移住者インタビュー

大熊町の実家跡で再び暮らす夢を抱き、双葉郡の今を伝え続ける

2022年3月25日
双葉町
  • チャレンジする人
  • まちづくり
  • 単身
  • どんなお仕事をしているの?
    一般社団法人「ふたばプロジェクト」で双葉町を伝える仕事
  • 移住者の方にお願いしたいことは?
    移住者の方には好きなことを通してまちを盛り上げてもらいたい
  • これからの目標は?
    教育旅行を通して次の世代に原発事故のことを伝えていきたい

双葉町のまちづくり会社である一般社団法人「ふたばプロジェクト」に勤務する小泉良空(みく)さんは、双葉町の隣の大熊町出身です。震災当時14歳だった小泉さん。「大好きな双葉郡のことを伝え続けたい」という思いをエネルギーに変え、双葉町で情報発信や震災・原発事故の伝承事業に取り組んでいます。

小泉さんが常駐するのは旧JR双葉駅舎。周辺では町役場や公営住宅の建設が進んでいます。今後双葉町の情報発信拠点となるこの場所で、双葉郡のいまを伝える思いを聞きました。

悔しさから生まれた、伝え続ける決意

――現在の仕事について教えてください。

まちづくり会社の一般社団法人「ふたばプロジェクト」で、SNSでの情報発信業務や双葉駅周辺の案内、震災と原発事故を伝える伝承事業を担当しています。双葉町では全町避難が続いていて日常を発信できる人がいないため、イベントや行事、季節の移り変わりを発信することは町の今を伝えるために重要だと考えています。昨年は震災後初めて水稲栽培が始まるなど、少しずつ増えてきている「震災後『初』」をしっかり発信していきたいです。

――ふたばプロジェクトでお仕事をされるようになった経緯を教えてください。

大学卒業後、地元である大熊町の近くで町の人と関わるような仕事をしたいと思っていたのですが希望通りの求人は出ておらず、福島市の住宅販売会社で営業担当として働いていました。ただ、私が就職した2019年は大熊町の一部で避難指示が解除されるなど、復興が動き出した年でした。「ずっと地元に関わりたいと思っていたのに、これでいいのだろうか」という感情が大きくなり、1年ほどで退社して2021年5月からこちらで働いています。

前職で取引先の人に出身地の話をした時に、「大熊町ってもうないんじゃないの?」とか、「もう帰るのは無理だと思うよ」と言われたことがあったんです。福島県内ですら、こうした認識の方がいて、まさに復興が進んでいるなかでそういうことを言われてしまうということがとても悔しかった。その時、やっぱり自分は伝える側にならないといけないと思ったんです。そういった意味では、ここでの仕事はすごく私のやりたいことに合っていました。

――震災後はどのような生活だったのでしょうか。

田村市や親戚宅のある新潟県、神奈川県を転々として震災の年の4月に町の避難先でもある会津若松市に避難しました。高校入学を機にいわき市に移り、現在の実家はいわき市にあります。大学は東京に行きましたが、その間も地元に帰りたいという思いは変わりませんでした。大学時代はプレゼンの授業で大熊町を紹介するなど、隙あらば地元のPRをしていましたね。

――なぜそこまで地元への愛が深いのですか?

震災前まで暮らしていた家は、大熊町の山側で目の前に田んぼが広がる「ザ・田舎の農家」という環境でした。でもそこがとても好きで、性に合っていたんでしょうね。震災後、いわき市や東京など便利な場所でも暮らしましたが、住む場所を選ぶとしたら大熊町一択というのはずっと揺るぎません。大熊町の家は数年前に解体してしまったのですが、高校3年生の時にいわき市で新しい家を建てた時、「まだ大熊町に家があるのに、なんで」と納得がいきませんでした。家を建てる時ってわくわくするはずなのですが、私にとっては帰らない宣言をされているようでつらかったです。

この前の休日に実家のあった土地へ行ってきたのですが、マスクを外して空気を吸ったら格段に空気がおいしくて、つい「うまー!」と一人でつぶやいてしまいました。土のにおいと春のにおいを感じながら「やっぱこれだな」と思いました。やっぱり将来は大熊町の実家があった場所に自分の家を持ちたいです。

爪痕をどう残すかは考え続けなければいけない

――今のお住まいはどうされているのでしょうか。

本当は大熊町に住みたいのですが、私には競争率の高い公営住宅しか選択肢がないため、富岡町のアパートに住んでいます。双葉町や大熊町で仕事をすることになれば、今はまだ生活拠点は富岡町や浪江町になってくると思います。

――移住者の方との関わりはありますか。

地元に戻りたい気持ちの反面、双葉郡に戻るときにはやっぱり不安がありました。そんな時に大熊町の人と私をつないでくださったのが、大熊町に移住して来られた方でした。大熊町では特に、移住者の方が先入観なく町をグイグイ引っ張ってくれている印象があります。私よりも早いタイミングで移住して町を見てくれていたという安心感もあるので、私は何かあれば移住者の方に相談したいし、その方がいると安心します。

移住者の方には好きなことをやって、どんな方向からでもいいから盛り上げてもらって、町を活気づけてもらいたい。「双葉郡に住まない」という決断をした人はたくさんいますが、その人達も決して関心がなくなったというわけではないと思います。もともと暮らしていた方に久しぶりに地元を訪ねてみようと思ってもらい、ふるさとへの思いを断ち切らせないようにするお手伝いをしてもらいたいです。

―――町が変わってしまうことについて町民の方からお聞きする声はありますか。

双葉駅前はがらっと変わってしまったので、双葉町民の方には「知らない町みたい」と言われることも多いんです。でも被災したものをそのまま残しておいても前に進めません。一方、全部きれいに作り変えればいいというものでもありません。震災と原発事故の爪痕をどう残して伝えていくかを考えることは、復興において絶対外してはいけないものだと思っています。

次世代への伝承事業を極めていきたい

――地元の大熊町で好きな場所はどこですか。

大熊町で避難指示が最初に解除されて役場や商業施設が新たに整備された大川原地区です。もともと田んぼ以外何もなかった場所に役場や学校まで作ろうとしていて、復興に対する気合のようなものが感じられてすごくいいですね。商業施設も震災後にできた新しい場所ですが、震災前に町で暮らしていた方のお店が入っていたりして、ほっとするお気に入りの場所です。

――仕事で通う双葉町のおすすめスポットを教えてください。

双葉町産業交流センターに飲食店が4つ入っていて、ハンバーガー店「ペンギン」はよくテイクアウトしています。ここのスペシャルカツサンドは、ソースがとてもおいしいですね。なかなかのボリュームがあるので、セットにしてしまうとおなかがパンパンになってしまいます。

――仕事で今後やってみたいことはどんなことですか。

震災の年に生まれた子供がもう11歳を迎えます。新型コロナウイルス感染症拡大の影響でキャンセルが続いており実現できていませんが、教育旅行で双葉町に来る学生さんたちには、地震や津波の被害だけではなく原発事故のことを伝えて、次の世代へと伝承させなければいけないと強く思っています。

これまでも伝承事業としてバスで双葉町や浪江町、東日本大震災・原子力災害伝承館などを案内してきましたが、「原発事故は全部解決して終わったこと」と思って来る方や、「まったく手つかずで何も始まっていない」と思っている方が結構多いと感じます。双葉町は全町避難が続いている一方、JR双葉駅周辺には新しい町役場や公営住宅の建設が進んでいますし、大熊町も廃炉作業をされている方がほとんどですが約900人が居住しています。そういった双葉郡の事実を伝え続けられるように、伝承事業をもっと極めていきたいです。

小泉 良空(こいずみ みく) さん

1997年、福島県大熊町出身。大学卒業後、福島市の住宅販売会社勤務を経て2021年5月に双葉町のまちづくり会社である一般社団法人「ふたばプロジェクト」に就職。情報発信業務や旧双葉駅舎の案内業務、双葉郡のことを伝える伝承事業を担当している。

一般社団法人ふたばプロジェクト

https://futaba-pj.or.jp/

※所属や内容は取材当時のものです。
聞き手:髙橋晃浩 文・写真:五十嵐秋音