移住者インタビュー

地域づくり10年目。葛尾村を内と外で結んでいく

2022年6月28日
葛尾村
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福島県の浜通り、双葉郡の北部に位置する葛尾村。阿武隈山系に属しており、多くの山々に囲まれているこの自然豊かな村は、どこにいても鳥の鳴き声が聞こえるのどかな地域です。

この村には、震災後から地域づくりに励んでいる人がいます。一般社団法人 葛力創造舎の代表理事、下枝浩徳さんです。今回は、葛尾村出身でもある下枝さんに、Uターンしたきっかけや村で始めた事業、これからについて伺ってきました。

事務所は、震災後から使われていない葛尾中学校内の放送室にあります。

2012年に任意団体からスタートした、一般社団法人 葛力創造舎。「葛尾村に住んでいることにとらわれず、つながりの上に成り立つ村をつくりたい」とビジョンを掲げる代表理事の下枝さんは、「この団体が何屋さんかと答えるのは難しいんですけど、(地域に必要なものを作る)企画とかコンサルに近いものはあります」といいます。

そう語るようにこれまでの活動内容は、米作りや葛尾村産米を使用した日本酒や甘酒、民泊、村の習わしを基にした冠婚葬祭の再生など多岐にわたります。さらに、コミュニケーションやマネージメントの面から次世代人材を育成する塾や、都内の大学生を中心とした独自のインターンシップも実施。年間で50名ほどの学生が参加しているといいます。

「これはね、稲刈りのあとで、その後はみんな疲れ切って大の字になって寝転んでいる」とこれまでの活動をまとめたアルバムを見ながら楽しそうに説明する下枝さん。「今だからこそ、いろんな取り組みをしていますけど、落ち着いて事業をできるようになったのはここ最近」と話します。

一般社団法人 葛力創造舎 代表理事 下枝浩徳さん

どこにいてもいいなら由縁のある地域に

生まれも育ちも葛尾村の下枝さんが最初に村外に出たのは、高校進学のときでした。高校がない葛尾村から離れ、南相馬市の高校の寮で下宿生活。大学進学で埼玉に移り、就職で東京へ。村を出た当時は、「絶対戻ってこない」と思っていたといいます。

「村がつまらなくて。元々自由でいたいっていう気持ちが強かったんですよね。村にいたときは、車がないと移動できなくて親とか地域とか狭い空間の中に押し込められたっていう認識があって。もっと広い世界を見たいと思っていました」と当時を振り返ります。

「でも都会に出て、行動的には自由になったものの、飽きちゃったんですよね。楽しいんだけど、街にあるのは誰かが作ったコンテンツでしかなくて、自分は買うことしかできないのがつまらないと思うようになってしまって。結局、枠の中からは出られてなかった。」

そして、「大人になった今ならどこにでも行ける。何でも作り出せるし、そんな自由ができる。だったらどこにいてもいい。でも、せっかくなら自分に由縁のある地域がいい」という考えにたどり着きました。さらに以前から地域づくりに関心を抱いていた下枝さんにとって、葛尾村の過疎化もきっかけとなり、2011年2月にUターンを決心。

村の人たちが喜ぶことを

しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生。村には帰れなくなった下枝さんは、2016年6月12日の村の避難指示解除(一部を除く)まで、福島県内の一般企業で事業の立ち上げや国会議員秘書、NPO法人の理事などを経験しながら、2012年に葛力創造舎をスタート。仮設住宅でのイベントや東京のPRイベントなどに参加し、葛尾村の地域づくりの前身となる活動を行ってきました。

2016年以降、村で地域づくりを本格的に開始。最初は帰還した全村民にインタビューをしたといいます。

「『村の生きがいってなんだったんですか』とか。そうするとだいたい『田んぼ』とか『山でなにかをとった』とかっていうんです。まずはそこから村を紡ぎ直そうってことで米作り体験から始まったんです。」

2012年から活動を続けてきた甲斐もあり、最初は訝しげに見ていた村民にも徐々に認知されていきました。活動の中で常に大事にしていた思いは、「なにをしたら村の人たちが喜ぶのか、笑ってくれるのか、幸せと感じてくれるのか」でした。

以降も「昔はふんどしで田んぼをしていた」と聞けば、実際にふんどしを巻いたり、「馬耕で耕していた」と聞けば、馬をつれてきたりと、村民の語りに耳を傾けながら活動を行ってきました。数年後には、30人ほどで始まった当初の活動が、最大で300人も集まるほど盛況になったといいます。

「一つ一つこういうことをやっていったことで村の人とも関係性ができてきましたね。」

そして、手元の課題に必死になって取り組んでいたスタート時から、2018年ごろには「どんな未来を描いていくか」を考えるまで前進し、2021年になり、冒頭のビジョンが明確に。

「神社仏閣やお祭りなどこの地域らしさを整えながら、村の暮らしを守る村民や地域に仕事と人を運んでくれる人を構築していく。さらに、村外からも一緒にこの村を築いてくれる人たちを作ることで、内と外で葛尾村のコミュニティを結んでいこうと考えている」といいます。

クリエイティブな余白を葛尾村に

これからは移住・定住へのアプローチとして、アーティストやクリエイターの地域滞在プログラム「アーティストインレジデンス」を本格始動する下枝さん。

なぜアーティストたちなのかというと、「東京に人が集まっているのは、そこになにかを作れるクリエイティブな余白があるからだと思うんです。それは楽しくて、人を引き寄せるエネルギーでもある。でも今の東京は、その余白がだいぶ少なくなっていて、楽しめない人も増えてきています。その余白は今こそ地域にあると思っているんです。」と説明します。

「クリエイティブのある場所に人は寄って来る。」

そのため、まずはその余白で新しいものを創り出すアーティストたちの場所を作り、独自の視点で地域資源や課題を発掘。そして制作・発信をしてもらうことで、若者や移住希望者との新たなネットワークを育んでいくと考えています。

「4年で形にすることを目指しています。今年はまだ準備段階なんですけど、すでに6組のアーティストとトライアルを始めていて、(葛尾村発のアーティストとして)京都で展示をするとか盛り上がっています。おもしろいです。」

この他にも、深い歴史のある馬文化を掘り起こすことも計画している下枝さん。

「色々大変です。でも、自分がやったことの入口と出口が両方見られるからやりがいがありますね。都会だと会社が大きくて、自分のやっていることの意味が見えなくなることもあるけど、こっちはダイレクトに伝わってくる。喜ばれたりもするし、嫌われたりもする。それが楽しい。」

必要なのは地域との関係性

今後、12市町村に移住し事業展開を考えている人には、まずは住民との関係性を築いていくことが重要だと話します。

「地域の人は『なにをやりたいのか』に賛同して協力してくれるんじゃなくて、関係性で協力してくれるんですよね。『下枝はなにをやっているかわかんないけど、手伝ってやっか』とかそういうスタンスの方が多いと思います。」

また、他の地域には関係性構築の地ならしをしている人もすでにいるといいます。「だからなにかを始めたい人はそういう人にジョインすると少しやりやすいかも」とアドバイスをくれました。

最後には、「葛尾村は自然環境がいいので、WiFiや空間のハード面とクリエイティブの環境が整えばこの村は最強。今は課題要素を一つ一つ無くしていくことがうちの作業です」と村のこの先に期待がふくらむ言葉を残しました。

下枝 浩徳(したえだ ひろのり) さん

​​1985年、葛尾村出身。一般社団法人 葛力創造舎 代表理事。東京電機大学、東京電機大学大学院にて地盤工学を学び、海外で井戸掘削を行う企業に勤務。2011年にUターンし、翌年、一般社団法人葛力創造舎を設立。

※内容は取材当時のものです。
取材・文:草野 菜央 撮影:中村 幸稚