移住者インタビュー

川内村で変化した「価値を測るものさし」と「人との距離感」を楽しむ暮らし

2022年3月22日
川内村
  • チャレンジする人
  • 夫婦
  • 里山暮らし
  • 移住のきっかけは?
    川内村で暮らす方々とのつながりを失いたくなかった
  • 移住して良かったと感じる瞬間は?
    自然の中で暮らすご近所さんとの地域活動に参加させてもらう時
  • 移住の良さとは?
    価値基準を測るものさしと、人との距離感が変わった

2007年に川内村に移住した西巻裕さんは、神奈川県生まれ東京育ち。現在は川内村の中心地から8キロほど離れた山間部で暮らしています。「救急車も消防車もすぐには来られない」というこの地には、そのぶん最近は希薄になってきたといわれるご近所同士の助け合いの文化が色濃く残っています。西巻さんはこの地域と人に惹かれ、定住を決めたと言います。

オートバイの大会を開催したこともある小学校跡地の集会所に伺い、豊かな自然に囲まれた村での暮らしについてお聞きしました。

魅力ある町民とのつながりを手放せず定住

――東日本大震災前に移住したそうですね。経緯を教えてください。

東日本大震災前の2007年に縁あって川内村で暮らすことになりました。その後その縁はなくなってしまったので、他の地域へ引っ越してもよかったのですが、川内村の方々が大変に面白い人たちで、そのつながりを失うのはもったいないと思い、ここで暮らし続けることを決めました。

――どんなところに惹かれたんですか?

ネガティブにもポジティブにも田舎なところですね。私の暮らしている地域は川内村の中心地からは8キロほど離れた高田島(第一区行政区)という集落で、近所の人は村の中心地に出ていくとき、同じ村内なのに「村に行く」と言って出かけたりします。

この地域で暮らす人たちは、そんなに接点のない間柄でも一緒に仲良くバーベキューをするなどして遊んだりします。消防車にしても救急車にしても、呼んでもなかなかすぐには来られない地域ですから、「身を守るために一緒にやっていかなきゃどうにもならない」という考えがあるのかもしれません。人付き合いは難しいものですが、一緒に何かをする余地の残っていることこそが田舎の良さなのではないかと思いますし、そういった方々との山での暮らしにとても興味を持ちました。

――そういったコミュニティに早くから馴染めたのでしょうか。

震災前から川内村は移住者が多い村といわれていました。私が暮らす地域は根っからの村民というよりは、開拓者のような、新たに入ってきた人たちで構成されているコミュニティのような気がします。そういうこともあってか、人を受け入れるという面ではおおらかだと感じました。

山中でオートバイの大会を主催

――現在のお仕事について教えてください。

オートバイによる競技の一つ「トライアル」を専門にした月間雑誌「自然山通信」で、1997年の創刊以来、編集を続けています。ほとんどがリモートワークですので、移住後も問題なく仕事を続けられています。この周辺の山を借りて50人ほどが集まるトライアルの大会も開催しています。

――どのような暮らしをされているのでしょうか。

小学校があった名残の元教員住宅に妻と住んでいます。川内村には上水道がなく、飲み水は井戸水を使っているのですが、この冬は管理に失敗して水道管を凍らせてしまい、水が出なくなってしまいました。おそらく氷が解ける春まで水は出ませんが、普通に食事をして生活するのであれば、水を汲んでくれば生活できます。上水道が敷かれた地域であれば、水が出ないとなれば水道局などに連絡することで解決しますが、ここでは自分で管理するしかありません。

――普段の買い物はどうされていますか?

近所にある個人経営の酒屋と魚屋で買い物はできます。ただ、買い物には慣れが必要です。何か食べたいものがあってお店に行っても品切れのことがあるので、その日何を食べるかはお店へ行って決めることになるのですが、これが慣れないとむずかしいんです。どうしても必要なものがある時には田村市や郡山市まで行ったり、ネットショッピングを利用したりしています。

でも、この生活を大変だとは思っていませんし、実際に生活で困るようなことはそんなにありません。病院に行きたい時には30分ぐらい車で移動する必要がありますが、東京の病院の待合室で1時間待つことを考えれば、必要とする時間はたいして変わらないような気もします。

不安な要素といえば、一人暮らしをしている妻の母が心配です。こちらで一緒に暮らすことができれば安心ですが、高齢になってからだとなかなか難しいですね。

自然の中で生きる方々には教わることばかり

――震災後、川内村は全村避難になりました。当時の状況を教えてください。

村が全村避難を決断したため、福島県南部にある妻の実家に避難しました。しかし、新聞に載っている各地の放射線量を見ると、避難先よりも川内村の方が低いこともあったんです。電話が通じるようになったタイミングで震災の年の5月には自己判断で村に戻ってきていました。震災と原発事故は村の暮らしを手放す理由にはなりませんでしたね。

――どんな時に移住して良かったと思いますか?

地域活動の仲間に入れてもらえることです。ここは自然と共に生きている最後の世代、最後の地域なのではないかと感じています。私は小さなお手伝いしかできず戦力にはなれないのですが、木を倒したり、自然の中から水を引いたりして自分たちの生活を守っています。教わることばかりですが、この地域も高齢化が進んでいるので、次の世代に受け継ぐことが難しいということは寂しいですね。

――西巻さんが考える移住の良さとはどんなことですか。

価値基準を測るものさしが変わることですね。あとは、他人との距離が近くなることです。例えば、渋谷のスクランブル交差点ですれ違う大勢の人村の人口と大差ない人数のほとんどが他人だと思いますが、本当に全員が他人なのかは検証できないじゃないですか。でもここで暮らしていると、それまで知らなかった人でも、知り合いの知り合いが共通の友人だったとか、話していると何らかの共通点があることが多いんです。そういう人との繋がりの面白さを味わうことができるのが魅力だと思います。

西巻 裕(にしまき・ひろし) さん

1957年神奈川県生まれ、東京育ち。オートバイによる競技の一つ「トライアル」を専門にした月間雑誌「自然山通信」を刊行している。2007年に川内村に移住。リモートワークの編集業務をしながら、村内でトライアルのイベントなどを開催している。

自然山通信

https://www.shizenyama.com/

※所属や内容は取材当時のものです。
取材:髙橋晃浩 文・写真:五十嵐秋音