チャレンジする人

次世代が「広野町に関わり続けたい」と思えるまちづくりで生まれ故郷に貢献したい

2022年3月28日
広野町
      • 広野町の魅力は?
        何もないこと、そのものが強み
      • 今後の目標は?
        行政と連携し、互いの得手不得手を生かすことで町を活性化させたい
      • 移住希望者へメッセージ
        広野町は移住することで得られるものがたくさんあって、活動することによるやりがいも必ず見つかる場所

      広野町で生まれ育った青木裕介さん。2018年に避難先の会津若松市から帰還して「ひろのパソコン教室」を開きました。「もじゃ先生」の愛称で親しまれる青木さんですが、その活動のフィールドはパソコン教室のみならず、SNSで地域の魅力を発信したり、多世代交流スペースの運営に携わったりと、広野町においてまちづくりのハブ的存在になってきています。

      青木さんが運営に携わる多世代交流スペース「ぷらっとあっと」にお邪魔し、まちづくりへの考えや、今後の展望などについてお聞きしてきました。

      パソコン教室を地域で子どもを育てられる場に

      ――パソコン教室を開こうと思った経緯を教えてください。

      パソコンは絶対必要だから、早いうちに子供たちに教えたいという思いがありました。また、子供から地元のおじいちゃんおばあちゃんまでが通うことで、地元の人たちが交流できるような場を作りたいとも思っていました。核家族化が進んでいますが、子育てってやっぱり家族だけでは限界があるので、地域で育てていくことが必要だと考えています。安心して子どもを預けられるところがあれば、お父さんお母さんもゆとりができますよね。昔なら寺子屋、今なら子ども食堂みたいな機能をこのパソコン教室が持てればいいと思っています。

      さらに、この町を発展させていくためには、次世代のまちづくりの担い手が絶対に必要です。ここで生まれ育った子供たちが将来大人になったときに、広野町に関わり続けようと思ってもらえるきっかけになる場所にもしていきたいです。

      パソコンを教えるようになったきっかけは、避難先で通った公共職業訓練校でした。これまで慣れていると思っていたパソコンの機能を使いこなせていなかったことを知り、この便利さを多くの人に伝えたいと考え、通っていた訓練校に就職したんです。その経験を広野町でも活かしています。

      ――帰還のタイミングはどのように決めたのでしょうか。

      3人目の子どもが小学校に入るタイミングです。広野町に戻りたいという思いはずっとあったのですが、当時小学生だった2人の子育てや仕事の関係で、気づけば7年間会津にいました。

      ――生徒さんはどのぐらいいらっしゃるのでしょうか。

      教室ではマンツーマンで、生徒さんのニーズに合わせてパソコンをはじめとするIT端末の使い方を教えています。現在は子どもからお年寄りまで幅広い世代で、20人ぐらいの方が来てくださっており、一番多いのはお仕事でパソコンを使う40代の方です。パソコンを触ったことがなかった80代の方に教えたこともあります。同じようにパソコン教室をやるのであれば、いわき市などの人口が多い場所のほうが人は集まりやすいのですが、やっぱり自分が生まれた町で生活する以上、自分にできることで町に貢献したいと思っています。

      「何もないこと」そのものが強み

      ――震災後に町の見え方はどのように変化しましたか。

      震災が起きて避難するまで、広野町のことをほとんど知らなかったんですよね。会津のみなさんが自分のふるさとの魅力を積極的に話している姿を見て、自分は広野町のことを何も知らなかったと感じました。そこで、避難先でも広野町の情報を欲しがっている人がたくさんいるんじゃないかと思い、会津に住んでいた頃にFacebookページ「東北に春を告げるまち」を始めました。町のお店にインタビューをしに行ったり、情報を集めたりする中で、今まで知らなかった町の魅力を知るようになりました。投稿を見た方に、「おばちゃん元気そうだね」とか「あの方、広野に戻ったんだね」と言ってもらえることが何よりもうれしかったです。

      ――帰還後の住宅探しはいかがでしたか。

      震災前に住んでいた町営住宅に戻りましたが、子どもが大きくなったこともあり、家族5人で暮らすにはかなり手狭になっていました。最初にパソコン教室を開いた古い一軒家で生活もできればいいなとは思っていたのですが、実際には難しかったです。今暮らしている家は、活動を通じて知り合った町民の方に紹介していただいた物件です。住まい探しは自力では難しく、行政に頼らざるを得ない地域ではあります。

      ――生活で困ることはありますか。

      不便に感じることは基本的にはありません。でも震災前は町内に本屋や商業施設があって、新鮮な刺身やケーキが買えて、ほしいものがわりとすぐに揃う環境だったことを考えると、震災前後の生活の変化はありました。

      逆にいいなと思うのは、商業施設がないためか、すごく静かなんですよね。夜も星が綺麗ですし、子育てするにしても豊かな自然の中でのびのびと遊ばせられるのは大きな魅力です。いわき市に住んでいても、地元だと人が多すぎるからという理由で広野町の公園に遊びに来る方もいらっしゃるようです。みんな「広野って何もないよね」とは言いますが、逆に何もないことそのものが強みだと感じます。

      行政と得手不得手を補い合い、町の活性につなげたい

      ――交流スペースの運営もされているそうですね。

      私のパソコン教室は、私も運営メンバーになっている多世代交流スペース「ぷらっとあっと」の一角にあります。この建物はもともと「アイアイ会館」といって、向かい側には震災前まで「アイアイ」というスーパーがありました。この場所にまた人を集めたいという思いで運営しています。

      ぷらっとあっとは気軽に利用できるコワーキングスペースやレンタルスペースとしてスタートアップにも活用できるようになっていますが、町内ではまだまだ事業でチャレンジしたいという人を受け入れられるような環境が整えられておらず、広野町を飛び越えて楢葉町や富岡町に行ってしまう方が多いと感じます。

      ――今後の目標を教えてください。

      これまで任意団体として行っていたぷらっとあっとの運営を2021年2月に合同会社として事業化し、代表になりました。大きな目的は、行政と得手不得手を補い合い、共存共栄を図り町の活性化につなげることです。例えば、町によると町内には80件ぐらいの空き家があるそうです。しかし実際には、もともとアパートがほとんどなく、物件を人に貸すことになじみが薄い町なので、空き家があっても借りるとなると難しい現状があります。実際に私も、家やパソコン教室の物件を探すのに苦労しました。若者の移住促進のためにも、町には物件取得の支援策を講じてもらい、私たちは物件の案内や管理を任せてもらうというように、連携し合える関係になっていきたいと考えています。

      地域の持続的な発展のためには新しい活力が必要ですが、地元のために何かをしようと考える人が増えない限りは、移住者の方もなかなか受け入れられないと思っています。だからこそ、自分たちがハブになって地元のことを伝え、考えていきたいです。

      ――移住を検討されている方にメッセージをお願いします。

      広野町はいろいろな事業にチャレンジできる場所だと考えています。例えば、便利屋さんはあった方がいいと思います。パソコン教室の仕事で生徒さんの家に行ってパソコンのセットアップをすることもあるのですが、何かしらプラスアルファのお手伝いをして帰ってきます。電球を交換したくても手が届かなくてできないお年寄りがいらっしゃるなど、埋もれているニーズがたくさんある町です。

      移住を決断することはとても勇気のいることだと思うし、家族がいる方ほど大きな決断になります。それでも広野町は移住することで得られるものがたくさんありますし、活動することによるやりがいも必ず見つかる場所です。

      青木 裕介(あおき ゆうすけ) さん

      1981年、広野町生まれ。ひろのパソコン教室代表。東日本大震災後に会津若松市へ避難し、公共職業訓練校の講師を務めた後、2018年に広野町へ帰還。「もじゃ先生」の愛称で親しまれている。

      文:五十嵐秋音 写真:中村幸稚