【震災から15年】若いからこそ届く言葉もある。20代語り部が伝える震災の記憶

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生からまもなく15年。避難指示が出された福島12市町村では、移住者だけでなく一度故郷を離れた人も、生まれ変わろうとするまちで新たな暮らしを営んでいます。今回は、浪江町出身で双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館で働く横山和佳奈さんに、震災時の記憶や語り部としての想いを語っていただきました。
無意識にふたをした避難当時の記憶
東日本大震災・原子力災害伝承館(以下、伝承館)は、福島12市町村のなかで最後に避難指示が解除された双葉町に2020年9月に開館しました。福島で起きた未曽有の複合災害をリアルに伝える施設であるとともに、来館者に防災に対する学びや気付きを与える施設でもあります。一般の来館者はもちろん、小中学校の校外学習や企業研修など、団体での見学も多く受け入れています。

横山さんはこの伝承館で、事務職員として勤務しながら、震災と原発事故の経験を来館者に伝える「語り部(かたりべ)」として活動しています。彼女の地元は、伝承館がある双葉町の北隣の浪江町請戸(うけど)地区。震災当時は浪江町立請戸小学校の6年生で、まもなく中学校に進学するタイミングでした。
横山さんは、請戸小学校の校舎内で大きな揺れに見舞われます。学校から海岸まではわずか300mほどの距離。感じたことのない強く長い揺れがようやく収まり校庭に出ると、学校から2kmほど離れた大平山という小高い丘まで逃げるよう先生に指示されました。
「怖くはありましたけど、パニックとまではいかなかったかな。友達全員が“しっかり逃げよう”という意識だったと思います。本物の津波はもちろん、津波の映像も見たことはなかったので、津波がどんなに恐ろしいものなのか実感がなかったんだと思います。
ただ、思い出そうとしても、避難時の記憶があちこち抜け落ちているんです。避難している途中の1箇所か2箇所だけ写真のように記憶が残っているぐらいで、動画としてはまったく残っていなくて。ショックが大きくて、自分の記憶に無意識にふたをしたんだと思います」

その後、浪江町役場に移動して一夜を明かし、翌12日の朝に家族と合流。ほっとしたのも束の間、原発事故による避難が始まります。
「12日の朝に原発から離れたところへ移動するように言われ、近所の方と一緒に浪江町の山あいの津島地区に移動しました。その日の夕方には、一緒に避難した方の親戚が葛尾村にいらっしゃるというので葛尾村に行って夜ご飯をいただいたのですが、寝ようと思っていたときに葛尾村にも避難指示が出て、寝る間もなく母の実家がある郡山市まで移動。さらにそのあと2週間ほどは東京の叔母の家にもお世話になりました。3月末になると、教員をしている父が福島に戻らなければならなくなり、急いで郡山市内でアパートを探し、同時に私の中学校の入学準備も整えました。ここまでのすべてが震災後1ヵ月以内の出来事。文字どおり怒涛でした」
若い語り部だからこそ伝えられることもある
その後、横山さんは郡山市内の中学、高校を卒業し、宮城県内の大学に進学します。新たな学びとして選んだのは心理学。その背景にあったのは、震災後のご自身の経験です。
「中学1年生のとき、学校にスクールカウンセラーの方が来てくださったんですが、いろいろな話をするうちに、だんだん心が軽くなっていくような感覚がありました。いつかまた災害が起きたら、そのときは自分が心を軽くする側に立ちたいと思ったんです」
震災の経験に導かれ過ごした大学の4年間。その学びが現在の語り部の活動につながっていくことになります。
「学生時代からメディアで被災体験を話す機会があり、就職してからも自分の言葉で伝えることを続けていきたい気持ちがありました。そんななか、新たにオープンした伝承館で震災と原子力災害を伝える仕事があることを知りました。伝承館は請戸からほんの2kmくらいしか離れていないので、自分の被災体験を伝えていくうえでこれほどピッタリな場所はないと感じました。
語り部の活動をしていて特によかったと思うのは、被災地出身の方に向けてお話しするときです。私が浪江町の出身だと伝えると、“実は自分も…”といって親近感をもって接してくださいますし、遠慮なく想いを吐き出せる相手だと思ってもらえているのかなと思います。カウンセラーは相談者に寄り添い過ぎてもいけない立場なんですが、“ほかの人には話せないけれど、この人だったら話せるかも…”と思ってもらえているならうれしいです」

語り部というと人生を長く経験した人が担う役割のようなイメージをもつ方も多いのではないでしょうか。しかし、20代の若い語り部だからこそ果たせる役割もあると横山さんは言います。
「子ども達に向けては、ベテラン世代の方が話すよりも私のような世代が話すほうが伝わりやすいかもしれません。子ども達は、おじいちゃんおばあちゃん世代の方の話だと、どうしても昔の話に聞こえてしまうと思うんです。“私はあなたと同じぐらいの年齢の頃に地震に遭っているんだよ”という伝え方ができることで、より共感してもらえるんじゃないかと思っています。
震災からまもなく15年経つということは、今の中学生から下の子ども達は震災のときにはまだ生まれていなかったということ。彼らにとって震災は教科書のなかの話なのだと意識して、ていねいに伝えなければいけないと思っています」
地域の伝統を移住者にも受け継いでほしい
横山さんが生まれ育った浪江町でも、伝承館がある双葉町でも、復興の歩みは着実に進んでいます。その状況を横山さんはどのように感じているのでしょうか。
「帰還者か移住者かに関係なく、住む人が増えてきているのはとてもいいことだと思います。一方、復興を進めることは古い建物を壊していくことでもあって、風景がどんどん変わることに寂しさを感じるときもあります。でも、町のこれからを考えればそれを拒否できないし、受け入れなければ復興は進んでいかないこともわかっています。
それを理解したうえで移住者の皆さんにお願いしたいのは、お祭りや芸能などの地域の伝統は受け継いでほしいということ。地区ごとの小さいお祭りもぜひ守っていってほしいですね」

最後に、伝承館を訪れる人に語り部として何を感じて欲しいかを教えていただきました。
「津波の力でつぶれてしまった消防車など、視覚的に強烈な展示もありますが、ぜひ間近で見ていただき、この地でどんなことが起きたのかを知っていただきたいと思います。館内には各所で映像が流れていて、当時の証言を観ることもできますし、現在37名いる語り部の話を聞いていただければ、語り部それぞれの15年がよりリアルに感じられるはずです。それらに触れることで、いつ起きるかわからない災害への教訓や備えを身につけていただければと思います」

故郷の魅力を聞くと、「おいしいものがたくさんあることと、日の出や月の出、夕焼けがきれいなこと」と笑顔で教えてくれた横山さん。その表情から、離れていた時間も故郷を愛する心を失わずに生きてきたことが伝わってきました。震災の記憶をたどることはときに苦しくもあると言いますが、それでも彼女は、故郷への想いを胸に、伝承館を訪れた人々に自らの経験を伝え続けています。
伝承館をはじめとする、東日本大震災の伝承施設はこちらの記事でも紹介しています。
>ふくしま12市町村で東日本大震災を知る
■東日本大震災・原子力災害伝承館
所在地:〒979-1401 福島県双葉郡双葉町大字中野高田39
HP:https://www.fipo.or.jp/lore/
横山和佳奈(よこやま わかな) さん
浪江町出身。震災と原発事故に伴う避難により小学校の卒業の直前に郡山市へ避難し、その後、宮城県内の大学に進学。卒業後の2021年に東日本大震災・原子力災害伝承館に就職し同年5月に語り部デビュー。震災前から現在まで、浪江町請戸地区の伝統芸能「請戸の田植踊」の伝承に携わっている。
※所属や内容は取材当時のものです。
文・写真:髙橋晃浩