移住者インタビュー

大熊インキュベーションセンター(OIC)に起業家や若者が続々と集まってくる理由

2024年11月22日

2019年の一部避難指示解除から少しずつ復興が進んでいる福島県双葉郡大熊町。2022年7月にオープンした「大熊インキュベーションセンター(OIC)」は起業支援拠点として、大熊町で新たな産業を生み出そうとする多様な人々が集まる場になりつつあります。なかでも数多く入居しているのがさまざまな技術系企業です。

OICの入居者であり、大熊町内に無人店舗を展開している株式会社AIBOD松尾久人(まつお・ひさと)さんと、食事改善サービス「食トレAI」の開発やAIとバイオデータを活用した新規事業開発支援を行なう株式会社LIFE AIを立ち上げた川端瞭英(かわばた・りょうえい)さんのお二人に、大熊町を拠点に活動する理由や福島の技術系産業の現在地について伺いました。

飲食店が少なくスーパーがない大熊町の食事環境をよくしたい

福岡県福岡市と大熊町の二拠点でビジネスを展開する松尾さんは、2年半前からOICにオフィスを構えています。2024年3月の記事で取り上げた松尾さんのビジョンは、大熊町に無人店舗を展開していくこと、そして大熊町から日本を救う技術を生み出すことでした。そのOICに今年入居したばかりの川端さんは、何をしようとしているのでしょうか。

株式会社LIFE AIのCEO川端瞭英さん

川端さん 「私たちは現在、バイオデータからその人にあった個別の食事アドバイスができるAIを開発しています。このAIは、その人の食の好みや体質などを学習し、活動量やその日の体調などを入力することで、その人のその時の状態にあったメニューを提案してくれるAIです。その人専属の栄養士さんのようなイメージですね。

ゆくゆくは、AIが遺伝情報などのより高度なバイオデータも学習し、例えば、アレルギーになりにくい食習慣や睡眠の質が向上する睡眠方法といった、生活のあらゆる場面で個々人の健康をサポートできる、人に寄り添うサービスをつくるのが目標です」

この開発中のAIは「食トレAI」と名付けたそうです。「おいしいものを食べていたらいつの間にか健康になっていた」ことを目指しているそうですが、なぜそれを大熊町でやろうと思ったのでしょうか。

川端さん 「起業のきっかけは、2022年度の大熊町のアイデアソン『OICクリーンテックチャレンジ(OICCC)』に誘われて参加したことでした。それから2023年度の『福島テッククリエイト(FTC)』ビジネスアイデア事業化プログラムにも採択されて開発を進める中、浜通り地域の復興の現状を知り、地域に貢献したいという思い、さらに、この地域からインパクトのある企業を生み出して、世界中の人をいい意味で驚かせたいという思いが強まり、この地で起業をしようと思いました。

『食トレAI』サービスを開発するにあたって、実際に自分が暮らして肌で地域の課題を感じないとわからないことがあると思い、移住を考えました。住居を探していたところ、タイミングよく大熊町が募集していた再生賃貸住宅に入居できたので、もうこれは運命かなと。

大熊町には飲食店がほとんどないし、スーパーもまだないので、食のレパートリーが少なく、栄養が偏りやすい状況にあります。そこで食トレAIを活用してメニューを考え、調理して食べるところまですべてがつながったサービスをつくることで、食事環境を改善しようと考えています。人口が少なく、店舗を構えての販売が成立しにくい地域なので、オンラインで注文を受けてその人にあった食事を、通信販売や無人販売で届けたいと思っています。サービス開発にあたっては、地域の事業者や、食品会社などにも協力いただいており、ここで構築したビジネスモデルを全国へ展開していきたいと考えています」

福島県が福島イノベーション・コースト構想の一環として行なっているFTCでは、福島県の浜通り15市町村で起業、創業にチャレンジする個人や企業に「イノベーション創出支援補助金」を拠出し、この地域のイノベーションを促してきました。松尾さんのAIBODも2021年に採択され、それが大熊町に無人店舗を出店するきっかけとなりました。OICも独自にOICCCなどのイベントを行ない、起業したい若者を集めています。OICができて2年半が経ち、実際に大熊町には多様な企業が集まりつつあるようです。

株式会社AIBOD代表の松尾久人さん

松尾さん 「OICができたときに企業をたくさん呼び寄せたのもありますが、その後も新しい人たちが入ってきていますね。ここにはやりたい人を育てていく環境があって、人がどんどん集う場所になってきている。シリコンの代わりにダイヤモンドを使う半導体を開発する会社があったり、データセンターが2社あったりと、新しい技術を開発する人たちを中心にさまざまな業種が集まっています。

ここがいわゆるインキュベーションセンターではなく、どこか大学のサークルのようなゆるさをもっているのが結果的に良かったんだと思います。川端さんもそういう環境だからこそイベントに参加して導かれるようにここで起業することになったのでしょう」

川端さん 「そうですね。私も『おおくま学園祭』というイベントに参加して大熊町の環境の面白さに気がつきました。毎年ちょっとずつ盛り上がってきている印象です。OICは松尾さんが言うようにフェーズも業種も異なる多様な企業が集まっていて、それがある意味でのゆるさにつながっている気がします」

従来のインキュベーションセンターとは違う柔らかい雰囲気がOICの魅力の一つということですが、元小学校であることを生かしたどこか懐かしい感じもその雰囲気を醸成する一助になっているようです。テクノロジー系の起業家が集まる場所というと最先端の設備が整ったイメージですが、それとは真逆の環境も人を引き付ける理由の一つかもしれません。

OICの中にある、小学校の教室をそのまま会議室として利用

起業を可能にする補助金とAI

大熊インキュベーションセンター入口には入居企業のプレートがズラリと並んでいる

OICを利用する企業や団体は150を超え、学生など若い人たちの見学、視察も多いそうです。川端さんは大熊町に若者が集まる要因として補助金が充実していることがあると分析します。

川端さん 「大熊町では行政の予算を元にした若者向けの起業支援に力を入れており、福島県もFTCなどで補助金によるサポートを他の地域より手厚くしている印象です。私も前々から起業はしたいと思っていましたが、起業までのスピードを速めることができたのは、補助金やOIC、FTCなど、さまざまな形での支援があったからだと思います」

松尾さん 「OICのスタッフは、補助金の申請まで支援してくれますからね」

川端さん 「OICには、住宅探しや事業の相談など、さまざまな面で大変お世話になっています。しっかりと収益の上がる事業に発展させて、少しでも地域の未来をいい方向に進められるようになりたいと思います」

技術系企業が少しずつ増えてきている大熊町。避難指示が解除されてまだ数年、大都市に近くもなく、人もそれほど戻ってきていないこの地域でそれが可能になっている理由の一つは、AIの進化により、IT分野の参入障壁が下がっていることだと言います。

川端さん 「私たちのサービスはAIに遺伝情報などの個人のデータを学習させて、その人専用の食事のメニューを考えさせるというものです。ただ、これを一人ひとりにオーダーメイドでつくっていたらお金がいくらあっても足りません。だから、一般的に使われているAIモデルと接続しながら、個人のデータを学習させて、その人にあった答えを返すようにしています」

松尾さん 「私は自分で一から開発する場合もありますが、川端さんと同じように何かをベースに使って自分用に改良することもよくやります。今やっているのは、賃貸マンションの入居者からの問い合わせにおける最初のチャット部分をAIが担うシステムです。漠然とした問い合わせに対して、裏でChatGPTに質問を投げることで答えを絞り込んでいく。つまり、AIを活用することでIT技術を使う障壁はすごく下がっていると思います」

川端さん 「そうですね。今はAIがとても賢くなっているので、従来難しかった複雑なケースにも対応できるようになってきていますね。開発自体もAIを使うことでコストを下げられるので、いいサービスを低コストでつくることができる環境になりつつあると思います」

松尾さん 「ただ、参入障壁が下がることで、競争は激しくなっていくと思います。何らかの分野で非常にたくさんの知識をもっているとか、人が真似できない発想をもっていることが重要になります。そういう人がIT技術を使うことでその強みを発揮できる時代になる。ディープテック(社会課題を解決して私たちの生活や社会に大きなインパクトを与える科学的な発見や革新的な技術)が注目されて久しいですが、その実現にはノウハウの蓄積と物理的なプロダクトやサービスをつくり上げる力が重要なんです」

その意味で川端さんや松尾さんは大熊町という、ある意味、未開拓のフィールドで事業を切り開いていくことで、他との差異化を図っています。未開拓の場所だからこそ新しい技術が必要だし、新しいことをやりやすい環境がある。だからこそ、多くの技術系企業が大熊町に集まってくるのかもしれません。

大熊町のこれからを担うビジネスをつくる

大熊インキュベーションセンター(OIC) 。小学校の校舎を活用してつくられた

お二人はまだ復興が始まったばかりの大熊町で、事業を成立させてまちを良くしていくビジョンは描けているのでしょうか。

川端さん 「この間、参加者にミールキットを自動調理器で調理して実際に食べていただくイベントを実施しました。参加者のアンケートでは、 85パーセント以上の方に購入意向があり、男性のニーズが意外と高いこともわかりました。

ただ、食ビジネスは価格との勝負です。価格を下げすぎるといいものがつくれない。地域で暮らす方の普段使いのサービスを考えた場合、付加価値の高い高価格帯商品の普及は難しいと考えています。なので、大手の食品会社さんと連携して、パーソナライズのサービス価値を高めつつ、なるべくコストを抑えて提供したいと考えています。

地域の自動販売機やECサイトなどでパーソナライズされた食事が簡単に買えるようになれば、普段使いで当たり前に食べていたら勝手に健康になるという理想が実現できるはずです。さらに、都市や海外への販売を行い、生産拠点を大熊町や近隣につくることができれば、産業と雇用を生み出すこともできると考えています。未だ根強い福島の風評被害を突破していくというのも重要だと思います。

人口を増やすという点において、人が先か仕事が先かで考えると、やはり仕事が先。仕事が生まれて雇用が生まれれば人が増えて、インフラも拡充するといういいサイクルが回り始めると思っています。私も個人の活動として、移住サポーターとして登録しており、大熊町や浜通りに興味のある方や企業の案内も行っています」

松尾さん 「その意味では大きな産業、または、いいかどうかは置いておいて、大きな箱物が必要だと思います。隣の浪江町は、『F-REI(福島国際研究教育機構)』ができたことで、研究者とその家族が移り住んできています。核となる施設があれば、まちは発展するはずです。ただ、大手が入ってくると、小さな企業はあっという間に淘汰されてしまうので、その前に手を打っておかなくてはとも思っています。小売業でいえば、町はスーパーを誘致したいはずですが、その前に無人店舗を出店しておきたいですね」

川端さん 「私たちは、公民館などの施設にもミールキットの自動販売機を置けたらと考えています。その時には、松尾さんの力も借りたいですね」

松尾さん 「その時はぜひ。お互いに、自分たちだけですべてをやるのは無理だと思うし、いろいろなプレイヤーがいるのがOICのいいところだから、それを活かしていきたいですね」

大熊インキュベーションセンター1階のコミュニティスペース。平日9〜17時は誰でも無料で利用できる。右奥にはAIBODストアも

松尾さん 「それと、実は僕は農業についてもなんとかしたいと思っています。それこそIT技術を使えば大熊町で農業が復興する可能性はあるんじゃないかと」

川端さん 「IT農業には夢がありますね! 私も農学部出身だったのでこの分野には非常に興味があります。身近なところでいうと、OICに入居している株式会社Kukulcanは、新規就農者をサポートするAIを、地元の農家と連携して開発しています。実は私たちも開発のお手伝いをしているのですが、地域でさまざまな実証ができるのは大熊町の強みですね」

松尾さん 「土地を活用して、なんらかの形で食料生産がちゃんとできる場所にしていくことに貢献したいですね」

大熊町や浜通り地域の復興、発展には、新しいテクノロジーと新しいビジネスが必要とされています。一方で、より重要なのは人とのつながりや交流だということも、お二人の話からは見えてきました。お二人にビジネスと関係なく大熊町に何がほしいかを聞いたところ、川端さんは「釣りを一緒にしたり、ITの話ができる友だち」、松尾さんは「飲み屋」と言っていて、人と交わる機会や場所がまだまだ少ないことが伺えました。

川端さんのお話しのとおり、仕事が先か人が先かで言ったらやはり仕事が先。この先、さらに多くの人を呼び込むには、より大きなビジネスも必要になっていくでしょう。しかし、お二人は自分たちが暮らしやすい環境をつくるためにも、まずは自分のビジネスを通して大熊町に人を呼び込もうとしています。大熊町の可能性がOICに集結した人々や企業によってどう花開いていくか、今後も目が離せません。

取材・文:石村研二 撮影:中村幸稚 編集:平川友紀