのインターン同期生が北海道から富岡に移住・就職し、SNSで富岡暮らしを楽しそうに発信しているのを横目で見ながら、うらやましいなと感じている自分がいたんですね。私は相変わらず頻繁に浜通りに遊びに行っていましたが、私に見えているのは結局、表面的なところだけ。自分も現地の生活を肌で体感したいと思うようになったのです。
それでもしばらくは決心がつきませんでしたが、年齢的にもやりたいことがあるなら今のうちだ、と感じ始めたこと、そして昨年(2023年)春に母を亡くし、「死」という人生のタイムリミットを否応なく意識させられたことで、ついに気持ちが固まりました。
――仕事や住まいはどう探しましたか?
移住先は富岡町に限らず、浜通りであればどこでもいいと思っていました。やりたかったのは、交流人口・関係人口づくりです。外部の人がこの地域をふらっと訪れるきっかけをつくること、そうやって訪れた人をガッツリつかんで離さないこと。そのために地域を元気にすること。そういう仕事ができないかと思っていろいろ調べていたら、偶然、現在のポジションを見つけました。募集要項にあった「課題先進地の川内村で一緒に地域づくりをやりませんか」という言葉にワクワクしたんです。
ただ、村のことをほとんど知らない自分に務まるのか心配だったため、応募の前に問い合せたところ、現在の上司(DX推進室の秋元喜夫主査)が「一度見に来ませんか」と。週末に訪問すると、一日かけて村中をていねいに案内してくれました。ここなら住めると直感し、東京に帰ってすぐ応募。まもなく採用が決まって今に至ります。住まいについては、役場が2軒の賃貸アパートを紹介してくれたので、すぐ決めることができました。
おかわり、おかえり、と言える環境づくりが夢
――暮らしの面では想像とのギャップはありましたか?
東京と比べたときの「不便さ」は承知の上で移住したので、ふだんの生活でギャップは感じません。ただ、私がまだ経験していないのが冬の寒さ。川内村は雪よりも凍結がすごいと聞いているので、ちょっとドキドキしています。
それから、移住して最初に「岡本さん、昨日は○○○にいたでしょ」と言われたとき、ああこれが田舎にありがちな「プライバシーのなさ」か、とは思いました。でも、逆にそれだけ気にかけてもらえているんだ、とポジティブに捉えています。
――協力隊の任期3年が終わった後の予定はありますか?
それは決めずに来ました。ただ、ここに住み続けることを大前提として、漠然と「人と人がつながる場をつくりたい」という目標はあります。私自身がここの「人」に魅せられ、そのつながりで移住した経緯があるからです。それを私なりに表現したフレーズが「おかわり、かわうち。おかえり、かわうち」。訪れた人がもう一度来たいと思ってくれる場所、その人たちを温かく迎える環境をつくりたいんです。
ただ、それがゲストハウスなのかカフェなのか、あるいはツアーやイベントなのか、まだ自分のなかで具体化できていません。それで、9月から福島県主催の事業構想プログラム「ふくしま創生塾」に参加し、アイデアを磨いているところです。
――川内村へ移住を考えている人へのメッセージをお願いします。
とにかくまず現地に来てみてください。情報誌やネットだけではわからないことがたくさんあります。そして、私がそうしてもらったように、できれば村をよく知っている人に案内してもらうのがいいと思います。ご希望があれば、今度は私が案内する役になりたいので、興味のある方はぜひ「ミラデザ」のフェイスブックページやインスタグラムからご連絡ください。
ただ、自然に囲まれた田舎に移住すれば自動的にのんびり楽しく生活ができる、というのは幻想だとお伝えしておきたいです。その土地や人に興味を持ち、自分から積極的に「絡み」にいくのが大切。でないと孤立してしまいます。私自身、野菜勉強会やバドミントンサークルに入ったのも、また地域のイベントにはすべて参加し、可能なときはボランティアに手を挙げるのも、役場の中だけでは出会えない住民の方と交流の機会をつくるためです。
人見知りでも心配ありません。ちょっと勇気を出して、みんなのいる場に顔を出すだけで、自分から無理に話しかけなくてもあちらから声をかけてくれますよ。そうやって一人とつながれば、そこから自然と輪が広がっていきます。ぜひ一歩を踏み出してみてください。
■川内村未来デザイン会議(ミラデザ)
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岡本 奈美佳 さん
1995年、静岡県浜松市生まれ。大学4年で富岡町のまちづくり会社でインターンを経験。以来、浜通りに通うようになる。旅行会社に4年間勤務後、現地に住んで交流・関係人口拡大に関わりたいと川内村の地域おこし協力隊に応募。2024年3月、川内村へ移住。
※所属や内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:及川裕喜